先生はつらいよ

6月4日(月)

久しぶりに、何もない土日。

部活動の指導を終えた土曜日の午後は、今月19日に発表の機会をいただいた大学院内田ゼミでの、教育についての発表草稿を考えていた。以下は、発表しようと考えていることの一つ、生徒指導のことである。

今年の2月、文科省初等中等教育局は、銭谷局長名で「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について」という通知を、各都道府県教育委員会教育長、各指定都市教育委員会教育長、各都道府県知事、附属学校を置く各国立大学法人学長宛てに出した。以下は、その通知の一部である。
“いじめ、校内暴力をはじめとした児童生徒の問題行動は、依然として極めて深刻な状況にあります。(…)また、学校での懸命な種々の取組にもかかわらず、対教師あるいは生徒間の暴力行為や施設・設備の毀損・破壊行為等は依然として多数にのぼり、一部の児童生徒による授業妨害等も見られます。
問題行動への対応については、まず第一に未然防止と早期発見・早期対応の取組が重要です。学校は問題を隠すことなく、教職員一体となって対応し、教育委員会は学校が適切に対応できるようサポートする体制を整備することが重要です。また、家庭、特に保護者、地域社会や地方自治体・議会を始め、その他関係機関の理解と協力を得て、地域ぐるみで取り組めるような体制を進めていくことが必要です。
昨年成立した改正教育基本法では、教育の目標の一つとして「生命を尊ぶ」こと、教育の目標を達成するため、学校においては「教育を受ける者が学校生活を営む上で必要な規律を重んずる」ことが明記されました。
(…)学校の秩序を破壊し、他の児童生徒の学習を妨げる暴力行為に対しては、児童生徒が安心して学べる環境を確保するため、適切な措置を講じることが必要です。
このため、教育委員会及び学校は、問題行動が実際に起こったときには、十分な教育的配慮のもと、現行法制度下において採り得る措置である出席停止や懲戒等の措置も含め、毅然とした対応をとり、教育現場を安心できるものとしていただきたいと考えます。
この目的を達成するため、各教育委員会及び学校は、下記事項に留意の上、問題行動を起こす児童生徒に対し、毅然とした指導を行うようお願いします。
なお、都道府県・指定都市教育委員会にあっては所管の学校及び域内の市区町村教育委員会等に対して、都道府県知事にあっては所轄の私立学校に対して、この趣旨について周知を図るとともに、適切な対応がなされるよう御指導願います。”

おっしゃりたいことはわかるし、もちろん「毅然とした指導」もしたいとは思う。でも、学校が実際に困っていることって、ちょっと違うのだ。

実際に、生徒指導で困っていることを例話として挙げてみよう。
性行不良生徒が複数(4~5名)集まって、授業をサボり、校庭の一角にたむろしているとする。見かけた先生から職員室に連絡が入るから、執務中の教員が対応することになる。
「こんなとこで何やってるよ、授業行かないのか?」
「るせえんだよ」
「ちゃんと授業受けなきゃダメだろ?」
「あっち行けや」
「だからさあ、いま授業中だろ?学校は勉強するところなんだぞ」
「るせーって言ってんだろ!」(以下略)

昔(今から20年ほど前)であれば、強面の体育科教師とかが行って、ある時は厳しく叱責しながら、またある時は優しく宥めながら、何とか教室に入れたり別室に連れて行って話を聞いてやったりしたものだ。しかし、最近ではそういうことがとんと難しくなってきている。見るからに強面の先生がいない学校では、指導はかなり難しくなる。上記のやり取りのように、まずは生徒たちが簡単には言うことをきかない。かと言って、特に法律に触れる行為(喫煙とか)していない場合には、警察に連絡するというわけにもいかない。とにかく、言うことを聞かないままに、その場にいつまでもたむろしているのである。教師は手をこまねいて見ているしかない(場合が多い)。

彼らの行動は、件の通知によれば「学校の秩序を破壊し」ていることになろうか。しかし、「適切な処置」とは、どのような処置を言うのだろう。事が対教師暴力とか器物破損とかであれば、即座に警察に通報するということもあるだろう。ところが、たかが授業エスケープ程度のことでは、そうはなかなかいかないのである(そんな「中途半端な」行動が最も始末に負えないのだ)。

どうもニュアンスを伝えにくいのだが、そうやってたむろしているときの雰囲気というのは、とてつもなく悪い。「コンビニの前に座り込んで、タバコを吸ったり何かを食べていたりする制服姿の中学生、または高校生」というような姿(雰囲気)を想像していただければよいであろうか。そんな集団に、教師たちが近づいた際、彼らがどんな表情をするかということは容易に想像できるであろう。まずは、目が三角になっている。威嚇する態度を体中から発している。場合によっては挑発もしてくる。できれば近づきたくないなあというのが本音であろう。でも、行かなければならない。

そんな連中ではあっても、個人的に話をするときはそんなに反抗的ではない。集団になるとどうしようもなくなる(ことが多い)のである。そうやって、あまり雰囲気が良くないままに生徒たちが勝手な行動を繰り返すようになると、学校の秩序は徐々にではあるが確実に崩壊していく。

もちろん、そうならないように、保護者や警察、児童相談所、教育委員会とも連絡を取り合いながら対応していくのだが、一朝一夕には彼らの行動を変えていくことはできない。そもそも、彼らもせいぜい喫煙をするくらいで、「ここまでやるとヤバイ」という一線は心得ている。だから、すぐにでも警察に通報されるようなことはしないのだ。

困っているというのは、こういうことである。

教師には、「強制力」がない。その場においては、「宥める」「諭す」「叱る」などという方法しかない。これほど「体罰」が社会的に容認されていないにもかかわらず、依然として「体罰」による教員の不祥事が絶えないというのも、学校(教師)に「強制力」がないからではないか。勘違いしては困るのだが、「だから教師や学校に強制力を持たせろ」と言いたいのではない。そんなもの、持たせられたくはない。

これは、「学校」というシステムの根幹に関わることだろうと思うのだが、そもそも学校というところは「教える」-「学ぶ」という関係が大前提にある。「学ぶ」側は、「学ぶ姿勢」を持って学校に来てもらわなければならない。義務教育の場合は、それが国から保護者に科せられた義務でもあるから、何より保護者がその子どもに「学ぶ姿勢」を十分に涵養させた後に、その子どもを学校へと送り出してもらわないと困る。「教育を受ける権利」があるからには、当然その権利行使に伴う責任だってあるのだ。どうも、そこがおかしくなっているような気がする。

これは、問題を全て保護者に負わせるということでは、もちろんない。どうしてそうなってしまったのかということを、もう一度私たちが基本的なことから丁寧に考えていった方がいいのではないかということなのである。昨今の教育再生会議での話題も大抵は目を通しているつもりではあるが、どうもそんな議論がされているような形跡はない。

だからこその、内田ゼミでの発表である。上記の生徒指導のことも含め、草稿はほとんどできあがった。土曜日の夜には、いつものメンバーに大凡の発表内容を聞いてもらった。あとは、少し「寝かして」必要な手直しをするだけである。

発表の機会をいただいた内田先生には、感謝の言葉もありません。でも、あんまり期待はしないでください(してませんよね)。そうそう、手前の発表には、久しぶりにナガミツくんも参加したいと申しておりました。懐かしい顔ぶれが揃うのでしょうか。楽しみです。