スーさん、宇治に行く

3月24日(月)

春分の日から日曜日までは、「第4回五里五里の郷中学生ソフトテニス研修大会」(通称「懲り懲りの郷大会」)に参加するため、京都府は宇治市まで。

既に学校は春休みに入っているため、同じく大会に参加するシンムラくんとこのチームと待ち合わせをして、午前中に浜松を出発、東名から伊勢湾岸道に入り、長島にて暫時休憩。引き続き、東名阪道を亀山まで走り、そこから新たに開通した新名神を通って名神草津JCTまで。

新しくできた道路を走るというのは気持ちがいい。鈴鹿山脈の南嶺をトンネルで貫き、滋賀県は甲賀と信楽の山中を高架橋で跨ぎつつ、わずか半時間ほどで名神に合流する。ちょうど正午に近かったので、草津Pで昼食と思ったのだが、食堂は満席。仕方がないので、そのまま京滋バイパスに入って宇治東ICで降り、宇治橋東詰手前にあるラーメン店にて昼食にする。

後続していたはずのシンムラくんに連絡を入れると、どうやら彼は新名神が名神と合流する直前にある草津田上ICで降りてしまったらしく、「今、京滋バイパスに乗るために一般道を走行中です」と言う。「じゃ、また乗ったら連絡してね」と返事しておくと、しばらくしてまたシンムラくんから連絡が入った。「すいません、どうもナビが京滋バイパスに乗るためのガイドをしてくれないんで、とりあえず目的地をどこにセットすればいいでしょう?」とのお尋ねだ。「え?乗れないの?じゃあ、とりあえず、平等院までおいでよ。まだ午後からの練習試合には時間があるから、生徒たちには平等院を見学させようと思ってさ」と連絡する。

そのまま平等院近くの駐車場に車を停めて待っていると、シンムラくんから気落ちした声で電話が入った。「すいません…。ナビを平等院にセットしたんですけど、京滋バイパスからはどんどん離れてって、なーんか山ん中を走ってるんですよお。もう、合流できそうにないんで、子どもたちにはコンビニで昼食を買わせて、車の中で食べさせます。で、そのまま練習試合の会場まで行くことにします」とのことだ。そういう事情ならば仕方がない。練習試合を行う予定のテニスコートを教え、こちらの到着予定時間を伝えて電話を切った。

生徒たちは、平等院のことは修学旅行の事前学習で多少なりとも知っていたらしい。「平等院鳳凰堂と言えば?」「十円玉」、「「建てられたのは何時代?」「平安時代」、「ご本尊は?」「阿弥陀如来」と、よどみがない。よい子たちである。拝観料を支払って中に入ったが、鳳凰堂の中へ入るにはまた別に拝観料を支払わなければならない。さすがにそれはやめて、鳳凰堂をバックに記念写真。その後、資料館を順に見て回って見学を終え、練習試合が予定されていた木津川河川敷のテニスコートへと向かう。

平等院からそのテニスコートまではおよそ30分。コートは、NJ中のミヤタ先生が確保してくださっていた。ナビに従って走行して、ほどなくコートに到着。既に、先着のシンムラくんとミヤタ先生が待っていた。それにしても、風が強い。河川敷にあるテニスコートだったため、ほとんど吹き曝しである。風下からボールを打つと、サービスコートも越えないほどだ。「もー、なんだよ?この風」とミヤタ先生に恨み言を言うと、「いや、先生が来るとこうなるんですわ」と、返される。京都府の学校は、まだ春休みに入っていない。ただし、授業は午前中で終了とのことで、「おっつけ子どもたちも来ますから、それから練習試合をしましょ」ということになる。

強風で気温が高いということになれば、花粉の飛散する量は半端ではない。しばらく外に出ていると、すぐに目が痛くなる。マスクは絶対に外せない。そんな状態で練習試合が行われた。シンムラくんとこと交替で、NJ中のA,Bチームにお相手していただく。さすがに、NJ中レギュラー陣は強風など物ともしないでボールを打ってくる。それに対し、ふだん風の影響のあまりないコートで練習している我がチームはよれよれである。そんなたくましさの点でも、NJ中には学ぶところが多いと感じさせられた。

その日は、宇治駅前の焼鳥屋さんにて、懇親会が予定されていた。我らの宿舎は城陽市だったので、あまりお酒の飲めないシンムラくんがドライバーを務めて、宇治駅前へと向かうことにした。この大会のもう一人の主催者であるキシ先生は、大阪で通夜があるということで不参加であったが、ミヤタ先生他地元のスタッフの先生方、それから夕方に3校合同チャーターバスにてこちらに到着したオノちゃん、ヨッシー、それから岡山から参加のタカミ先生らも加わって、地鶏の鍋料理を囲んで懇親会は二更に及ぶ。この日は、さすがに運転の疲れもあり、そのまま部屋に戻ると、着の身着のままベッドへと倒れ込んでしまった。

明けて、大会初日は団体戦。この大会には珍しく好天。山中にあるテニスコートだから、花粉対策は必需である。「花粉99.9%カット!」という触れ込みのマスクを着用してテニスコートへと向かう。試合は、3校による予選リーグと順位別のトーナメント。本校は予選は1位通過してベスト8には入ったのだが、トーナメント初戦で奈良の名門K塩中に3番勝負タイブレークの末に敗れてしまった。要所で思い切りのいい攻撃を仕掛けられての敗戦であった。

先日の彦根の大会もそうであったが、研修大会というのは、負ければ「ハイそれまで」ではなく、できるだけたくさん試合をさせることを主眼に置いている。この大会も、もちろん同様である。同じく、トーナメント初戦で敗退したチームと敗者戦が組まれ、最低限5試合は試合をすることができるようになっていた。その敗者戦の初戦、相手は地元のO山中。都道府県対抗戦京都府代表選手を擁するチームである。試合はまたもや3番勝負となったが、この日は3番の出来が悪かった。結局敗れて7位決定戦へ。さすがにその試合は勝つことができたが、いろいろと課題が明らかになった。

その日の夜は、昨晩のメンバーにその日宿泊の監督さんたちも加わって、近鉄寺田駅近くのミヤタ先生御用達のお店にて懇親会パート2。次々と出される和風創作料理に舌鼓を打ちながら、焼酎をくいくいといただく。こういう会こそ、遠征時の何よりの愉しみである(そのために遠征に出ているわけではないのだけれど)。さすがに宴会も連日に及ぶと、そうは飲めない。程々に過ごして、宿へと戻る。

日曜日は個人戦。団体戦同様に、3組による予選リーグと、順位別のトーナメントである。本校参加の3組中、2組は予選を1位で通過したが、残る1組はO山中大将ペアに敗れて2位トーナメントとなった。しかし、1位通過の2組も、大将ペアはタイブレークの末、もう1組はストレートでトーナメント初戦で敗退してしまった。負けるのは仕方がないのだが、どうも負けぶりがよくない。団体戦と同様、トーナメントで負けても敗者戦を組んでくれていると聞き、カップリングを少し変更して試合に臨ませることにした。

新鮮な気持ちも手伝ってのことであろうと思われるが、このカップリングはかなりうまく機能した。次週には、Y社主催の全国選抜大会が控えている。それに向けても、このカップリングなら何とかなりそうな感じがしてきた。得難い成果であった。閉会式終了後も、コート使用時間ぎりぎりまでNJ中と練習マッチを行わせていただいた。「濃い」2日間であった。お世話になったミヤタ、キシ両先生にご挨拶をして、山城総合運動公園を後にする。

いい気分で自宅に戻ると、年度末教育関係職員の異動が新聞発表されていた。え?と思ったことが一つ。本校で学年主任を務める先生が異動となっていた。知らなかった。行政職への転出である。なんでこういう人事をするのだろう?現学年の指導には、なくてはならない先生である。現場の子どもたちや保護者をあまりにも軽視してはいないか。教師と行政職とは、そこで求められる資質も含め、まったく異なるものである。それとも、その職は、まったく行政職経験のない者でも務まるほどの職だということなのか。そんな人事の根拠として、「現場経験のある者の声を行政に反映させる」と言挙げするか。前例踏襲が常態の行政の場である。いきなり行政職に採用された刀筆の吏が、「現場の声」を生かせるような提言ができるものなのかどうか、そんなことは改めて言を俟つべくもなかろう。

そうして、行政職経験のスクリーニングを経た者が、現場に管理職として舞い戻ってくる。いかにも、上意下達の典型的なシステムである。最近は、「学校の特色」を打ち出すことが求められている。だが、上意下達のシステム(と、それに付随する事なかれ主義)にどっぷりと浸かった管理職に、学校の特色など…(以下略)。

疲れた。すぐに寝た。