休日を待ちながら

11月20日(月)

こんなにも待ち遠しく思うものなのかと、今さらながら自分でも驚いている。

あんまり職場では大きな声で言えないのだが(言ってるけど)、ライフプラン休暇のことである。特に、今週の水曜日から不肖の妻と出かける伊豆温泉ツアーは、よおく考えてみると新婚旅行以来の二人旅ということで、(柄にもなくときめいちゃったりしていて)とにかく仕事にならないのである。

こういうことはあまり紹介したくはないのだが、手前が結婚するときの条件というのが、「部活動の指導をしたいので、とにかく日曜日とか休日は言うに及ばず、夏休みとか冬休みとかも、二人でまたは家族でどこかへ出かけたりするようなことはたぶんできないと思います。それでもよかったら…」というものであった(「でも、その分、部活動では成果を出します」というオマケもついてたけど)。

妻はそれを承諾してくれた。以来、18年の余。まだ乳児だった娘を連れて兵庫県の香住へ行ったことと、前任校でお世話になった校長先生夫妻と一緒に長野へリンゴ狩りに行ったくらいで、とにかくおよそ家族と旅行などというものはしたことがなかったのである。

言い訳がましいのだが、自分の中では当時世に喧伝されていた「ニュー・ファミリー」なるイメージはどうにも落ち着きが悪かった。
「なにい?妻と手を繋いでスーパーで買い物だとお?なことできるわけないだろうが!」
「乳母車に子どもを乗せて近所をお散歩だとお?やってらんねえ」
「休みの日はキャンプう?バーベキューってか。黒こげの肉なんぞ食いたかねえやい、ガンになっちまうじゃんかよう」
などと嘯いていた(言ってないけど)のである。悪い夫、また父であった。許してほしい。

さすがに、そろそろ知命を迎えようかという歳ともなると、かつてのようなことは言ってられない。孔子は「天命を知る」と宣わったが、自分としては「自己の限界を知る」と解釈した方がよいのかもしれない。とにかく、今まで生きてきた時間よりもこれから生きていく時間の方が短いということに気がついたのである(これも今さらながらですが)。

そう思うようになってからは、休みの日で午前中に部活動が終わると、すぐに家に帰って掃除機をかけたり、自分の着るものは言うに及ばず妻や娘の服も片付けたり、家の中で壊れている箇所を補修したりと、少なくとも家の中で自分にできることはやるようにしようと努めてきた。

これは、内田先生の影響も大きい。先生が「アイロンかけは楽しい」とおっしゃっていたから、初めは半信半疑で始めたアイロンかけであったが、今ではすっかり定着した。家事も、やってみるとそれなりに楽しくできるものだと実感するようになってきたのである。そんな生活ぶりが日常化してくると、今まで以上に家族のことも大切に思うようになってきた。

そんな経緯もあっての今回の伊豆旅行である。楽しみでないはずがない。幸い、宿の予約をお願いした旅行社の営業マンがガイドブックを進呈してくれた。それを見ながら、妻と「お昼は松崎港のすぐ近くにある地魚料理店で食べよっか」などと話をしているのである。何とも楽しいひとときである。今回の旅行には娘も誘ったのだが、「学校あるから…。いいよ、たまには二人で行ってくればいいじゃない。私も受験が終わったら連れてってもらうから」と言ってくれた。ありがたいものである。

プリウスでのんびり走りながら、途中下車もよし、伊豆の山海の珍味を賞味しながら、のんびり温泉に浸かってゆったりとした時間を過ごす。何と贅沢なことであろう。天気予報では、勤労感謝の日に雨が降るような予報であるが、なあにどうってことないのだ。雨の伊豆もまたよし、ではないか。

ううう、早く行きたい。

休暇の後半は、神戸行きである。日曜日に予定されている神戸ユニバ競技場での決戦(関西学生アメリカンフットボールリーグ最終戦)を見届けなくてはならない。越後屋さん改め、ゑびす屋さんたちとの再会も楽しみである。そして、試合終了後は三宮にて小宴。内田先生も駆けつけてくれるとのことである。

あああ、何と楽しみな休暇であるか、あああ。