とっても濃い三日間

10月30日(月)

「濃い」週末3日間であった。

金曜日は、娘の通う高校音楽科の定期演奏会。不肖の娘も高3。今回が高校最後の定演である。そんな思いもあってか、今回は「ホールをいっぱいにしたい!」と、かなり宣伝にこれ努めたようであった。妻も仕事が休みの日には、「つきあってよ」とポスター配布のアッシー(もう死語ですかね?)に駆り出され、「ここならポスター貼ってくれるかも」と、自分からどんどん店に入ってお願いしたりしたそうだ。

そんな甲斐あってか、決して親バカではなく、ここ3年間ではいちばんの入り(発表では1,200人)だったように思う。いつもは客席の後ろの方は空席が目立っていたのだが、今回は後ろまでぎっしりの客入りであった。もちろん、入場は無料である。

プログラムの最後は、音楽科全員による合唱。その全ての曲の伴奏を務めたのが、不肖の娘であった。娘の専攻はピアノであるが、将来はソリストを目指すというわけではないらしい。「伴奏者」になりたいとのことである。伴奏でソリストを引き立てる方が自分には合っていると思ったらしい。賢明な選択であると思う。

演奏会には、オノちゃんも駆けつけてくれた。音楽科の定演を聴くのは初めてとのことであったが、「いやあ、レベル高いっすね」と感心しきりであった。オノちゃんとこのご子息も、実はジュニアオーケストラに入っていたりした経緯もあり、将来は音大への進路も考えているとのこと。いいことである(お金かかるけど)。

最後の曲は「Jupiter」(平原綾香)。演奏会後に妻が聞いたところによれば、アレンジがやや盛り上がりに欠けるからと、不肖の娘がアレンジを一部変えたらしい。先生から、「あなたはヤマハのJOCに参加してたんだから、多少は編曲もできるでしょ?」と言われてのことだそうだ。知らなかった。アンコールを受けながら、指揮者が伴奏者を紹介してくれた。照れくさそうに礼をしていた娘の姿が印象的であった。親バカと言われようが、ええいかまわぬ。「お疲れさまでした」と心から労ってやりたい。

さて、土曜日は教え子の結婚式。式が昼前ということで、その日休みだった妻に会場である「ホテルコンコルド浜松」まで送ってもらう。沼津のスガイ先生も「高校時代の恩師」ということで、家族連れで会場まで来られていた。

彼女は、高校時代にはインターハイでベスト16に入り、皇后杯にも出場した選手である。お相手も中学時代はソフトテニス部に所属していたとのこと。「ソフトテニスが取り持つ縁」ということであろうか。職場の同期生で、お付き合いを始めて1年半。めでたくゴールインとは相成ったのである。

同席していた当時の同級生たちと、ビールを飲みながら歓談暫し。隣に座った教え子の一人であるマヅカさんは、来春「理化学研究所」への就職が決まったとのこと。内田先生の著作もよく読んでいて、手前の日記も必ずチェックしているらしい。「先生、小指まだ治りませんねえ」と言われてしまう(まだ矯正器具を装着してます)。そうそう、mixiの話題で盛り上がったっけ。「え?先生も参加してるんですか?じゃあマイミクに登録しましょう!」とのことで、メアドを聞いてさっそく「ご招待メール」を送ることになった。けっこう、若年世代にはmixiって支持されてるんだと実感させられる。

それにしても、昼間に飲む酒はよく回る。宴後は、よろよろとタクシーに乗り込み、そのまま自宅に戻って暫時熟睡。2次会には参加する予定はなかったのだが、オノちゃんたちが市中心部で飲んでるからということで、夕方からバスに乗って再び市中心部へ。これだから酒飲みは困る。オノちゃん御用達のお店にはいつものメンバーが参集し、件のmixiなどを話題にしながら飲むこと数時間。このメンバーだと、「東回し2回くらいやって帰りますか?」という話になる。すぐに近くの雀荘へと移動して、約束どおり東回し2回。だけど、僅差から南入し、結局は3回やったことになる。結果は…。まあ、昼間から飲んでたから、頭も働かないということで。

明けて日曜日は、ソフトテニス県大会地区予選の個人戦。浜松市から掛川市までの県西部地域から新人大会を勝ち抜いてきた64組によるトーナメントである。ベスト16以上が、県大会への出場権を得られる。

本校から参加したのは、旧市内大会の個人戦をベスト8で通過した1年生ペア。それぞれが各郡市の予選を勝ち上がってきたペアばかりだから、「初戦突破、県大会に行ければラッキー」という目標設定で試合に臨んだ。

やはり、初戦からシーソーゲームとなった。ファイナルゲームまでもつれ込んだが、タイブレークは流れをものにして何とか初戦は突破。とりあえず、最初の目標は達成である。次は、県大会出場をかけての2回戦。相手の前衛はあまり動かない選手だったから、そう苦戦はせずに勝てるだろうなどと高を括っていたのが大まちがいであった。相手後衛選手の配球がなかなか巧妙なのである。うまく繋いだかと思うと、いきなりこちらの前衛のダウン・ザ・ラインに打ち込んできたりして、この試合もファイナルゲームまでもつれ込む。最後は相手後衛の配球が単調になってようやく勝利、これで県大会への出場が決まった。

次は、ベスト8をかけて第2シードとの対戦である。さすがに1年生ペアでは上位シードには勝てないだろうと思っていたのだが、相手前衛のミスにも助けられて、この試合もファイナルゲームになってしまった。タイブレークは終始リードしつつも、途中で相手後衛にサービスをびしっと入れられ、ポイント5-5。しかし、次のポイントはウチの後衛選手が見事なバックハンドで相手前衛のポジションの甘いところをブチ抜いてマッチ。「サービスが入れば勝ち!」とほくそ笑んでいたら、何と次はダブルフォルト。ベンチから転げ落ちそうになってしまう。これで集中力が切れたか、最後の2ポイントはあっけなく決められてゲームセット。善戦したどころか、勝てるチャンスも十分にあっただけに、悔やまれる敗戦(魚を釣り上げ網の中に入れようとしたら、網に穴が開いていたとでも言おうか)であった。でも、まだ1年生だからね。あまり欲はかかずに、大きく育てるのである。

かくして、「濃い」3日間が終わった。休みとは言っても、これではあんまりゆっくり休めないのである。夕方から髪を切りに行って、少し気分を変えることにする。さっぱりして家に帰り、「おお、今朝は慌ただしくて新聞も読んでなかったっけ」と地元紙を読み始めたとたん、すっかり気分が悪くなってしまった。

千葉県の教諭が自殺した件に関し、遺族が校長のパワーハラスメントが原因だったとして、公務災害認定を請求したという記事である。気分が悪くなったのは、その校長の言動である。亡くなった先生が“管理職選考試験の受験断念を伝えたところ、「辞表を書け」「おれに恥をかかせるのか」などと約五十分間立たせたまま怒鳴り続けた。(…)今年四月の着任以来、校長から「役立たず」と言われたり、生徒がベランダから落ちる事故があった際には、ほかの教諭らとともに「おまえらは殺人者だ」と怒鳴られた。”(静岡新聞)

何をか言わんや。ゼウスよ、その怒れる雷もて、この愚かなる権力者を打たしめたまえ。

3日間の疲れがどっと出た。