断腸亭日乗単語帳

10月初二(火)

長月尽日、市中学校新人ソフトテニス大会予選リーグが行われるはずであったが、早朝からの雨で試合は中止となった。練習は休みにしょうかとも思ったのだが、午後から本校の体育館が空いていることがわかり、午下体育館にて練習。

オノちゃんとシンムラくんに、「よろしければ一緒に練習どうぞ」とメールしておいたのだが、シンムラくんは午前中雨中巳刻近くまで練習したとのことで、オノちゃんだけが練習の見学に訪れた。「生徒も連れてくればよかったのに」と言うと、「いや、ちょっとまだそこまでの段階では…」とのこと。オノちゃんは今までずっと男子の顧問で、今年から初めて女子の顧問となった。その指導方法の違いに戸惑うことも多いのだろう、なかなか思うようにレベルアップが図れず試行錯誤の毎日のようである。

そのオノちゃん、本校選手の練習を見ながら、「いやあ、やっぱ男子はいいっすよ」と感心しきりである。「それに、練習内容も進化してますよね」と言っていた。オノちゃんは、今まで女子の指導をしていた手前の練習を、生徒を連れたり連れなかったりしながら何度か見に来ていた。その時に見た練習に比べて、また違う印象を持ったようだ。何かしらヒントになることを得てもらえれば幸いである。

練習終了後、書店に立ち寄って、茂木健一郎の対談本を2冊購入する。先日読んだ『音楽を「考える」』(ちくまプリマー新書)がおもしろかったからである。今回購入したのは、『日本人の精神と資本主義の倫理』(波頭亮との対談、幻冬舎新書)と、『フューチャリスト宣言』(梅田望夫との対談、ちくま新書)。

『フューチャリスト宣言』から読み始めた。いやあ、おもしろい!茂木健一郎のやや破天荒とも言える突っ込みもさることながら、梅田望夫氏のレスもいい。読みながら、その梅田氏による『ウェブ進化論』(ちくま新書)も読みたくなって、すかさず購入してきた。

その『ウェブ進化論』であるが、まるで異世界の話を聞くような印象であった。と言うか、「あちら側」で生起していることについては、想像することすら困難であるような気がした。まだ読了していないのであるが、3分の1ほど読んだだけでも、どうやらネット上ではとんでもないことが起き始めているということだけは感じ取ることができた。広く読まれるべき著作であると確信する。

今月に入り、ほぼ一月続いた溽暑もようやく収まる気配を見せ始めたことから、読書には程よい時節到来となった。特定の著作を一気に読むのもよいが、大冊をちびりちびりと読むのを一興である。職場の机上に置き、ちょっとした時間を利用して読んでいると、知らぬ間に頁が進んでいることに驚かされることがあるのだ。

今、几案上にあるのは、『講孟劄記』(吉田松陰/講談社学術文庫)、『文読む月日』(トルストイ、北御門二郎訳/ちくま文庫)、『文章軌範』(新釈漢文体系/明治書院)等である。中でも、その面白さからかなりハマっているのが、『断腸亭日常』(永井荷風/岩波文庫)である。

手前は、国語の教師である。であるにもかかわらず、『断腸亭日常』を読みながら、こんなにも未知の言葉が多いものかと、悵然たる思いにさせられた。蓋し、日記の書かれたのは大正から昭和にかけてである。なのに、いちいち辞書を引かなければ語意の判明しない語彙数多となれば、何とかせねばとの切なる思いが湧き上がってくる。

そこで、恥ずかしながら、単語帳を作ることにした。『断腸亭日常』中の見知らぬ語を、片っ端から五十音順の単語帳に記載していくことにしたのである。もちろん、そんな単語帳など市販されていないので、手帳に使用しているメモ用紙を単語帳に仕立て上げ、「あ」〜「わ」までのインデックスを付けて、使い勝手がいいようにしてみた。

使い始めて1ヶ月半足らず。もちろん、各五十音には1頁を配当してあったのだが、既に「し」の項が満杯になってしまった。どうやら、荷風氏は「し」から始まる熟語を多用している模様である(ほんとかよ)。まだ、上巻の3分の1ほどしか読んでいないにもかかわらず、である。

しかし、何を隠そう、「ったく、こんな字、電子辞書の漢字辞典にも載ってないじゃんかよう」と言いつつ、ネットも駆使しながら発見したときのヨロコビたるや、多とすべきものがあるのだ。何と楽しいことであるか!もちろん、内容がおもしろくなければ、斯様なことは持続するはずはない。それだけ、読ませる日記であるということなのだ。

それにしても、もちろん手前も含めて、語彙の乏しさ、特に漢語についての無知ぶりには忸怩たるものを感じさせられる。日本語のリテラシーも、この1世紀足らずの間に、かなりレベルダウンしたと言うべきではなかろうか。国語教師としての反省と研鑽の意味も含め、この拙「うなとろ」にても、できるだけ「単語帳記載語」を使用していきたいと思うのである。