スーさん、マーラーを聴く

4月30日(水)

生涯忘れ得ぬ演奏会に接することができた。この僥倖を何と表現しよう。

28日(月)、東京上野の東京文化会館にて行われた、東京都交響楽団の第660回定期演奏会、指揮者エリアフ・インバルのプリンシパル・コンダクター就任披露公演における、マーラーの交響曲第8番(千人の交響曲)のことである。

この演奏会のことは、昨秋、家で何気なく夕刊を見ていたときに、演奏会の紹介として目にした記事で知った。指揮者と曲目から、どうしても行きたいと思った。公演は3夜連続で行われる。行けそうな日にちを考えてみた。どう考えても、初日しか行けそうになかった。妻も誘ってみた。「まだ先のことだし、今からなら休み取れるから、そのつもりでいるね」という返事だった。

問題は、チケットが取れるかどうかということだった。すぐにネットで都響のサイトを確認したところ、まだA席に残があるということがわかった。その日の受付は終了していたので、翌日の受付開始と同時に電話を入れることにした。翌日はソフトテニスの大会だった。忘れないよう、ケータイのアラームをセットして、受付電話番号を登録しておいた。

受付開始の10時は、ちょうど試合の合間だった。すぐに電話を入れた。チケットはまだ残っているとのことであった。「できればできるだけ後ろの方がいいのですが、とりあえず贅沢は言いません」とお願いして、チケットを2枚予約した。数日後、チケットが郵送されてきた。胸の高鳴りを感じた。

演奏会当日は、午後から授業参観とPTA総会であった。総会の途中で職員の紹介がある。それが済んでから時間休をもらい、妻と、連休で帰省して大学へ戻る娘と駅で合流して、東京行きの新幹線に。途中、小田原で途中下車する娘を見送って東京駅に着、そのまま宿舎のある上野駅へ。すぐにホテルにチェックインして荷物を置き、上野駅入谷改札前からでっかいパンダのある陸橋を上野公園へと渡って、東京文化会館に到着した。

開宴30分前であったが、ロビーには既に多くの人たちがひしめいていた。客席にはまだ入場できなかったので、館内を見るとはなしに見ていたのだが、コンサート案内のチラシの多さには驚いた。東京ではこんなにもコンサートが多く開かれるってことなのだ。音楽を志望する学生が首都圏の音大を目指す理由がわかったような気がした。

マーラーの8番は、演奏時間が長い(約80分)。事前にトイレを済ませておきたいと考える人たちで、トイレ前には行列ができていた。舞台には管楽器奏者がちらほら座って、ウォーミングアップをしていた。何せ、この曲の演奏者は約千人である。オケが、バンダを含めて200人弱、合唱団が800人弱である。舞台奥が合唱団の席だから、手前の弦楽器奏者用のイスは、舞台の縁ぎりぎりのところまで迫っている。「あれじゃあ演奏中に落ちそうで怖いわよねえ」とは妻の弁。

オーケストラ奏者が入場し始めるとともに、合唱団も入場し始めた。いちばん奥が男声合唱、次が女性合唱、最後が児童合唱と独唱者である。それにしても、すごい人数だ。既に開演時間は過ぎている。ようやく入場が終わってチューニング。指揮者を待つ。席は舞台に向かって左側隅、列の並びだと前から16列目くらいであった。指揮者の横顔がはっきりと見えるいい席だ。そして一瞬の静寂。

インバルが登場した。恰幅がいい。盛大な拍手。スコアをめくる。指揮棒が挙げられ、勢いよく振り下ろされると、オルガンの響きとともに“Veni,Creator spiritus”の賛歌が始まった。曲の第1部である。テンポはやや速め。何より、オケと合唱のアンサンブルがすばらしい。独唱者たちもうまい。最後は、3階席に設えられたバンダも加わって、圧倒的な迫力のうちに第1部が終わった。思わず、少なからぬ拍手が起こった。ここで、指揮者はいったん舞台袖へ。

再びインバルが登場して、第2部が始まった。第2部は、ゲーテ『ファウスト』第2部最終場面がテクスト。弦楽器の幽かなトレモロをバックに、男声の呟くような合唱が荒涼たる山岳斜面の岩窟を描写する。弱音は座ったまま合唱するようにしたためか、やや声がうわずって聞こえたのが玉に瑕。続いて「法悦の教父」、「瞑想する教父」の独唱。バス、バリトンともにすばらしい歌声である。

「天使たち」の合唱が始まると、曲がドライブし始めた。「マリア崇拝の博士」の独唱を挟んで、「Dir, der Unberührbaren, Ist es nicht benommen…」と合唱が入ってくる。心に染み入る旋律である。「贖罪の女性たちの合唱」がその後を受け、「罪いと深き女」(ソプラノ)の独唱が、さらには「サマリアの女」(アルト)の独唱が、「Bai dem Bronn, zu dem schon weiland Abram liess die Herde führen…」と始まったところで、不覚にも涙が零れてしまった。「エジプトのマリア」(アルト)も加わっての三重唱が美しい。児童合唱と「懺悔する女性のひとり(グレートヒェン)」(ソプラノ)の独唱の後に、客席上方から「栄光の聖母」(ソプラノ)の独唱が聞こえる。会場全体が崇高な雰囲気に包まれる。

「マリア崇拝の博士」(テノール)の独唱が終わって、曲はクライマックスへと静かに進行してゆく。pppで「神秘の合唱」が、「Alles Vergängliche Ist nur ein Gleichnis…」と入ってくる。思わず瞑目。「Das Ewig-Weibliche Ziehr uns hinan!」と男声合唱が高らかに歌い上げたところでオルガンが入り、「Alles Vergängliche!」と、神秘の合唱が今度は力強く歌われてコーダへと入ってゆく。合唱が終わったところで、客席バンダの金管の強奏と舞台上のオケとが一体となって最後の和音へ。頭の中がじんと痺れるような感覚であった。オーケストラの演奏を聴いて、こんな経験をしたのは初めてのことであった。

曲が終わったあとのすさまじい拍手については、言を俟つべくもなかろう。指揮者インバルはもちろん、オーケストラ、独唱者、合唱団へ向け、いつまでもいつまでも拍手が続いた。そのうちにそれは、誰もが、誰に向けてというのでない拍手へと変わっていった。こんなにすばらしい演奏会を聴くことができたこの身の幸せをしみじみと感じた。「もう、この世に思い残すことはない」と思ったほどだった。

指揮者インバルが、世界で最上級のマーラー指揮者であることはまちがいない。曲を指揮するとは、こういうことだと納得もさせられた。熱演とは、指揮者が引き出すものなのだ。演奏した東京都交響楽団の演奏レベルの高さにも脱帽だった。日本のオケの実力も、ずいぶんと上がっているということだ。知らなかった。これほどの演奏ができるのであれば、外国の著名なオーケストラにもまったくひけは取らないであろう。

妻はこの曲を聴いたことがなかった。が、「来てよかったわあ。長いなんて、まったく感じなかった」と言っていた。よい演奏とは、聴き手を選ばないということであろう。そのまま二人で、食事を兼ねてホテル近くの居酒屋へ。興奮はなかなか冷めやらない。いつもは飲めばすぐに寝てしまうのだが、その夜はいつまでも寝付くことができなかった。

翌日は、娘のところへ途中下車して寄って帰る妻をホテルへと残し、早朝に起き出して、始発の新幹線で浜松へと戻った。市の中学ソフトテニス選手権大会の日だったからだ。いったん家へと戻ってテニスウェアに着替え、ソッコーで試合が行われている花川テニスコートへ。

会場に到着すると、ちょうど2,3年生ペアの試合が始まったところだった。間に合ってよかった。本校から大会へエントリーしたのは5組。総勢141組による個人戦のトーナメントである。この大会は、県選手権への出場予選も兼ねていた。浜松市からは15組が出場できる。ベスト16で権利発生、ベスト8で出場確定である。権利を得るためには、4試合を勝たなければならない。

本校の5組は、苦戦した試合もあったが、どの組も順調に3回戦を突破できた。しかし、2年生ペアと2,3年生ペアが、それぞれ勝負のかかった4回戦で敗退してしまった。特に、2,3年生ペアはタイブレークの末の敗戦だったから、勝てるチャンスも十分あった。惜しい敗戦であった。残る3年生ペア3組は、全てがベスト8入りした。県大会への出場権を得て気が抜けたためか、そのうちの2組は準々決勝で敗退してしまったが、ただ1組残った大将ペアが見事優勝を飾ってくれた。昨秋に負けたH中のペアを破っての優勝であった。

かなり疲れたが、ゴールデンウィークに相応しい、まさに「黄金」の2日間であった。連休の後半は、例年の滋賀遠征が控えている。のんびりできるのは、連休最後の6日くらいか。でも、充実した日々である。