牛タンを食べに仙台に行ったわけではありません

1月17日(水)

先週末から、家を留守にすることが続いた。まず、金曜日は夕方から富士宮へ。土曜日に予定されている「県選抜1年生ソフトテニス大会」に参加するためである。

よく知らないのだが、この大会は昨年から開催されるようになったとのことで、県内の1年生を対象に、旧市町村単位やスポーツ少年団ごとにチームを編成して、団体戦で争われる大会である。本校からは、旧浜松市のチームに2組参加(他の1組はH部中、監督も)することになり、保護者や監督に任せっきりというわけにもいかないので同行することにしたのである。

試合は3チームの予選リーグと、1位通過チームによる決勝トーナメント。予選リーグは無事1位通過して、決勝トーナメントも初戦を突破、ベスト4に食い込んだものの、準決勝では県東部地区選抜チームに敗れて3位(東部選抜はそのまま優勝)という結果であった。上出来と言えよう。まだ1年生なのだから、そんなに勝たなくてもいいのである。

表彰式もそこそこに、今度は沼津へと移動。スガイ監督のK学園高にて練習させてもらう手筈になっていたのである。スガイ先生は、先月の「朝カル宴会」の折に高橋さんといろいろ話をして以来、今まで自分が考えていた身体運用の方法をソフトテニスで実際に試してみようと、いろいろ工夫した練習をしていると聞いていた。どんな練習をしているのか、この目で確かめてみなくてはならない。

沼津行きの話を聞きつけたオノちゃんも、「ならばぜひ!」と既に選手たちとK学園高に到着して練習している。具体的なことは書けないが、その日の夜にスガイ先生を囲んでいろいろと興味深いお話を伺うことができた。身体運用も一つの「文化」であることや、学校体育やスポーツの指導で「常識」とされてきたようなことも、一度括弧に入れて考えてみる必要もあるのではないかというようなことである。

スガイくんはカゼがようやく治りかけということであったが、「じゃあちょっとだけ」ということで、以前一度だけ行ったことがある「ニュー竹」へと移動して半荘を4回ほど。この日は、ドラ爆弾を炸裂させたオノちゃんがトップ。薄いところで当たりを避けようとしたスガイくんは罠にはまって下位に沈む。手堅く打った手前は2着。ビリは、もちろん最近デビューしたてのシンムラくん。

さて、明けて月曜日からは、文科省主催の「コミュニティ・スクール推進フォーラム」に参加するため、教務主任と二人で仙台へ。

フォーラムは火曜日だったので、月曜日は移動日。夕方前に仙台に到着して、そのまま繁華街へと出向いて夕食。それにしても、仙台はみちのく随一の都である。市内中心部の賑わいは、とても地方都市浜松などの比ではない。ブランドショップも軒を連ね、まるでここは東京か大阪かと訝ってしまうほどである。

仙台と言えば、「何と言っても牛タン!」らしい。よく部活動の遠征で仙台へ行くスガイくんからは、「利久」というお店を紹介してもらった。さっそく、チェックインしたホテルにあった「仙台牛たんマップ」で「利久」を探してみると、何と!仙台駅周辺に14店舗もあるのだ。「ひょっとして、あのお店そうじゃない?」とホテル2Fのフロントから見下ろすと、はたしてその14店舗中の1店であった。そこで食べてもよかったのだが、「繁華街にもあるでしょう」との教務の提案で、日暮れと同時に一番町通りにあった「利久」へ。

「一日限定30食という特上の牛タンがありますが」という店員さんのお薦めで、さっそくその「極(きわみ)」という牛タンを注文してみる。待つこと数分、程なくお出ましになった。正直言って、手前はそれまで牛タンというものを積極的に食したことはなかった。だから、そのイメージは「薄っぺらくて、固くて、あまりおいしくはないもの」という感じであった。しかし、この「極」は一見してそれらのイメージとは全く異なった形状を呈していた。薄っぺらいどころか、「これステーキなの?」と見紛うほどのボリュームなのである。「では」と、一味と岩塩を少々振りかけてお口へ。「ううう、うまい!」さすがに「極」と名付けられるだけのことはある。柔らかい、クセがない、歯応えがいい。付け合わせの漬け物とのマッチングも絶妙である。

えっと、誤解のないように申し添えておきますが、手前はあくまで文科省主催のフォーラムに参加するのが目的でして、決して牛タンを食べに行ったわけではありません。でも、ホントに美味しかったなあ。ガイドブックによれば、牛タンだけ食べるのではなく、麦飯・とろろ・テールスープ・旬の漬け物がセットになった「定食」でいただくのが普通だそうだ(後で知った)。まあ、それは次回のお楽しみ(って、次回なんてあるんだろうか?)。

さて、「コミュニティ・スクール推進フォーラム」である。最初に、文科省初等中等局審議官による説明。昨年からの教育界の動向と、目下の懸案、コミュニティ・スクールの概要等について、縷々説明がある。教育基本法の改正についても、「メディアでアナウンスされてるみたいに、何も国を敬う心を強制しようなどということではありません。豊かな学力と規範意識の育成を、家庭・地域と連携して取り組みたいという願いが込められているとお考えいただきたいということです」とのことであった。ふーん、そうなんだ。

さらに、「日の出と日没を見たことがないという子どもが半数いる、というような実態は何とかしていきたい。子どものテレビの視聴時間についても、年間1,400時間を超えるという調査結果もある。年間の授業時数が980時間であるということを考えれば、これは看過できないことである。」なるほど。それはよくないなあ。かと言って、「家でテレビを見る時間を減らしましょう運動」みたいのやっても、捗捗しい効果は得られないだろうけど。

で、肝心のコミュニティ・スクール(以下CSと略す)のことである。これは、「地域運営学校」のことである。地域の公立学校に、保護者や地域住民の声を積極的に反映させることを目的としている。校内に「学校運営協議会」が組織され、その学校の教育全般や人事について、校長や教育委員会に意見具申できるようになるとのことだ。ただし、その協議会のメンバーは教育委員会が任命することになっている。昨年までに、全国で124校が設置されたとのことである(詳しくは、インターネット等で検索していただきたい)。

結論から言わせてもらうと、以下のような感想を持った。
・CSは、小学校でなら積極的に設置していった方がいいかもしれない。中学校は難しいと思う。まず教科指導の問題がある。指導内容が難しいということや、学力差が顕在化している教科においては、その指導方法から保護者や地域住民が介入しにくいところがあるのではないかと思われるのである(実際に、全国のCS設置校のうち中学校は2割程度。高校は2校だけである)。
・教員の人事に関して意見具申ができるということであるが、はたしてどれほど優遇してもらえるのかがはっきりしていない。現場においては、やはり教員の影響力は大きい。保護者や地域住民が求める教員を確保できるのかどうかということは、そのCSの存立に関わる問題となることも考えられる。
・何より、そのCSを存続させていくファンドはどうするのか。基金を全面的に行政に依存しているのでは、特色ある教育を展開していくのにも限度があるのではないか。
・そもそも、「地域」とは具体的に「誰」にフォーカスすればいいのか。それがはっきりしていないと、CSを立ち上げても、それが「地域」に開かれていかないということがあるのではないか。
・今ではどの学校も「開かれた学校」を目指して、様々な取り組みがなされている。「別段、CS校として認定してもらう必要はないのではないか」という意見が出てくることも考えられる。

「開かれた学校を目指す」ということであるのなら、CSはとてもよいシステムだと思う。でも、「ぜひこうなってほしい」というような「現場からの要求」があって、CSなどの新しいシステムの導入を考えるのならいいと思うが、「こうしてみなさい!」と言われて半ば強制的に導入していくのはいかがなものかと思う。それは、別にCSに限らず、全てのことについても言えることではないだろうか。仙台からの帰りの車中、そんなことをとりとめもなく考えていた。