スーさん、最後の夏休み

8月30日(木)

○神戸元町別館牡丹園の中華料理は、激美味だった。
○先生の新居は、周りが閑静でよいところだった。
○麻雀は、勝てなかった。
○先生のBMWの中での会話は、生涯忘れることのできないものになるであろう。
○出石の皿そばは、町おこしの一環で始まったことを初めて知った。
○城崎温泉「湯楽」は、値段もリーズナブルでいい宿である。
○城崎温泉外湯の一つである「御所の湯」は、広くて新しくて気持ちのいい湯である。
○コウノトリを、生まれて初めて見た。
○鞄を買うなら、豊岡市へ。
○玄武岩は、人工的に組成されたような岩石である。

今回の「城崎極楽温泉麻雀ツアー」の顛末をキーワードにすると、以上の十箇条にまとめられようか。楽しく、そして充実した3日間であった。

オノちゃんのアルファードで浜松を出発したのは、日曜日(26日)の朝。いつものうなぎ屋さんでその日の朝一の白焼きを積み込んで、東名をひたすら西へ。同乗者は、私とヨッシーとオーツボくん。アルファードの所有者であるオノちゃんは、その日の午前中に資源物回収があるということで、後から新幹線で追いかけることになっていた。

その日の宿舎である神戸元町のプラザホテルに到着したのは、ちょうど昼の12時過ぎ。すぐに、「鉄火場」アオヤマさんお薦めの「別館牡丹園」に電話を入れる。「1時ごろにという予約だったと思いますが、今からすぐ行ってもいいですか?」と尋ねたところ、「あ、はい、いけますよ、どうぞ」と、快諾のお返事である。それまで、途中のSAでも一切の間食とかはせずに、ひたすらこの昼食を楽しみに神戸までやってきたのである。さっそくホテルに荷物を預け、逸る心を抑えつつ別館牡丹園へと向かう。向かうも何も、別館牡丹園は、プラザホテルのすぐ裏であった。

入店の前に「それでも昼メシだしなあ、ちょっと飲んで2〜3千円ってとこか」などと昼食の予算を考えていた自らの臆見を恥じた。何と、結局3人で18Kほど飲み食いをしてしまったのである。食した料理は、蒸し鶏、ピータン、パイクーの豆鼓炒め、牛肉と木耳とニッコウキスゲのつぼみ炒め、酢豚、小海老の天ぷら、焼売、葱そば、炒飯の以上9品。もちろん、これらの料理以外にビールを大量摂取したことは言を俟つべくもない。

紹介してくださった「鉄火場」アオヤマさんが、「どこにでもあるメニューも驚愕の旨さです」とおっしゃっていたので、酢豚や焼売、炒飯なども注文したのだが、まさにその言葉どおりであった。手前は特に「葱そば」が激うまであった。というか、今まであのような料理を食べたことがなかった。うう、今こうやって書いているだけでそのうまさが思い出されて、自然と口中に消化液が分泌されてくるほどである。

そんなことで、ヨイヨイになって先生宅へ向かったのが夕方。阪急御影駅で下車すると、ちょうどカンキくんと合流する。開口一番、「すんごくお酒くさいんですけど」と言われてしまう。仕方がないのだ。あんなに美味しい料理を前にしては、酒を飲むなと言う方が無理なのだ。一緒に近くのスーパーに酒類やつまみやらを買い出しに行き、先生宅へ。

ちょうど先生宅の近くでドクター夫妻とも合流する。ドアを開けると、出迎えてくれたのはウッキーであった。どうやらウッキーには、うなぎの匂いを感知する特別な器官が備わっているようである。既に、画伯やアオヤマさんや平尾くん、ジロー先生がいらっしゃった。そのうちに先生がお帰りになって、みんなで乾杯!

麻雀は、3卓でスタートした。手前も含め、「別館牡丹園ヨイヨイ組」の3人は撃沈。支部で唯一気を吐いたのは、その激うま昼食に間に合わなかったオノちゃん。一緒に囲んだだんじり親分も、その強さについ唄が出てしまうほどであった。「明日もあるから」と、先生宅を辞去したのは11時過ぎ。先生から、来月出版される『私の身体は頭がいい』(文春文庫)をサイン入りでいただいて、宿舎へと戻る。

明けて27日は、9時過ぎに先生宅へお迎えに行くことになっていた。前日、神奈川県で知人の結婚披露宴に参加していたため、この日の朝一の新幹線で神戸までやってきたシンムラくんを新神戸駅で拾って御影へ。

先生にお迎えの電話を入れると、「じゃ、すぐに出発しましょう」ということであったが、前日に先生から「一緒に城崎に行きませんか?」と誘われた画伯がお見えになっていない。先生が電話を入れると、どうやら画伯は昼過ぎに神戸を出発すると思っていたらしい。今からすぐに行くからということで、画伯が到着するまで一同先生宅にて待つことになった。先生が入れてくださったコーヒーをいただきながら、先生と画伯の出会いの経緯などを詳しくお伺いする。

ほどなく画伯も到着されて、一路昼食場所である出石へと出発。手前は、画伯と一緒に先生のBMWに同乗させていただいた。2年前も同乗させていただいたのだが、今回は画伯も同乗ということもあってか、あまり緊張せずに楽しくいろいろなお話を聞かせていただくことができた。得難い時間であった。こうやって楽しく話をしていくと、時間が過ぎるのは速い。1時過ぎに出石に到着し、実家に里帰りされていた沼津のコヤタ先生が待つ「甚兵衛」へ。もちろん、名物である皿そばの昼食である。コヤタ先生のお話では、出石の皿そばも、町おこしの一環で始まったらしいとのこと。知らなかった。昔からの名物だったとばかり思っていたが、そうではなかったのだ。しかし、だからと言って皿そばのおいしさが減じるというものではない。たっぷり食べて(飲んで)、城崎に入る。

チェックインして、すぐに外湯へ。外はまだかなりむし暑い。浴衣の裾が汗で纏わり付く。どうも歩きにくいと思っていたのだが、先生はさらりと浴衣の裾を絡げてすいすいと先を歩いている。さすがに着物に慣れていらっしゃると実感させられた。入った外湯は御所の湯。滝が流れる露天風呂やミストサウナ、ジャグジーも備えた比較的大きな外湯である。湯はだいぶん熱いのだが、えい!と気合いをいれて入るとそのうちに慣れてくる。熱い湯に入った後は、外を歩いても汗が出てこない。不思議なものである。みんなでかき氷を食べて宿に戻る。

前回もそうであったが、胡座をかいて麻雀をするというのは、足腰が疲れるということで、部屋にあった応接用の机と椅子を持ち出して、何とか椅子に座って麻雀ができるようにしてみた。今回は椅子が2脚足りなかったので仲居さんにお願いをすると、何と低い机にぴったりの高さの椅子を持ってきてくださった。何でも、足腰の悪いお年寄りの方とかに使用してもらうための椅子だそうだ。いい宿である。

麻雀は、総勢7名で行うということで、トップ以外が総入れ替わりでやることにした。出番でないときには、内湯に入ったり、マッサージ機を利用したり、寝たり、テレビを見たりと、それぞれ思い思いに過ごせばよいのである。抜群の強さを発揮したのは、飛び入り参加の画伯であった。途中、内田先生に一度トップ譲ったことと、最後にオノちゃんに点棒を供出し続けて大敗した以外は、すべて画伯がトップであったと思う。いやはや、最近の本部は強い!支部も負けないように雀力を磨かなくてはならない。

翌日は、チェックアウト後に円山川沿いの土産物店にて買い物をして、先生たちとお別れをする。「超」多忙の先生にご同行していただいた今年の「城崎極楽温泉麻雀」も、画伯のご参加もあって、以前にも増して楽しく思い出に残る旅になった。内田先生、画伯、ほんとうにありがとうございました。来年は内田先生がフランスに行かれるので、どうやら「城崎極楽温泉麻雀」は2年おきの開催になりそうですが、次回もぜひよろしくお願いいたします。

さて、先生たちとお別れした後は、のんびりと帰途に就くだけである。城崎や出石のある豊岡市は、コウノトリでも有名である。「ひょっとして、コウノトリが飛んでるとこ見れるかも」ということで、「コウノトリの郷公園」を訪ねた。まさかここで本物のコウノトリが見られるとは思わなかった。次回はぜひ飛翔しているところを見たいと思った。

そこへ行く途中、「玄武洞」なる案内が目に入った。オノちゃんとシンムラくんは理科の先生である。「玄武岩でできているってことですよね」などと、まるで理科の先生のような会話をしている。「じゃあ、見に行こっか」ということで、小雨そぼ降る中を玄武洞へ。石の階段をふうふう言いながら登って見ると、思わず「おおお!」と声が上がった。まるで、六角形の柱を束ねたように玄武岩が積み重なっている。国の天然記念物にも指定されているのだそうだ。そうであろうと納得させられる奇観であった。

そうそう、玄武洞へ行く途中、「かばん製造販売」という大きな看板のある工場があった。行く前からヨッシーが、「豊岡には鞄の自動販売機があるらしいですよ、ぜひ見てみましょう」と言っていた。中へ入ってみると、それこそありとあらゆる種類の鞄が展示販売されている。店員さんの話だと「すべて値札の半額で販売します」とのことである。だったら、最初からその値段を付けておけばいいじゃない、と思うのは「いけず」のもの言いか。「ではここは一つ妻に」ということで、通勤に使えそうな革の鞄を購入。城崎、コウノトリ、鞄と、豊岡市の名物をかなり制覇したというところであろう。今年も楽しい旅であった。

これで夏休みはおしまい、と言いたいところだけど、実はまだあるぴょ〜ん。明日から、妻と二人で伊勢鳥羽方面へ一泊旅行である(実は、今日30日は妻の誕生日で、そのお祝いも兼ねてということで)。天気は悪いみたいだけど、この5月に改装されたばかりの「大人の隠れ宿」と銘打たれた宿へ泊まるのは、何とも楽しみなのである。帰って土曜日は、夕方から高体連ソフトテニス部の先生方と、静岡市にて懇親会。それで夏休みが終わる。悲しい。