12月12日(火)
先週の金曜日、実の弟が重傷を負った。職場で揮発性物質の処理をしていた際、至近距離で小爆発と火災が発生し、それが着衣に延焼して、下半身を中心に全身の約3割から4割に、Ⅲ度の熱傷を負ったのである。
母から連絡を受け、収容先の病院に駆けつけたときには、既に救急処置の真っ最中であった。主治医の副院長先生から、症状のあらましと具体的な治療について説明を受け、輸血等の承諾書に次々とサインをした。「実際にご覧になってください」と言われ、救急処置が行われているところにも立ち合った。
救急治療を施すこと約3時間。その後、集中途医療室へと移動してようやく面会が許された。幸い、気道等への熱傷はなかったため、意識もはっきりしていたし、酸素マスク越しに話をすることもできた。
「おお、兄貴も来たんか。頼みがあるんだけどな」
「何だ?」
「あのさあ、ビデオショップでDVD借りてて、明日が期限なんだよ。返しといてや」
「わかったよ」
とりあえず、ほっとした。
その後、別室にて治療にあたる医師団から説明を受けた。
「かなりの重傷です。このくらいの熱傷になると、一般的に死亡率は5割から8割です」
それから、具体的にどの部分がどの程度ダメージを受けているかの説明、そして治療の方針や方法等が説明された。
「お分かりになりますか?」
「分かるかと言われれば、よくわかりません、としかお答えできません。知りたいのは、希望があるかどうかってことです」
「もしも、治療が絶望的であれば、私たちも治療は施しません。そういう意味では希望はあるということです」
「では、よろしくお願いします」
幸い、最初の危機と言われる48時間はクリアできた。昨日から酸素マスクが外れて、今日からは食事も普通に食べられるようになった。担当の医師からも、「最初の段階は乗り越えましたね」と言われた。老齢の父母も、事故の日に比べて日に日に回復していると思われる弟の姿を見るたびに、安堵の胸を撫で下ろしていた。
その今日、次回の手術についての説明があった。熱傷を負った部分に形成外科手術が施されるのである。父母と手前の3人で説明を聞いた。
「今でも予断は許されないんです。通常ならば、10人中3人から4人は死亡してしまうほどの熱傷なんです。治療には時間がかかります。ある意味では、一生かけて治していくとも言えるんです」
この言葉を聞いて、母が深く溜息をついた。説明が終わって「同意書」にサインし、弟の治療室に戻った。戻る途中、それまで決して涙を見せなかった母が泣いていた。
「説明責任」もいい。後々のトラブル回避のために、考え得る最悪のケースを説明するのも仕方がないことかもしれない。「お医者さんの説明って、すごく恐いこといろいろ言われるでしょう」とは、自分の周囲にいる人たちが異口同音に言う言葉である。ということは、聞く方はその説明の中から少しでも希望と思われる情報を探し出すようにして聞いているということだ。それを「説明責任」と言うのだろうか。せめて、「形成外科手術が行えるようになったほどに、体力は回復しているとも言えます」とさえ言ってくれれば、父母も安心したであろう。説明の場に父母を同席させたことを悔いた。
それにしても、説明をしてくれる医師たちはみんな若い。救急科の医師だからだろうか。たぶん、みんな30代だろうと思う。きっと腕はいいのだろう(それは弟の回復ぶりが物語っている)。でも、「治す」ということを、患者とその家族も含めてイメージするだけの余裕はまだないのかもしれない。年季ということもあるのだ。
実際、弟は「一生かけて治していく」と言われるほどの回復ぶりである。喫緊の生死を危ぶむということもなくなった。弟のことは医師たちにお任せするとして、手前は年老いた父母のケアを第一に考えることにしようと思う。