スーさん、音楽について語る

11月16日(金)

アクトシティ浜松の大ホールにて開催された、マリス・ヤンソンス指揮、バイエルン放送交響楽団の演奏会に妻と出掛ける。プログラムは、R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」と、ブラームスの交響曲第1番。

浜松は「音楽の街」などと標榜しているが、それはあくまで楽器製造の街という意味での「音楽の街」であって、比較するのも憚られるが、ウィーンなどとは似て非なる街であることだけは確かなことである。現に、オーケストラの演奏会だけを例にとってみても、多少は高額でもぜひ聴きに行きたいという演奏会など、少なくとも手前が大学卒業後に帰浜して以来皆無である。

浜松は工都なのだ。むしろ、「ものづくりの街」を表看板に掲げた方がよろしかろうと思われる。何の得になるのかわからないクラッシック音楽などを聴くより、何か日常生活の役に立つもの、それを製作することで毎日の生活の糧が得られるものへの関心の方が高いのである。

そんな事情は、お金のかかるオーケストラ演奏会をプロモートする各音楽事務所には、たぶん先刻ご承知のことで、だから「浜松はスルーしようぜ」ということになるのであり、欧米の名だたるオーケストラの浜松公演など実現の運びとはならないのである。

そういう状況の中、今回のヤンソンス・バイエルン放送響演奏会のポスターを夏休みに目にしたときは、「えっ?」と思わず絶句するほどの驚きであった。すぐに主催する文化振興財団職員でもある不肖の妻に、いかなる手段を講じてもチケットを入手するよう依頼をしたのである。

演奏会は午後7時開演であった。帰宅する前に、「そうだ、演奏者がよく見えるよう単眼鏡を購入しよう」と思いつき、近くのホームセンターへ。その単眼鏡を上着の胸ポケットに忍ばせ、この日は休みを取っていた妻の車で一路アクトシティへ。席はどこでもいいから、と言っておいたのだが、妻の購入した席は何と3階席だった。単眼鏡を購入したのは正解だったのだ。

演奏会は「ツァラトゥストラ」から。かの映画「2001年宇宙の旅」の冒頭で使われ、一躍有名になった曲である。はっきり言って、手前はR.シュトラウスのオーケストラ曲がキライである。何て言うんだろう、同じような場面がくどくどと繰り返されて話が進んでいかない小説を読んでいるような感じなのだ。この交響詩も、手前は、有名な冒頭部分以外は冗長で退屈な曲という印象であった。たぶん標題音楽であろうから、シュトラウスがニーチェの原作のどの部分を作曲したのか詳しく知ればもっとおもしろく聴けるのかもしれないのだけれど、どうもそんな気にならないのである。その「ツァラトゥストラ」が終わって15分間の休憩。演奏は悪くなかったと思う。しかし、いかんせん曲が…。

後半はブラームス。もちろん、楽団員もブラームスの方に力が入るだろうという予想であった。そのブラームスが始まった。第1楽章、瞑目して出だしを聴く。うーむ。ちょっとテンポが速めか。あっさりした印象であった。ここは、北ドイツの陰鬱な空(見たことあるんです、実は)のイメージで演奏してほしいところなのだ。しかし、どうしてやや速めのテンポで演奏したのかは、このあと終楽章を聴いて納得した。

第2楽章。もちろん、聴き所は第1ヴァイオリンのソロである。徐に単眼鏡を取り出し、コンサートマスターにピントを合わせる。楽章も終わらんとするところ、ホルンとの甘美なソロの掛け合いを交互に見る。ソロがヴァイオリンだけになったところで、再びコンマスを注視。最後のフェルマータのボーイングを見るためである。きっちり、下げ弓が先端部になったところで曲が終わる。絶妙。

バイエルン放送響は、木管楽器に名手が揃っているという印象であった。その木管楽器のソロが聴ける第3楽章。軽快なリズムに乗って、クラリネットがオーボエが、それぞれ見事な音色を聴かせてくれる。そうして、アッタカで終楽章へ。

ブラームスの1番は、何と言ってもこの終楽章に尽きる。主題を引き出す前の序奏を聴いていると、第1楽章の気分が序奏の中に散りばめられていることに気づいた。テンポはぴったりである。この終楽章のテンポで第1楽章を始めたのだ。ヤンソンス、侮り難し。そうして、主題を引き出す前の有名なフルートのソロ!もちろん単眼鏡でフルート奏者を見ていたのだが、思わずレンズが曇ってきてしまった。不意に涙が零れていたのである。続く、トロンボーンの厳かなコラール、そして一瞬の静寂後、全ての弦楽器が満を持して主題を奏でる!

この主題こそ、ドイツ・オーストリアのオーケストラでなくては、ブラームスが求めたであろう音色で奏でることができないものであろう。日本やアメリカのどれほど著名なオーケストラであろうと、この主題を「ブラームスの音」で弾くことは不可能である。この主題の音色は、ドイツ・オーストリアの民族固有のDNAを持つ人々にしか出せないものなのである。もちろん、バイエルン響の弦楽セクションなら、造作もないことなのであった。

最後の和音がホール一杯に響き渡って、ブラームスが終わった。じっくりその和音の残響を味わいながら、拍手喝采。及ぶこと数度にわたるカーテンコールに応えてアンコール。再び拍手喝采!終演後も体に響きの余韻が残るすばらしい演奏会であった。

帰途、遅い夕食を外食しながら、妻が曰く、「いやあ、あのフルートのソロ、痺れたわよねえ」と。妻も同様に感じていたのだ。あるレベルを超えて奏でられた楽の音は、多くの人の胸を打つことができるのである。妻が言うには、一緒にオケの演奏会に行くのは、静岡まで小澤征爾と新日フィルを聴きに行って以来だそうだ。「大オーケストラの演奏って、ほんとうにいいわよねえ」としきりに言っていた。違うのだ、バイエルン響だったからよかったのだ。

ヤンソンスのことも少々。指揮はうまい。演奏者に親切な指揮ぶりである。曲のまとめ方もスマートで、人によっては淡泊な印象を持つのかもしれないが、ツボは押さえている。聴かせどころもわきまえているし、何よりオケ全体をよく歌わせる。こういう指揮ぶりが、「今風」なのかもしれない。

浜松のことに戻る。「音楽の街」を喧伝したければ、現在浜松にあるようなアマのオーケストラではなく、アクトシティ浜松の大ホールをホームにするプロのオーケストラを発足させるべきである。もちろん、指揮者は厳選する。さほど名が売れているわけではないのだが、実力があって将来を嘱望される若手を登用するのだ。そうして、定期演奏会のみならず、夏の野外演奏会など、あらゆる機会を捉えて市民に認知してもらえるような活動を展開する。その結果、浜松市民がそのオーケストラを、「我が街のオーケストラ」と胸を張って言えるようになる。そうなったときこそ、浜松は名実ともに「音楽の街」となっているのだ。

先日、「ベルリンフィルと子どもたち」という映画を見た。その中で、指揮者サイモン・ラトルが以下のように言っていた。
「いまベルリンでは、かつてない規模で経済破綻が進んでいる。芸術は、存続のために戦わなくてはならないだろう。我々は行動を起こさねば。これからの時代を生き残るためにね。
この狂った時代、人々は芸術全般に生きる意義を見い出すだろう。人としての意義、存在する意義…素晴らしい音楽を聞けば分かるんだ、“自分はひとりじゃない、この思いを誰かと分かち合える”って。
音楽なしでは人は孤独で、社会的に機能しなくなり文化的でもなくなるだろう。
誰にでも音楽は必要なんだ。そして可能な限り自分を高めるられるんだ。もっと言えば私は音楽が人と人を隔てるのではなく、結び付けることができるとも伝えられると思うんだ。
音楽をやっている皆が、言葉がなくても何か大きな真理を音楽で伝えられると信じている。ただの理想なんかじゃないよ、本当にそうなんだから。」

芸術音楽は人を結びつける。その結び目の中心に街のオーケストラがある。浜松も、そんな街になってほしい。