教師の仕事がまた増えた

10月23日(月)

今日は、午後から市教委主催の「緊急」生徒指導研修会へ参加するため、天竜・浜名湖地区総合教育センターへと出張。合併後の「新」浜松市すべての小中学校の生徒指導主事・主任が招集されての研修会である。

「緊急」と銘打たれるからには、たぶん「いじめ」のことなんだろうなあという予想であったが、そうではなくて「インターネットについて、ブログや出会い系サイトなどの実態や児童生徒に悪影響を及ぼす心配のある内容について」の研修会であった。

以下は、市教委指導課長の話。
“本市でも、ここ3年間に補導された児童生徒のうち、ネット関連のものが全体の3〜4割を占める。インターネットは、ある意味「陰の世界」との媒介となるものである。子どもを守るために、まず、われわれ大人が危機意識を持たなくてはならない。そのためには、ITについての知識を持たなくてはならない。”

かような「緊急」研修会が持たれた背景には、今月に入って、本市の小学校教諭がチャットで知り合った女子中学生とみだらな行為に及び、懲戒免職になったということも背景にあるのだろう。研修会には地元のテレビ局も取材に来ており、実際の研修会の模様が報道されるとのことであった。

課長の話に続いて、担当指導主事(本校のソフトテニス部前任監督であるモリ先生!)より、「インターネットに関する指導のあり方について」の講義があった。豊富な資料を用意しただけでなく、実際その場でご自分のケータイから怪しいサイトにアクセスしてみせたりして、なかなか楽しい(「楽しい」などと言ってはいけないのかもしれないんだけど)プレゼンであった。

いくつか、「へ〜え、知らなかったあ」ということがあった。

まずはチャット。一昔前のイメージでは、ただひたすらやりとりの文字だけが階段状に羅列されていくだけのものと思っていたが、いやあ進歩してるんですねえ。チャットの相手の詳しいプロフィールが確認できるだけでなく、その相手が実際にPCの前にいる姿も、リアルタイムで見られるのである。ウェブカメラかなんかを使用してるんだろうけど、それにしてもよく考えたものだ。これなら商売になるであろう。

それから、「なりすましサイト」。しっかし、こんなサイトがあっていいのだろうか。自分のメアドを偽って、他人がメール送信したようにできるという代物だ。これでは、メアドを公開しているような公共機関や会社などには、いくらでも「なりすましメール」を送りつけることができてしまう。「こんな学校、つぶれちまえ!」とかね。

モリ先生も指摘していたが、これが個人の間で行われるようになると、事はさらにややこしくなる。例えば、恋する二人の仲を邪魔しようと、その二人のメアドを入手して、一方の恋人に「なりすまし」て相手に「アナタのこと、もうキライになったから」などというメールを入れることだって可能だ。もちろん、これは互いが確認すればすぐに誤解は解けるだろうけど、友達同士の間などではそのメールによって互いに疑心暗鬼になり、次第に疎遠になっていくということも起こり得るだろう。疎遠になるだけならまだしも、2年前の長崎県佐世保市で起きた小学6年生女子による同級生殺傷事件のようなことが再び起こってしまうということも考えられる。

これは、「匿名性」にも関わる問題なので、一概に「とんでもないことだ」とは言えない面もあるのだろうが、それが悪用される危険性を十分に孕んでいるということだけは、心に留めておかなければならないだろう。利便性は「諸刃の剣」ということなのだ。私たちに課せられているのは、それをどうやって子どもたちにアナウンスしていくかということである。子どもたちだけでなく、保護者にもその啓発はしていかなければならない。子どもに持たせたケータイが、単に電話やメールをやり取りするだけのものではなく、「携帯パーソナル・コンピュータ」であるということを。

国が、「IT戦略本部」なる組織を立ち上げ、「我が国は、すべての国民が情報通信技術(IT)を積極的に活用し、その恩恵を最大限に享受できる知識創発型社会の実現に向け、早急に革命的かつ現実的な対応を行わなければならない。市場原理に基づき民間が最大限に活力を発揮できる環境を整備し、5年以内に世界最先端のIT国家となることを目指す」と宣言(e-Japan戦略)したのは、5年前のことであった。確かに、この5年間に日本の情報通信技術は格段に進歩したであろう。しかし、その進歩は、主にIT関連のインフラ整備にかなりのバイアスがかかったものであったということを明らかにした。

「e-Japan戦略」の「基本戦略」の中には、「目指すべき社会」として「すべての国民が情報リテラシーを備え、豊富な知識と情報を交流し得る」ということが最初に謳われている。しかし、そのための「重点政策分野」には、まず「超高速ネットワークインフラ整備及び競争政策」が挙げられており、肝心の「インターネット接続環境の整備による国民の情報リテラシーの向上」については、その「重点政策」の最後に掲げられているのである。

「箱物行政」もいい。でも、そのことで立ち後れている「情報リテラシー」の整備はどうやってカバーしていくのだろう。「学校にも高速インターネットを整備しました。ちゃんと使えるように指導してください。ついては、その危険性についても、道徳の時間を活用するなりして、学校で十分指導してください」じゃあ困るんだよなあ。しかし、愚痴ってる場合ではない。

「パンドラの箱」は開けられた。飛び出した「不幸」から子どもたちを守るのは、開けた大人の責任である。でも、「パンドラの箱」には「希望」も残っていた。国が、立ち後れた政策に重い腰を上げる前に、とりあえず目の前にある危険からは子どもたちを守っていかなければならない。「箱」の底に残っていた「希望」とは、そんなことなのだろうか。それにしても、世界中に張り巡らされたWEBと、市場拡大のためにもはや家族に1台の勢いで普及するケータイのことを思うと、いかにもはかない「希望」ではある。