スーさん、雪の峠で人間性の深淵を見る

2月11日(月)

週末の金曜日は、「第4回TAJIMI Challenge Cupソフトテニスインドア大会」(団体戦)に参加するため、昏黄より岐阜県多治見市へと移動する。手前と同時期に、岐阜県中体連のソフトテニス専門部長をされていた渡辺先生のお招きで参加させていただくことになった大会である。

事前の天気予報では、太平洋岸も雪になると報じていた。となると、チェーンの準備等もしておかなきゃいけないかなあなどと考えていたのだが、直前の天気予報を確認すると、どうやら多治見市の天気は土曜日が雨になるとの予報に変わっていた。ならば、わざわざタイヤもスタッドレスに交換しなくともよかろうとの結論に達し、それでも万が一の用心にとチェーンだけは携行するようにした。車は弟のオデッセイである。出発間際、車庫でチェーンを探していると、父が「これだろ?」と黄色の箱を渡してくれた。中身を確認すると、硬質ゴム製のチェーン一式が入っていた。「おお、これだこれだ」とよく確認もせずにトランクへと積み込んで出発した(これが後でとんでもないことになった)。

ホテル到着は8時過ぎ。すぐに選手たちに夕食を取らせようと思ったが、ホテルのフロントに聞いても、「さあ、近くのレストランとかはもう閉まってると思うんですけど」と、何ともつれない返事であった。ホテル付近の地図をもらい、近くの何とか食事ができそうな店まで行ってみることにした。やはり、どの店も閉まっていた。仕方がないので、もう一度ホテルに戻って、車で郊外のファミレスまで走ろうかとも考えていた矢先、ホテル付帯施設の飲食店の看板が目に入った。メニューをよく見てみると、どうやら食事もできそうな感じがする。すぐに店に入って確認すると、「食事できますよ、どうぞ」とのお返事である。ったく、たぶん経営しているのはホテルとは違う業者だからそうなると想像されるが、もう少しホテルのフロントには気を利かせてほしいものだ。

そうやってひと段落したところへ電話が入った。「チーム・ワタナベ」の一員であるゴトウ先生からだ。そのままホテル近くの居酒屋へと移動し、同じく一員のリョウセツ先生とも合流して、一杯酌み交わしながらソフトテニス談義に花が咲く。岐阜県は、近年ジュニア選手の台頭が著しい。そんな選手や保護者、コーチらと折り合いを付けていく中学校の顧問も大変である。そんな話をしながら、気がつけば2時間の余。先生方とは、互いに「マイミク」になることをお約束して解散する。

明けて、土曜日。試合会場は市の総合体育館。ホテルからは車で10分もかからないところにある。天気予報を確認すると、どうやら昼前から雪になるようだった。やな予感がした。試合は、3ブロック3チームによる予選リーグと、順位別決勝リーグ。最初は岐阜市のM中との対戦であった。ベンチの監督さんは、と見ると、何とオクムラ先生であった。今から10年以上前の、岐阜中津川東海大会でお世話になった先生である。互いに旧闊を叙し、近況を報告し合う。

予選リーグも終わる頃、雪が降り出した。初めは積もりそうもない粉雪であったが、そのうちに風がなくなってしんしんと降り積む雪に変わってきた。「ねえ、これってヤバくない?帰れなくなっちゃうってことない?」と、渡辺先生やゴトウ先生に尋ねるのだが、「ま、どってことないでしょ」とのんびりした返事である。半信半疑だったが、地元の人たちが言うのだから、そんなに心配することもなかろうと思っていた。それでも、試合順序だけは早めてもらうようお願いをした。

結局、本校は予選リーグを1位で通過し、1位リーグも全勝して優勝することができた。最後の対戦は、何と地元の小学生チームだった。多治見のジュニアは強いとの噂だ。確かに、手強い相手だった。小学生独特の「飛んでこないボール」とロブ、前衛の堅いディフェンス、それに思い切りのいい後衛のトップ打ちに翻弄され、3組ともタイブレークの末にようよう勝つことができた。多治見ジュニア、恐るべし。先日行われた浜松市の1年生大会決勝よりは、数段高いレベルのテニスを展開していた。

その対戦が終わって外を見ると、一面の雪景色に変わっていた。これはすぐに帰らないとまずいと直感した。車の屋根には、既に10センチ以上の雪が積もっていた。すぐに選手たちに挨拶をさせ、荷物を積み込んで出発した。

出発前、ゴトウ先生がインターネットで調べた道路情報を教えてくれた。中央道から東名への合流地点が大渋滞、環状道は豊田松平インターから先が閉鎖されているとのことであった。困ったことになったと思った。それでも、大渋滞の中へ突っ込んでいくわけにはいかない。とりあえず、環状道を走れるところまで行って、そこから先は一般道を走ろうと思った。

体育館から環状道の瀬戸品野インターへと向かう。雪はどんどんひどくなる。はたして、瀬戸品野インター手前の峠道で前走車が止まってしまった。その数台先に止まっている車が道を塞いでいる模様だ。反対車線は峠道を降りてくる車がひっきりなしだ。しばらくは動きそうにないので、車を道端に寄せ、念のためにチェーンを装着することにした。

そのうちに、無理に反対車線に出て追い越しをかけようとした車と、上から降りてくる車のドライバーとが、「てめえ、どきやがれ!」「てめえこそ道あけろや!」と、互いに罵り合いを始めた。そのため、下りも止まってしまった。仕方がないので、罵り合っているところまで行って交通整理をすることにした。互いにいいトシをしたオジさんたちである。見苦しいものだ。ようやく下りが動き出したので、再び車のところまで戻ってチェーンを装着作業にかかる。

説明書を見ながらやってみるのだが、どうもうまくいかない。悪戦苦闘していると、反対車線の車を避けながら上ってきてすぐ前に止まった車からドライバーが降りてきたので、「すみません、チェーンの付け方教えていただけますか?」と尋ねると、「おお、いいよ」と手を貸してくれることになった。と、「ねえ、このチェーンだけどさあ、タイヤの大きさに合ってないんとちがう?」と言われる。「え?そんなことはないと思うんですが…」と箱を持ってきて確かめると、はたしてタイヤのサイズとは全然違っている。目の前が真っ暗になった。

まさか、この峠道の車の中で一晩過ごすわけにはいかない。「JAFに頼んで、チェーンを持ってきてもらったら?」とその人がおっしゃったので、すぐに電話を入れたのだが、何度かけても話し中でつながらない。こうなれば、頼める人は渡辺先生だけだ。電話をしてみた。事情を話すと、「いいですよ、何とかしますね」とのお返事であった。地獄に仏を見た思いがした。しかし、この渋滞の中を、ここまでどうやって持って来れるのだろう。

そんなことを考えていると、また下りが止まってしまった。業を煮やしたのだろうか、上から徒歩で降りてきた若者が、下り車線に出て上ってこようとする車の前に立ちはだかって、「道をあけろボケ!脇へ寄らんかい!このクソ!」とやり始めた。なんでこうなのだろう。人間の思い切り醜いところを見た思いがした。

でも、そのおかげか下りが流れるようになり、上りも少しずつ動くようになった。あんまり渡辺先生にも迷惑をかけられない。幸い、まだ道は圧雪も凍結もしていなくて、路面はチェーンなしでも十分に走れる状態だ。前の車のドライバーが、「俺ら先に行って道の状態とかケータイで教えるから、電話してや」と名刺をくださった。豊田市で製土業を営んでいる社長さんだった。緊急事態のときに、人間がどんな行動をとるのか、その類型が何となくわかった気がした。

しばらくして、件の社長さんに電話を入れてみた。「下りも信号のとこで止まってるけど、峠は越えられそうだよ」とのことであった。このまま渡辺先生を待とうか迷っていると、後ろのトラックのドライバーが、「おめえが動かねえから詰まってんだよ、このヤロー!とっとと動きやがれ!」と怒鳴りだした。仕方がないので、上ってみることにした。

2台前のトラックが轍を作ってくれていたので、それを外さないように慎重に運転し、峠道を越えることができた。渡辺先生から電話が入った。「準備して向かってますが、渋滞で動けません」とのことだったので、「とりあえず、峠を越えることができたんで、このまま行けることまで行ってみます」と連絡を入れると、「じゃあ、もうしばらく走られて、どうしてもチェーンが必要な状況になったら、また電話してください。抜け道とか通って行きますから」とおっしゃってくれた。ありがたさに言葉がなかった。

そのまま、瀬戸品野インターに辿り着いた。しかし、無情にも「土岐〜四日市間通行止め」との案内が出ていた。こうなったら、一般道を走るしかない。すぐにナビの設定を変えると、何と音羽蒲郡まで走る設定になっている。「到着まで、3時間50分ほどかかります」などと言う。「アホかこのナビ、どう考えても東名三好か豊田インターの方が近いじゃんかよう」と思い、とりあえず豊田インターを目的地に設定した。もうこの頃には、雪は雨に変わっていた。渡辺先生に、「もう大丈夫です。高速道は走れないけど、のんびり一般道を走って帰ります。雪も雨に変わってきてるんで、チェーンも必要ないと思います」と電話を入れた。

そのまま1時間ほど走って、豊田インターに近づいた。しかし、インターに入る車の流れがない。ナビのVICS情報を確認してみると、何と東名上りは岡崎までインター閉鎖になっていた。愕然とした。これでは何時に帰り着くのか見当もつかない。その旨を保護者に連絡し、とりあえず音羽蒲郡まで走ることにした。ここまでで、既に3時間ほど経過していた。音羽蒲郡を選択したナビは正しかったのだ。

途中、見知らぬ番号から電話があったので出てみると、はたして渡辺先生であった。チェーンを持ってく途中に、どうやらケータイを落としてしまったらしい。何とも申し訳ない気持ちでいっぱいになる。さらには、浜松のオーツボくんからも電話が入る。この日は、7時から例会の予定だったのだ。とても行けそうにない旨、他のメンバーにも伝えてもらうように頼む。

岡崎市内に入ったのは8時過ぎ。何とか帰り道の目処が立ったので、夕食を取ることにした。食事をしてやや緊張感がほぐれると、腰の辺りが痛みだした。しかし、そうも言ってられない。まだ帰り着いたわけではないのだ。音羽蒲郡インターに入るには、国道1号線を走行しなくてはならない。その国1が大渋滞であった。それはそうだろう、東名を走れない東行きの車はすべて音羽蒲郡インターを目指しているのだから。

ようやくにして音羽蒲郡インターに到着、東名に入ることができた。これが東名?と思えるほどに車はほとんど走っていない。まるで映画を見ているようだった。と言うか、ここに至るまでの経過そのものが、映画そのもののようであった。

浜松着は10時。通常であれば2時間弱で帰って来られるところを、3倍の6時間以上かかってしまった。学校近くのコンビニまで保護者に迎えに来てもらい、明日は休みだから十分に体を休めるよう指示して解散する。渡辺先生にも、無事到着の電話を入れ、感謝とお詫びの意を伝えた。相当疲れていたのだろうが、家に帰ってもしばらく興奮状態が続いていて、この日はなかなか寝付くことができなかった。

翌日(昨日)、その渡辺先生からメールが入った。落としたケータイが、融けた雪の中から出てきたとのこと、また、わざわざ購入したチェーンもお店で返品できたとのことであった。よかったよかった!

でも、もう多治見には二度と行きたくない。どうも方角が悪いのだと思う。もちろん、渡辺先生をはじめとする「チーム・ワタナベ」の先生方にも含むところはない。あの雪の中でのいろいろなことが、どうやらトラウマになってしまったようなのだ。加えて、今月に入ってからムズムズしていた鼻の奥が、今回の遠征から帰ってひどい花粉症の症状を呈するようになってきてしまったのだ。それがあの峠道の杉木立の所為というわけではないのだけれど。渡辺先生には申し訳ないが、「やっぱり多治見には行きません」宣言をさせていただく。あしからず。