スーさん、大学院で発表する

6月21日(木)

火曜日は、久しぶりに大学院内田ゼミにて発表の機会をいただいたことから、西宮の神戸女学院大まで。

授業を2時間目まで行い、そこから有給休暇をいただいて、いったん自宅まで車を置きに戻り、バスで浜松駅まで向かって、駅で簡単な昼食を済ませて新幹線に。こうやって内田ゼミに通っていた4年前を思い出す。

新大阪から大阪駅へ、さらに阪急に乗り換えて西宮北口へ、最後に今津線門戸厄神駅で降り、守衛さんのいる正門から坂道をふうふう息を切らせながら登って文学館へ。到着したのは、ちょうどゼミが始まる15分ほど前。

汗を拭きながら文学館入口で待っていると、向こうから顔はどこかで見たことがあるような、しかし風体があまりにも記憶とは違っている人が近づいてきた。ナガミツくんであった。ずいぶん、恰幅のよい身体に変化していた。開口一番、「ついにユニクロの服も着れなくなっちゃいましたあ!」と宣う。そうか、歳月流るるが如く、身体徒に膨張するが如くか。まさに、「かの将軍さまのご子息か」と見紛うばかりであった。

4年前に講義を受けていた教室の前で待っていたのだが、どうも違うらしい。かんきくんにメールを入れたのだが、すぐには返事がない。「でも、たぶんこのへんの教室だよね」ということで、事務室前にてしばらく待っていると、聴講生と思しき男性が数人、事務室向かいの教室に入っていく。「たぶんここだよ」ということで、ナガミツくんが確認を取ってくれた。その教室にて、同じく1期生のワタナベさんとも再会。懐かしい。しばらくぶりに「わが家に帰ってきた」というような感じがする。

開始時刻から10分ほど過ぎて、ようやく先生が入ってこられた。紹介されて教壇へ。「では、お願いします」と言われ、話し始めようとしたのだが、資料がない。先週水曜日に先生のところには送ってあったのだが、どうやらその日は先生が体調不良でダウンされていて、メールのチェックができなかったらしい。とりあえず、発表用に1部持参したものをコピーして間に合わせていただく。

先生がコピーに行かれている間に、ワタナベさんから「今しか言えないこと、しゃべってよ」と言われたので、どうやら先生がかなり今回の手前の発表を誇大に広告している(かんきくん情報)ということについて、「けっしてそんなことは申しておりません」と誤解のないよう弁解をさせていただく。「いや、そんなことじゃなくてさあ…」と言われている間に先生が戻られて発表開始。

大きく4つのことについて、話をさせていただいた。(1)林竹二先生のこと、(2)学級集団づくり、(3)学校教育法の改正、(4)生徒指導、である。詳細は割愛させていただくが、ずいぶん気持ちよく話をすることができた。オーディエンスの質が高いと、自然、話す方も弾みがつくということなのだろう。

しかし、手前の発表などよりも、続く内田先生のお話こそ、その日の講義の心髄であった。「やっぱり、ここまで来てよかった」としみじみ実感させられるすばらしいお話であった。以下に、いくつか、印象に残ったお言葉を挙げさせていただく。先生の思考のスピードにメモが追いついていってないこともあって、言い回しに多少不自然なところがあるのはご寛恕いただきたい。

「林竹二先生の授業は、生徒が自分の体の内側に意識を向けさせるようなものであった。」

「教育の場を成り立たせているものは、ノンバーバルなもの、身体的なものである。」

「教師は、ブロードバンドで子どもたちと会話できるような、共感能力の高さを持ちたい。」

「文学には、コミュニケーション・プラットフォームという上質なトリックがある。そんな文学の可能性を考えれば、教育現場はもっとやれることがある。」

「教育の要諦とは、聞き手がそれと気付かずに、“聞きたかったと思うこと”をコミュニケーションの場に差し出すことだ。」

「教師が“自分の内側に起きていること” に敏感でなければ、他人を感化することはできない。敏感とは、僅かなノイズをシグナルに変換すること、身体的なことである。」

「“うぜえ”とか型にはまった反応しかできない生徒というのは、自分の外側を既製品でデコレーションしているだけ。“オレ、ホントは何したいんだろう?”と自分自身に問いかけさせること、それが学びを起動する。」

「“自分を傷つけた人間への報復は、自分が楽しく生きること”ということがある。“楽しくする”というのは、心を閉じた人の扉を開かせる。教師は、“自分の仕事を楽しんでいる”ということがベスト。暗い顔の教師からは、生徒は何も学ばない。“なんで先生は、あんなに楽しそうにしているんだろう?”と生徒に思われること。それが、生徒に学びを起動させる。だから、教員免許更新制などと教師にストレスをかけてはならない。」

希望をいただいた。来てほんとうによかった。

終了後は、ウッキーが段取りをしておいてくれた西宮北口の居酒屋さんに移動して打ち上げ宴会。しゃべって喉が渇いたためか、ビールが水のように飲める。先生は痛風とのことであったが、ビールが飲めるほどには回復されていたようだ。よかったよかった。ここでも、先生からは貴重なことを教えていただいた。3時間ほど飲み且つ語ってお開き。先生、かんきくん、ナガミツくんと4人でJR西宮駅までタクシーに乗り、そのまま先生とかんきくんが神戸方面、手前とナガミツくんが大阪方面に分かれてお別れする。

内田先生、今回は貴重な機会を与えてくださって、ほんとうにありがとうございました。これから、いつも先生のお言葉を思い出しながら、日々の業務に励んでいこうと思います。教職最後の10年も、おかげで充実したものになっていくことと思います。このお礼は、今夏の「城崎にて」、存分にさせていただく所存です。