スーさん、教育三法について考える

5月21日(月)

先週(18日)、教育改革関連三法案が衆院を通過した。メディアによれば、今国会で成立の見通しとのことだ。

いくつか「?」「?」と思うことがないではないし、「そんなに急いで成立させなくても」とも思うが、どうせもう採決されちゃったんだし、まあなるようにしかならんかあって感じである。例えば、10年で教員免許を更新するそうだが、なあにどうせオイラはその頃には円満?退職しているので、特にどうってことないのである(シンムラくんとかヤイリくん、どうするんだろう?タイヘンだよなあ)。

この法案成立については、先週発売の『サンデー毎日』に、「改正教育三法で教師は大量リストラ死する」とのシミュレーションが掲載されたとのことで、さっそく近所の書店に行って買い求めてきた。一読、「シミュレーションはやや現実感に欠け、ちょっと危機感煽り過ぎ、まあ週刊誌だから仕方ないのかもしれないけど」という印象であった。

例えば、学校教育法を改正して副校長や主幹等の管理ポストを増設することに対しては、その増員によって持てなくなった授業時数を他の教員の持ち時数に上乗せしていくことから、「現場は悲鳴を上げるしかないだろう」(22頁)と書かれているが、ただでさえ高齢化した現場で、モチベーションが低く、退職後のことしか考えていない教師(オイラのような教員のことです)が、管理ポストを与えられることで、「じゃあ退職までもう一働きすっか!」と高齢化した教員たちにも有用感を持たせられるかもしれないと思うのだ。

もちろん、管理ポストが増えるということは、当然のことながらそのポストに「不適格」の教員も出現するだろうから、そんな教員には容赦のない「降格人事」が待っているとのことだ。でも、それも仕方がないことかもしれない。少なくとも、現状ではよほどのチョンボをしない限り、管理職が「降格」させられることなどない。とてもここでは書けないようなことを、日常的に行っている管理職がいることも仄聞する。しかし、まず降格されることはないだろう。そういう意味では、責任あるポストを任せられているのなら、それなりの厳しい査定を受けるのもやむを得ないということではあるまいか。

このことについては、この4月から本県でも全面施行された「教職員評価」のこととも関連している。つい先日、校内提出締め切りだったので大急ぎで件の書類を作成したが、この「教職員評価」については、評価される方ももちろん快くないが、評価する方はもっとイヤだろうなあと思う。「心ある」管理職ほど、そう感じるであろう。しかし、この制度で最も疑問に思うのは、現場の評価を行う管理職を誰が評価できるのだろうということだ。どう考えても、現場の管理職を評価できるのは「現場の教員」でしかないと思うのだが。だってねえ、日常の管理ぶりを子細にわたって実際に見ているのだから。ところが、実際にはそうではない。管理ぶりは、その日常を確認しなくともわかるということなのだろうか。よくわからない。

どこの世界でもそうだと思うのだが、例えばJリーグに所属しているチームがなかなか勝てない場合には、まず監督のクビが切られるであろう。業績の上がらない会社は社長が更迭されるであろう。では学校は?今回の「教員免許更新制」についても、どうも問題とされているのは「現場の教員をどうするか」という視点ばかりが目立っているような気がする。管理職は「それなりの人物」が務めているのだから「評価は無用」ということなのだろうか。どうも違うような気がするのだが。

さらには「歴史認識」の問題がある。今回の「改正」学校教育法では、「我が国の郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き」と表現されている。これについては、同誌で指摘されている藤田英典先生のコメントにあるとおりである。
“歴史に対して「正しい理解」と殊更書いたのはなぜでしょう。歴史の理解には多様性が求められますが、「唯一、正しい日本の歴史」を想定しようとし、特定の考え方を教えるべきだとのニュアンスを含んでいます。思想・良心の自由に抵触するおそれがあるし、ある種のイデオロギー性が透けて見えます。”(21頁)

いくら何でも、「これが日本の正しい歴史だ!」などと誰が言えるのであろうか。ちょっと想像力を働かせて考えればわかることであると思うのだが。こういういかにもバカげたことを誇らかに「学校教育法」に記した人たちに、カール・ポパーの言葉を贈りたい。
“実在するすべての歴史、われわれの偉大なるものと権力あるものとの歴史は高々浅薄なる喜劇にすぎない。それは、現実の背後の諸権力者によって演じられた茶番である(それはホメロスが描いた、人間の諸闘争という場面の背後にあるオリンピアの諸権力者の茶番に比較しうる)。それは、われわれの最悪の本能の一つ、偶像崇拝的でもある権力と成功の崇拝が、われわれをして真実であると信じさせるに至ったものなのである。”(小河原誠・内田詔夫訳『開かれた社会とその敵』第2部252頁、未来社刊)

やれやれ。教育関係の話は暗くなるので、週末の麻雀のことを。久しぶりに四暗刻をツモりましたあ!半荘4回で+99。トータルのプラスは600を超えました。それにしても、シンムラくんは弱いです。