スーさん、結婚式に思う

3月17日(月)

土曜日は、甲南麻雀連盟浜松支部会員の一人である下野国弱雀小僧こと、ヤイリくんの御婚儀。同じ支部会員として、オノちゃん、ヨッシー、オーツボくん、シンムラくんとともに、結婚式並びに披露宴へと出席させていただく。

前日は雷雨混じりの荒天であったが、この日は朝から春らしい暖かな陽気となり、婚儀には絶好の日和となった。式は午後4時からだったので、午前中は部活動。この日は、地元の地域密着型情報誌が本校のソフトテニス部を取り上げて紹介してくださるとかで、その取材を受ける。どこでどう話が違ってしまったのか、先生の紹介を中心に記事にするということで、あれこれ質問されるハメになってしまった。「できるだけ子どもたちの活動の様子を紹介してください」とお願いをしたが、はてさてどんな記事になることやら。とりあえず、部員全員と一緒にカメラに収まる。

披露宴会場には、オーツボくんが迎えに来て、送ってくれることになっていた。後ろの座席に陣取ったオーツボジュニアたちの攻撃に耐えながら、会場へと向かう。その会場であるが、どうも場所が不案内だった。この辺りというのはわかるのだが、実際にどこからどのように行けばよいのかということがよくわからないでいた。と、運転をしていたオーツボくんが、「ここじゃないっすかねえ?」といきなりヘアピンカーブを曲がって坂道を上り始めた。はたして、登り切ったところが会場であった。まさか、こんなところに結婚式場があるとは。知らなかった。

さっそく、オーツボくんが持参した支部会員からの「お祝いの品」である山本画伯の版画を取り出し、みなで嘆賞する。木枠は画伯からの「お祝い」として進呈されたものだと言う。もちろん、24枚限定刷りのうちの1枚である。わざわざ画伯から、オーツボくんのところへ、「みんなで盛り上がってますか?」というメールも入れていただいたそうだ。ありがたいことである。

式は人前式であった。いきなり、ヤイリくん本人の「マイウェイ」の熱唱で入場だ。やるなあ。どうやら、続く披露宴も、まさに「うたげ」になりそうな予感がした。その予想に違わず、スピーチは程々に、それよりヤイリ家の御親父並びに御令兄による「歌合戦」には、ほとほと感心させられた。もちろん、宴の締めはヤイリくんの「お礼の言葉」ならぬ、自らギターを弾いての「お礼の歌」。いやはや、「うたげ」とは、「うちあげ」の略だそうだが、実は「歌挙げ」の略だったのかもしれないと思わせられた。

3時間の余に及んだ「歌挙げ」であったが、途中からあることに気がついた。その結婚式場のスタッフが、一様にみな若いということである。会の進行を取り仕切っていた人も、写真撮影のカメラマンたちも、料理を運ぶ人たちも、とにかくみな若い。最年長でも30代を幾分越えているくらいであろう。こういう業界の特徴なのであろうか。いずれにしても、人件費のことを考えれば、当然その方が安上がりに済ませられる。人件費の嵩む50代以上をリストラし、若手を多めに採用することは、多くの業種で同じように進行していることなのかもしれない。

でもそれって、人件費だけの問題ではないような気もするのだが。何と言っても、現場には経験豊富な人材が不可欠である。若手社員には決して想像できないような事柄についても、その経験則から必要不可欠のことを指摘できることがあると思うからだ。およそ一般的な職場は、いろんな年代の人たちによって構成されることこそ、望ましいでのはないか。何より、現場で得た経験の蓄積は、短期間の研修期間では補い得ないものであろうからだ。「この式場、いずれはどうなっていくんだろう」と思いつつ、初更を迎えた式場を後にする。

そのまま、2次会に参加するシンムラくんを除き、ちょうど4人でいつもの雀荘へ。飲み放題をいいことに、披露宴でワインをがぶ飲みして意識朦朧としつつも、この日も半荘3回でトップが1回。もちろんプラスのまま終える。相変わらず「酔雀」は健在である(相変わらず、ヨッシーはマイナスに沈んだ。念のため)。

さて、学校は明日が卒業式。翌日が修了式で、いよいよ年度末を迎える。春休み中は2泊3日の遠征が二度控えている。21日からは、京都府宇治市にて行われる、「五里五里の郷中学生ソフトテニス研修大会」。そうして、月末の29日からが、岐阜県土岐市にて行われる「全国中学校選抜ソフトテニス大会」である。特に、後者の大会は、Y社がスポンサードして全国から24校のみが選抜されて開催される大会。集うのは、もちろん全国各ブロックの強豪校ばかりである。あんまり恥ずかしい試合もできないだろうから、この春休みはしっかりと練習に取り組ませて大会に臨みたい。慌ただしい春休みになりそうである。