とっても濃い一週間

10月22日(月)

贅沢とは、「ものごとが必要な限度を越えていること」という意もある(@広辞苑)。湯殿高窓から零れてくる日の光を浴びながら、誰もいない湯船で、それこそ「必要な限度を越えている」源泉を独り占めすること。これを贅沢と言わずして何と言おう。

西伊豆松崎、大沢温泉ホテルの湯温は摂氏41度。決して熱い湯ではない。確かに、冬場の湯上がりには多少の寒さを感じるのかもしないが、むしろ程よい温かさと言うべきであろう。暫く湯中にいると、そのうちに自分の体と湯水との境界が溶解していくような錯覚を起こしてしまう。母親の胎内にいる感覚とは斯様なものかと思う。

湯上がりの芯から温まった体を、西伊豆山海の幸が迎えてくれる。数多の馳走も、じっくり時間をかけて飲み且つ食していくほどに、知らず一品残らず平らげていることに気づく。陶然たる食後。睡房に入る前にラウンジにて一盞。二更、閑適のうちに眠りへと誘われる。

翌朝、朝餉の前には屋上の露天風呂へ。紅葉には未だしの山を借景にして、周囲に薄を配した湯気の立つ湯船には朝陽が的歴と降り注いで明媚。湯上がりの朝餉の膳は、那賀川の鮎雑炊に駿河湾の焼鯵、鹿尾菜に香の物。飯が進む。

もちろん、伊豆には此処以外にも佳宿が数多くあろう。年ごとにそんな宿を探し求めてゆくのも一興ではあるが、逸興の情昧が確実であるならば、敢えて他宿を探すこともないのではないか。此処に投宿していると、宛然、少年の頃に住まいしていた浜名湖畔の住居にいるかのような思いにとらわれるのである。

旅程の決まった旅にも、小さな発見はあらまほしきものである。今次は、西伊豆宇久須にある旗亭「八起」の小鰺寿司と、堂ヶ島の嶼遊覧船、河津の大滝が格別であった。中でも、小鰺寿司は「八起」のご主人自らの御考案なされた一品である。たたきのように玉葱と生姜を添えられた小鰺が、握られた鮨飯の上に載せられている。全体にちょっと醤油を落としていただく。美味。いくつでも食べられそうな気にさせられる。

帰路の昼餉は、不肖の妻がどうしても小海老の掻揚げを食べてみたいということで、焼津港東入口近くの旗亭「かどや」へ。以前一度だけ訪れたことがあるこのお店は、港近くという立地もあり、特に海産物の献立が充実している。どれを頼んでも、滋味に富んでいること請合いである。手前は刺身の定食を頼んでみたが、定番の鮪や鰤がそれぞれ蕩けるようなやわらかさだ。妻の頼んだ掻揚げも、結構な大きさなのだが、まるで菓子のように食べられてしまう。機会があれば何度も再訪したいお店である。

さて、週末の金曜日からは、地元浜松の花川運動公園庭球場にて開催される「第62回全日本ソフトテニス選手権大会」に役員参加。仕事は、会場2カ所に設置された組み合わせ掲示板に、逐一試合結果を記入していくことである。合間に、現在の日本ソフトテニス界における、最高峰の技術・戦術を拝することができる希有の機会である。もちろん、土日は本校のソフトテニス部員たちにも参観を呼びかけてあった。観戦した感想を尋ねると、どの選手も目を輝かせてその感嘆ぶりを語ってくれた。何よりである。

土曜日は、その役員仕事を午前中に済ませ、オノちゃんアルファードに総勢7名が乗り込んで、一路神戸へ。内田先生の小林秀雄賞受賞記念奉祝宴に参加するためである。会は晡時からのスタートであったが、開宴1時間半前には到着。今回は、宿を取るのに苦労した。神戸三宮には土曜日の宿が皆無だった。仕方がないので、最近は定宿になりつつある塚本のオークスリーゼに投宿。ここから三宮までは、JRで約半時間ほどである。

開宴までの時間を、三宮センター街ジュンク堂で過ごす。高橋佳三さんの『古武術for SPORTS 2』(スキージャーナル社)を見つけたので、他の支部員たちにも紹介して即購入。もちろん、内田先生の『村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)も忘れずに。他に、『古人往来』(森銑三/中公文庫)と『置き去りにされる人びと』(村上龍/幻冬舎文庫)。書物の袋を抱え、宴会場である「神仙閣」へ。場所がよくわからなかったので、カンキくんに連絡を入れると、わざわざイワモトくんが迎えに来てくださった。

程なく到着。それにしても、神仙閣は一流ホテルかと見紛うほどの、まさに大楼であった。会場の階に上がると、大迫力くんが受付をしている。契濶を陳べて会場内へ。すぐさま、出し物の音曲装置についての確認をする。どうやら、隣室からの遠隔操作になりそうであった。

参加者が陸続と参集してくる。お祝いの会とあって、どの人もそれなりの服装である。そう思って、事前に服装については主宰ホリノ社長にも問い合わせておいたのだが、「当日は普段着でオッケーです」という社長の返事のままに参加した自らの愚昧さを悔いた。どうも我ら浜松支部だけが浮いてるような気がしてきた。やれやれ、これでは出し物もうまくやれるか甚だ心許なくなってきた。

宴が始まった。司会はドクター。開宴の辞はだんじり親分。もちろん、先生からも受賞の辞が陳べられる。暫し会食。「御祝儀」と銘打たれた出し物は、我らが浜松支部が嚆矢。早く酔っておかねば、とビールを急ぎ痛飲し、この日のためにわざわざ練習日までも設けて準備してきた「マイムマイム」を披露。途中、やはり音曲との合わせがうまくいかなかったりしたが、無事し終えることができた。実は、社長からは、「知的かつ大胆かつ盛り上るネタを、ひとつよろしくお願いします」などと難題を課せられていたから、愚案を練るのにも苦労した。とにかく安堵。

続く「御祝儀」の数々は、そのどれもが内田先生への景仰の情に溢れた歌あり語りあり、特段、カワカミ牧師による「本部連盟会歌」の公開並びに、弾き語りによる「内田先生頌歌」たるや切々、楽しく笑いさざめきながらも、頌歌の一節を皆で唱和していくうちに、先生への欣慕の思いは弥増していくのであった。

初更、欣快の宴も画伯による中締めとなる。佳宴であった。遠路浜松から出向いて本当によかった。二次会の予定はないということであったが、だんじり親分が近くの雀荘を見つけてきてくれたので、麻雀組はそちらに移動して、5卓を占めることになる。そろそろ終電ということもあり、三更前に麻雀はお開き。カンキくんとともにタクシーでお帰りになる先生をお送りして、吾々も宿舎へと戻ることにする。

翌朝は、部活(ソフトボール)の大会があるとのことで、新大阪駅始発の新幹線で浜松に戻ったオーツボくんを除く6名、それぞれ朝餉もそこそこにアルファードへと乗り込んで、急ぎ浜松へと戻る。全日本選手権の最終日、特に準決勝〜決勝戦を見逃さないためである。

8時に塚本を出、途中朝食を摂りつつ浜松に到着したのは正午。正しく準決勝の最中であった。何より、まず日本連盟の役員控室に赴き、元神戸松蔭女子学院大ソフトテニス部監督であった表先生に無沙汰を侘びる。表先生こそは、手前のソフトテニス指導における第一の先達である。先生にお会いするのは、客歳夏の全国中学校大会以来。お元気そうで何よりであった。

男女の決勝戦の模様は、次週日曜日のNHK教育TVにて放映の予定だそうだ。TV放映用に人工芝の砂をだいぶん取り除いたセンターコートにて、その決勝戦を観戦する。男女とも、それぞれ見応えのあるすばらしい試合であった。ソフトテニスのおもしろさを、あらためて実感させてもらった。

大会を通じ、どの役員もすばらしい働きぶりを見せたと思われるが、そうさせたのは、全国から参集した心からソフトテニスを愛する人たちとの出会いであったと思う。その試合ぶりを通じて、自らもソフトテニス同好の士であることの誇らしさを感知させられた。得難い機会であった。

斯くして、濃い1週間が終わった。1年のうちでも、これほど濃い1週間はなかったのではなかろうか。今回こそは、その疲れも心地よいものであった。