資本主義には猛省を促したいところですが、あいつは人じゃないからなあ。

2月26日(月)

おかげさまで、禁煙は継続しております。でも、まだ時々喫煙の衝動に襲われることがあります(ううう、苦ぴ~)。その度に、「いやいや、せっかくここまで我慢したんだし、もう吸ってもおいしいとは感じないよ、きっとそうだよ、そうに決まってる」と自分に言い聞かせて、なんとか1週間が過ぎました。この間、mixiのメッセージ等に「がんばってください」とか「応援してます」などというありがたいお言葉もいただき、それも禁煙継続の大きな励みになっております。引き続き、ご声援をよろしくお願いいたします(次なる目標は1ヶ月)。

さて、週末の土曜日は支部の面々で映画鑑賞会。作品は『ダーウィンの悪夢』。ナガミツくんのお薦めということで、インターネットで公開劇場を確認したところ、浜松でも見られる映画館がある(1日1回レイトショー上映、4日間限定公開)ということがわかった。さっそく支部メンバーにお知らせをして参加者を募ったところ、オノちゃん、ヨッシー、オーツボくん、シンムラくんのいつもの面々が参加を表明したので、映画の前に小宴、そして映画、最後に麻雀という3点セットメニューが組まれたのである。

ご存じのように、この映画はドキュメンタリーである。しかも、社会問題をシリアスに訴えた内容らしいということになれば、当然見に来る観客は限られるであろう。しかし、地方都市浜松で、4日間限定公開中に、どれくらいの人数が見に来るのかということには多少なりとも興味があった。というのは、それで多少なりとも浜松住人の文化関心の程度が知れるかもしれないと思ったからである。

公開は金曜日の夜からだったから、いちばん人数が多そうなのは公開初日の金曜日、そして翌日の土曜日あたりだろうと思っていた。はたして、私たちが行った土曜日は80名ほどの観客であった。初日も大凡同様の人数であったろうと想像される。浜松市の人口は、合併しておよそ80万人。ってことは、土曜日の夜は市民1万人に一人の割合でこの映画を見に来たってことだ。それが多かったのかどうかはわからない。まあ、こんなものなのだろう。

映画が8時半からの上映だったので、6時前に映画館近くの居酒屋に集合し、オノちゃん、ヨッシーらと飲み始めることにする。ヨッシーはライフプラン休暇から帰ってきたばかり。入手至難の「トワイライトエクスプレス」のチケットをゲットしての北海道ツアーの話を肴にしながら、くいくいとビールを飲む。そのうちに、オーツボくんも合流して談論風発、あっという間に上映時間が近づいてきた。

映画館前にてオーツボくん夫人、そしてシンムラくんとも合流して館内へ。こういう時のシンムラくんは気が利いている。飲み物やちょっとした食べ物をちゃんと人数分買い込んである。些細なことではあるが、こんなちょっとした心遣いはうれしいものである。もちろん、「今後の勉強のため」と、パンフも購入してある。よい若者である。

映画が始まった。ドキュメンタリーであるが、解説のナレーションがほとんどない。映画は映像をもって語らせる、ということなのであろう。衝撃的な映像やインタビューが続く。描かれているのは「資本主義」である。

大澤真幸は、その著『文明の内なる衝突』(NHKブックス)の中で、ウォーラーステインの「世界システム論」を引きながら、資本主義について以下のように書いている。

“資本主義は、資本主義の相対的な後進地域を常に保存し、再生産し、そして活用しているのだ。われわれは、普通、貧困という現象は、資本主義から完全に無関係な地域、資本主義の恩恵をまったく受けていない地域で発生すると思っているが、そうではない。資本主義とまったく無縁であれば、そこは、貧困でもなければ、裕福でもない。極端な貧困は、むしろ、資本主義との接触面でこそ起きるのである。資本主義は、常に、自らの内に周辺部を、つまり資本主義の中にありながら資本主義から見放されているかのように見える部位を、産出しているのである。”(105p)

こうして、資本はひたすらその増殖を目指す。その運動には、「真」も「善」も「美」もありはしない。

“資本主義が宗教的なものに見えるのは、交換の手段に過ぎぬもの−貨幣−が目的それ自身となり、人々が取り憑かれたように、飽くことなく、その増殖を目指しているからである。資本が循環するたびにー投資が回収されるたびにー、人は、貨幣という神との契約を更改し、あらたな契約を取り結んでいるのだ。”(153p)

人間が貨幣を操っているのではない。人間が貨幣に操られているのだ。身を剥ぎ取られたナイルパーチの残骸は、資本主義というシステムに絡め取られた人間の欲望が、姿形となって発現したものであろう。

「これは遠くタンザニアで起こっていることだから」とも申せまい。ナイルパーチの主な輸出先はヨーロッパと日本である。日本へは、年間約3,000トンが輸出されているとのことだ。今までは「白スズキ」というような名称で流通していたとのことで、外食産業や学校給食で白身魚のフライとしてよく使われるほか、味付けされた商品としてスーパーなどの店頭に並ぶこともあるそうだ。「じゃあ、オレらも食ってんじゃん!」ってことなのだ。

私たちには、何ができるのだろう?

もう一度、大澤真幸に戻る。
“資本主義的なシステムには、階級の分化が、あるいは中核部が周辺部を搾取する関係が、孕まれている。このことが含意しているのは、原罪の観念が、交換の関係を搾取の関係(奪う関係)へと質的に転換させてしまう潜勢力をもっている、ということである。本源的な恥の観念の内に宿されている潜勢力は、これとはまったく反対の方向に作用する。それは、交換の関係を贈与の関係(与える/与えられる関係)へと
転換させる可能性を秘めているのだ。”(223p)
これだけではだいぶん説明不足なので詳しくは同書を閲していただきたいが、キーワードはの一つは、「羞恥」である。

まずは、「こういう経緯で日本に入ってくる魚を食ってんの、恥ずかしいよ」ってことでいいのだろう。って言うか、「この映画には、自分も無関係ではないということが、どうしようもなく恥ずかしい」ということから始めればいいのだ。

そして何をするか?手前は、マルクスの『資本論』(とりあえずマルクスが書いた第1巻だけ)を読んでみようと思う。