スーさんの、夏休みはまだ始まらない

8月1日(水)

県大会が終わった。個人戦で1組のみの参加であったが、残念ながら初戦で敗退、今夏の挑戦は幕を閉じた。

県大会は団体戦からのスタートであったが、その団体戦の日は朝から雨であった。大会役員で静岡市へ先乗りしているヨッシーから、「待機する場所もないのに、生徒は木陰で傘をさして耐えています。雨が降り出す前に(本部には)避難場所もないから中止にしなさいと進言したのに、(大会の)予備日に台風が来るかもしれないという理由で待機しています」という怒りを含んだメールが入った。

すぐに電話をかけた。「こっち(浜松)は、7時を過ぎたというのに、車がヘッドライトを点けて走っているくらいに真っ暗だよ。今にも大雨が降ってきそうだ」などと言っていたら、まもなく激しい雷雨になった。「おい、聞こえる?ものすごい雷雨だぜ。この雷雲がそのうちそっちにも行くんだよ。中止にした方がいいよなあ」とは言ったものの、どうもすぐには中止決定が出そうな状況ではなさそうであった。「もし中止になったら教えてね」と電話を切る。

団体戦が延期された場合でも、個人戦の日程は変わらない。実施できなかった団体戦は、予備日に行われるようになる。それより、こちらの練習をどうするかを考えなければならない。学校の体育館は他の部が使用している。屋根付きコートがある花川テニスコートは、月曜日がお休みである。となると、いつもK中が練習で借用している高丘公園のテニスコートしかない。もちろん、雨が止むということが前提である。

本校の選手から電話が入ったが、また電話するからと待機させておくことにする。そのうちに、雷雨がだんだん収まってきた。雨も小降りになって、遠雷に変わった。雲も少しずつ途切れて、明るくなってきた。ネットで高丘公園テニスコートの空き状況を調べてみたら、第4コートだけが午前11時から午後1時まで使用できることがわかった。すぐにシンムラくんに電話をかけた。「わかりました。今から予約に行ってきます」とレスがいい。選手のところにも電話をかけ、「宿泊できる用意をして10時半に学校集合ね」と連絡を入れる。

10時過ぎ、ヨッシーから再びメールが入った。「中止が決定されました」とのことである。しかし、台風の接近が心配されるため、個人戦もベスト16が出揃うまでは5ゲームマッチに変更して、初日でベスト8、できればベスト4までを出したいとのことであった。波乱の個人戦になるような予感がした。しかし、もう決定されたのだからどうしようもない。その中でどう力を発揮させるかということを考えなければならない。

選手たちが集まってきたので、簡易テントやクーラーボックスやらを積み込んで高丘公園のテニスコートへと移動する。もうこの頃には雨はほとんど止んでいた。これなら練習はやれそうである。11時になって、K中の大将ペアもコートにやってきた。さっそく練習を始める。手前はこの間に、簡易テントをルーフキャリアに縛り付けたり、クーラーボックスを運ぶための折りたたみキャリーをホームセンターまで買い出しに行ったりしていた。

昼食なしで1時まで練習を行い、1時間ほど昼食休憩をさせて出発しようと思っていると、どこやらで見かけた人物がテニスコートに現れた。M中のイケヤ先生であった。浜松から県大会個人戦に出場する女子のペアを集めて、合同練習をするのだそうだ。自分とこの選手だけでなく、そうやって他校の選手たちも面倒見てあげようというところが、いかにも彼らしい。よい先生である(そう言えば、彼も最近は私たちがいつも行く居酒屋の常連客になりつつある)。すると、「先生、もしも午後もコートを使用するなら、僕らは2面借りてますから1面使ってもらってもけっこうですよ」と言ってくれるではないか。いやはや、持つべきものはテニス仲間である。「では、言葉に甘えて」とお願いをする。

シンムラくんと昼食を済ませて帰ってくると、選手たちはもう練習を始めている。ホントに練習が好きな生徒たちである。そのまま4時過ぎまで練習やらゲームやらを行い、コートを融通してくれたイケヤ先生にお礼を言って、静岡市へと移動する。

宿へ到着後は、選手たちは風呂に入って食事をして寝るだけである。その指示をして、ヨッシーに連絡を入れる。支部部長のオーシロくんや、審判員として夕方に静岡入りしたオノちゃんらと、地元の黒はんぺんフライの美味しいお店で合流して小宴。明日の健闘を誓う。

明けて7月の最終日は、前日の雷雨がウソのように晴れて、朝から蝉の声が喧しい。本校の選手たちは、5試合目の登場であった。この個人戦を迎える前には、土日を利用して、沼津のK学園高にて練習やゲームをさせてもらった。スガイ先生にもずいぶんと選手たちを教えていただいた。どれだけ勝てるのかは目算が立たなかったが、それなりの手応えは感じていた。

試合が始まった。最初のポイント、後衛選手がいきなりレシーブを相手前衛にぶつけにいった。しかし、いとも簡単に取られて失点。その後も何度か相手前衛にポイントされて、気がつけば2ゲームダウン。5ゲームマッチだから、既に王手をかけられたに等しい。それでようやくエンジンがかかったのだろうか、続く第3ゲームは競り合いになった。しかし、ここでも要所で後衛選手のボールが入らない。並行カウントになっても、常に相手が先行する状況から、最後はレシーブを前後衛共に連続して失点してゲームセット、何ともあっけない幕切れであった。

2年生ペアだからということもあるのだろうか、どうも勝ち負けに淡泊であるような印象が強かった。もちろん、「最後の大会」に賭ける3年生の執念のようなものを、2年生に求めるのは無理ではあろう。しかし、持てる技術を十分に発揮できず敗戦してしまうのは、本人たちも不本意に感じるのではなかろうか。まだ来年があるからとも言えるが、気持ちの部分でまだまだ改善の余地があることを実感させられた試合であった。

試合に負けたのだからすぐに撤収してもよかったのだが、まだK中の大将ペアが残っている。彼らは、顧問のシンムラくんが三者面談ということもあり、夏休みに入ってから毎日のように本校にやって来て一緒に練習をした。おかげで、本校の2年生たちともずいぶん仲良くなった。沼津のK学園高へも一緒に行った。そんな経緯もあって、彼らを応援してから帰ることにしたのである。

ちらほらと他の試合結果が聞こえてきた。どうやら、第1シードは初戦で飛んだらしい。都道府県対抗戦の県代表ペアも初戦か2回戦で飛んだとのことだ。やはり、戦前に予想していた「荒れる兆候」は随所に顕れているように感じた。しかし、そんなことはどうでもいいのだ。何とかK中のペアにはベスト8に残って、東海大会への切符を手にしてもらいたいと思っていた。

K中ペアの試合が始まった。後衛選手は打ってよし回してよし、前衛選手もいいところでポイントを決める。軽く初戦を突破して波に乗り、そのまま3回戦までクリアしてしまった。いよいよ東海がけの8本取りである。相手は、昨冬の新人戦県大会個人戦、6月の県選手権と制覇して、優勝候補との噂の高いG中の2年生ペア(もちろんジュニアの選手たち)である。相手にとって不足はない。

第1ゲームから競り合いになった。K中の前衛が何本もスマッシュを打つのだが、悉く相手後衛にフォローされて得点できない。逆に、死角を打たれたりして失点してしまう。さすが、噂に違わないだけの技術は持っている選手たちであった。K中ペアも負けてはいなかった。後衛選手がいいコースに打ち、前衛もポイントを決めてゲームカウントを2-1とリードする。しかし、K中ペアの善戦もここまでであった。続く3ゲームを連取され、そのまま2-4で敗戦。要所でミスが出たのが痛かった。

試合後、K中ペアがお礼を言いにやってきた。「いいゲームだったよ。中学校の最後に、いい相手と試合ができてよかったじゃない。二人とも自分のいいところを出せたと思うし、東海大会に行けなかったのは悔しいだろうけど、あれだけのゲームができたんだから胸を張っていいと思うよ」と話した。二人ともいい顔をしていた。「負けて悔いなし」という顔であった。とりあえずほっとした。彼らの今後に、幸多かれと祈りたい。

大会も終わり、「さて新チーム!」と思いきや、県大会の予備日にはU-14の県レベルでの選考会が行われるということで、本校の選手たちを連れて、またもや草薙まで行かなければならない。いやはや、のんびりと読書ができる夏休みは、まだ当分やって来そうにない。ふう。