社会学的に教育を考えてみると

1月11日(木)

「『集中講義!日本の現代思想』(仲正昌樹/NHKブックス)を読んだよ。やや力ずくでまとめられたきらいはあるものの、戦後から現代までの日本思想史を、西欧の思想と関連させつつ、これだけわかりやすくまとめた本って今までなかったような気がするんだけど。」
「で、特にどこがおもしろかったんだよ?」
「ボードリヤールだね。『消費社会の神話と構造』を読んでみたくなったよ。大量消費社会における人とモノととの関わりをどうとらえるかという視点はなかなか新鮮だった。」

「それと学校となんか関係があんの?」
「うーん、いろいろ考えさせられたね。特にボードリヤールに特化してってわけじゃないんだけどさ、現在の社会をどうとらえるかということで言うと、学校ってやっぱ特殊な位置にあるんじゃないかなって思ってね。」
「どういうこと?」
「ポストモダンの思想って、リオタールによれば『大きな物語の終焉』がその知の条件だってことだよね。でも、学校という装置は、常に『大きな物語』への信憑を背景にその活動が推進されているんじゃないかなって。」
「学校における『大きな物語』って何なのさ?」
「まあ、『メリトクラシー』かな。これって、教師だけじゃなくて、もちろんほとんどの親も抱いている『物語』なんじゃないかな。」
「でも、今の社会では、もう『大きな物語』は終焉してるんだろ?」
「そうなんだよね。でも、依然として『メリトクラシー』の物語を信憑してる人って多いと思うんだけどなあ。でなきゃ、塾もこれだけ流行らないだろうし、100マス計算とかに血道を上げる教師たちもいないだろうと思うんだけど。」

「じゃあ、結局学校における『大きな物語』は終わっていないってことじゃないか。」
「そうとも言えるんだけど、そうは言えないこともあると思うんだよ。例えば、学校に来る子どもたちや親は、確実に『大きな物語』が終焉した社会、つまりポスト産業資本主義社会に生きているってことだろ?ってことは、実際の社会を生きていく際の振る舞いは、消費への欲望によって駆動されているわけだ。著者によれば、日本では70年代後半から大量生産・消費システムではなく、より『差異』が際立ちやすい多品種少量生産・消費へと構造転換が図られた。そして、その消費文化が『近代の人間観』(大きな物語)を終焉させたとのことだ。詳しいことは社会学者の分析に任せるとして、そんな消費文化にどっぷり浸かった子どもたちや親の感性は、少なくとも『近代の人間観』とはだいぶん隔たったところにあると思うんだよね。」
「よくわからんなあ。」
「『学校』という場所そのものが、『近代の人間観』と『消費文化』とに引き裂かれているところに位置しているってことだと思うんだけど。」
「引き裂かれているって?」
「基本的に、学校というところは『文化』を教えるところだよね。人類が今まで蓄積してきた文化を伝達させることがその主たる使命だと思うんだよ。その文化にアクセスすることで、現代に生きる知識や知恵が得られるってことがある。特に、現在のように科学技術の発達した社会は、『近代知』 によって実現したとも言える。そうすると、学校という空間においては、その『近代知』を疑うというようなことは起こり得ない。それは同時に、『近代知』に接着している価値観をも疑わないということになるよね。でも、子どもたちや親が普段生活している場は、その『近代知』をアイロニカルに、時にはシニカルにとらえている社会だよね。家庭においては『終焉した物語』の世界に、学校においては『近代知』の支配する世界に、という状況が『引き裂かれている』ってことだと思うんだよ。」

「それが今の教育が抱える問題に繋がっているってこと?」
「80年代から、教育界では『個性の重視』(自分らしく)ってことが盛んにアナウンスされたよね。それが子どもや親の混乱に拍車をかけたことは間違いないね。だって、『個性重視』って、まっすぐ多品種少量生産・消費に繋がってるだろ?でも、学校というところには依然としてメリトクラシーが根強く生き残っていた。だから、子どもは『自分らしく』生きたいんだけど、親は『しっかり勉強していい学校には入れるようにしなさい』って言うし、先生も『最低限、この社会を生きていけるだけの知識は身につけとかないと』って言うから、『じゃあ、どうすればいいんだよ!』というところが、今の子どもたちの抱えている問題なんじゃないかなあって思うんだよ。」

「で、何か解決策はあんの?」
「難しいよね。教師の立場で言うなら、やっぱり現在の社会についての認識と、自らの立ち位置を再確認することかな。少なくとも、今の子どもたちにベタな『近代知に接着した価値観』に基づく言説をいくら展開しても、「うっせえ」という答えしか返ってこないということくらいは自覚しておきたいよね。だいたい、教師自身も現在のような『消費社会』の中で生きているんだからさあ。」
「他には?」
「必修教科を教える際には、どうしても不自由さがあるから、必修教科以外、例えば総合学習の時間を有効活用するのもいいかもしれない。」
「どうすんの?」
「今までの総合学習は、職場体験とかボランティア活動に使われることが多かったよね。そうではなくて、現代のような『消費社会』をどうとらえるのかとか、『消費社会』を生きていく上での大切なことは何かといったような、『現代社会』を学習する場にするんだよ。」
「それで、何か変わるのか?」
「わからない。教師の間では、よく『不易流行』 ってことが言われるよね。でも、僕ら教師が強調していたのは『不易』の部分ばかりだったような気がするんだよ。そうじゃなくて、『流行』のことも視野に入れながら、日々の教育活動にあたるってことが大切だと思うんだけど。」

「よくわからんけど、とりあえず教師の研修会とかで、社会学者でも呼んできて現代社会についての認識講座でもやった方がいいってことかな?」
「必要なことかもしれないね。」
「誰かいい先生知ってんの?」
「ナガミツくんなんかどうかな。」
「誰それ?」

ということで、ナガミツくん、いつか浜松にお越しくださいませ。ただし、交通費は自前です。謝礼は「うなとろ茶漬け」ということで。お待ちしております。