県大会のご報告

7月30日(日)

県大会が終わった。

結果を先に報告しておこう。団体戦は第3位、個人戦は第4位で、それぞれ東海大会へ出場することが決定した。それにしても、暑くそして熱い3日間であった。

初日は団体戦。県内各地区の予選を勝ち抜いた計32校によるトーナメントである。1回戦は、硬さもあってかいきなり3番勝負。その3番勝負もゲームカウント2−2まで競ったが、以降のゲームを連取してまずは初戦を突破。これで硬さも取れたのであろう、2回戦は初戦でミスが多かった前衛を替えて、3番まで回らずに勝利を収めることができた。これでベスト8。東海大会へはベスト4に残ったチームが出場できる。

その東海大会出場がかかった準々決勝、選手たちを見ていると、さほど緊張はしていないように見えた。はたして、1番は失ゲーム1、続く2番も相手の大将ペアに何とストレート勝ちして、あっさりと東海大会への出場が決まった。

前日の夜、食事から帰ってきた選手たち(宿舎は朝食だけのビジネスホテル)に、「明日東海大会への出場が決まったら、みんなに千円ずつ食費を補助してやるぞお!」などと言ってしまったので、選手分計8千円が消えることになったが、なあに安いものである。

さて、準決勝である。相手はのらりくらりとボールを回して、こちらのミスを待つようなテニスを展開する学校である。本校の選手たちは、こういうチームが苦手だ。どちらかと言えば、相手がびしばしと打ってくるチームの方が上手に対応できる。さて試合開始という段になって、進行の遅れから試合を3面に開いて行うとアナウンスされる。「おいおいマジかよ、それじゃあコーチができないじゃないかあ」と思っていたが、はたしてそれが悪しきに作用した(と思う)。

ソフトテニスのゲームの場合、奇数ゲーム終了時にベンチにてコーチをすることが許されている。時間は1分間。この間、選手は汗を拭いて水分補給を、監督・コーチは具体的な戦術の確認・徹底を図るのである。わずかに1分間ではあるが、貴重な時間なのである。ところが、3ペア同時に試合に入るとなると、じっくり一つのコートだけ見ていればいいというわけにはいかないから、どうしても具体的な戦術確認がいいかげんになる。

この日は、本校の前監督であったモリ先生も応援に駆けつけてくれていた。今は身分の切り替えで行政職になっているので、外部コーチとして登録し、2面同時展開になった場合には手前が付けないコートのコーチをお願いしておいた。しかし、3面ではそれでも手が足りないのである。

手前は大将ペアのコートに入った。試合は有利な展開であった。ところが、2番目3番目のペアは立ち上がりが悪い。これは何とかせねばと思っていたところ、大将ペアが3ゲームリードした時点で、「先生、もう僕たちはこのまま勝ちますから、他のペアのところに行ってやってください」と言ってくれた。「よし、わかった」とすぐに隣のコートに入った。こちらは既に3ゲームを取られて敗色濃厚である。その隣の3番目のペアも2ゲームを先行されている。どちらかが負けてしまえば敗戦である。サイドチェンジでそれぞれのペアに指示を与え、推移を見守る。2番目ペアは1ゲームを取り返すもののそのまま敗戦、勝負は3番目に持ち込まれた。その3番目のペア、取られた2ゲームを逆に取り返して2−2、そのまま勢いを維持しつつゲームポイント、前衛が絶好球をボレーした。決まった!と思った瞬間、ボールはネットに吸い込まれていた。これで流れが変わった。そのミスが尾を引いたか、前衛がその後もミスを繰り返して結局第5ゲームを落とし、次のゲームも流れを取り戻すことなくそのまま敗戦してしまったのである。

気落ちはあったであろうが、まだ3位決定戦が残っている。相手は、またしても変則テニスを展開する学校である。そのことも考慮し、変則にマッチングの悪い前衛選手を替え、オーダーも変えて3位決定戦に臨んだ。

ところが、大将ペアは後衛選手が途中で鼻血を出してから集中力がなくなり、そのまま敗戦してしまう。今まで3番目に入れておいたペアが2番目に入っていたが、ゲームは一進一退。しかし、途中から後衛選手がびしびしとサーブを入れ始めて一気に流れはこちらのものに。そのまま快勝して3番勝負となった。その3番目も、いきなり相手に3ゲーム先行されて「もはやこれまでか」と思いきや、突然前衛選手がポイントを決め始めて形勢は逆転、逆に4ゲームを取り返して勝利してくれた。選手全員で勝ち取った3位であった。

長い一日であった。すぐさま宿舎へと戻り、ともに大会に出場していたオノちゃんたちと小宴。ほとんど脱水症状に近い状態だったので、ビールが水のように飲めてしまう。もちろん、団体で東海大会に出られるという喜びも手伝ってのことである。

翌日は個人戦。この日は出場ペア数が多いため2回戦まで。本校のペアは特に苦戦することもなく最終日に残った。

その最終日、個人戦の3回戦からである。個人戦は、ベスト8に勝ち残ったペアが東海大会への出場権を得る。まずは2勝しなければならない。しかし、ベスト8をかけて対戦が予想されるペアは、団体戦で優勝を飾った学校の大将ペアである。一筋縄ではいかない。オノちゃんたちからいろいろと情報を集め、具体的な戦術を考える。その前に、まずは3回戦を突破しなければならない。多少はミスもあったが難なく3回戦を乗り越え、いよいよ勝負となった。

すぐに選手を呼び、具体的な戦術の確認をする。「ここで負ければ東海大会はないけど、たぶんいちばんやりがいのある相手だろうから、思い切ってやってこい」と送り出した。試合が始まった。最初のゲームは失ポイントなし。上々の滑り出しである。相手があまり上手な選手でない場合にはしなくてもいいミスが多い後衛選手も、ほとんどミスなくすばらしいボールを打っている。2ゲームを連取。「これなら行ける」と思った。1ゲームを取り返されたが次のゲームは取って3−1。しかし、敵も然る者、そうは簡単には勝たせてくれない。粘られて3−2。しかし、相手の反撃もここまでであった。タイブレークになることなく、そのまま4−2で勝利することができたのである。もちろん、これで東海大会へも出場できることになった。

こうなれば、どこまで勝ち上がれるか、選手たちに任せるだけである。監督の仕事は、相手の弱点を見抜き、具体的な戦術を考えるだけである。準々決勝も苦戦することなく勝ち、いよいよ準決勝。この相手も、県内では指折りのペアであった。しかし、この日の本校ペアは気持ちがずいぶんと乗っていたのだろう、終始ポイントをリードしてゲームカウントは3−2。問題のマッチポイントを迎える。

そのマッチポイント、ラリーの中から後衛選手がバックハンドでベースラインいっぱいに打ち込んだボールを相手後衛が返球できずにゲームセット。

と誰しもが思った。

だって、そのボール痕はコート内にくっきりと円を描いていたのだから。次の瞬間、審判の口から「アウト!」のコールがされたのである。はあ?何だって?何て言った?アウト?ゲームセットのまちがいだろ?

こういう場合、監督は審判に「アウトなんですか?」と「尋ねる」ことはできる。だから尋ねた。「アウトですか?」と。「アウトです」「じゃあ、線審がいましたから線審に確認していただけませんか?」とお願いする。しかし、聞き入れられない。線審はアウトの場合には手を挙げることになっている。線審の手は挙がっていなかった。マッチポイントは幻に終わった。ゲームは続行。結局、そのゲームを落とし、続くタイブレークも先行はしたもののあと2ポイントというところで力尽きて敗戦。たいへん後味の悪い敗戦になってしまった。一応、審判長と競技委員長には、正審が線審の判定を参考意見として聴取しなかったことについて説明を求めた。もちろん、判定や結果が覆ることはないんだけど。

この3日間、炎天下の中、選手たちはほんとうによくがんばってくれた。団体戦も個人戦もそれぞれすばらしい結果を残してくれた。何より、痺れるようなプレーを随所に見せてくれた。そんな選手たちを心から褒め称えたい。そして、感謝したい。久しぶりに東海大会に連れて行ってくれるのだから。

監督として東海大会への出場は、3年ぶり13回目である。前回までの出場で、全国大会へ抜けたのは5回。いい選手たちだから、何としても全国大会には出場させてやりたい。もちろん、そう簡単に出場できるものではないということは、何より手前自身がいちばんよくわかっているつもりである。でも、出場する権利はあるところまで勝ち上がってきたのだから、何とかいい結果を出させてやりたい。それが、これまで選手たちを育ててきてくれたモリ先生にも何よりのプレゼントになるだろうから。

その東海大会は、8月8,9日。開催地は三重県の四日市市。それなりに準備をして大会に臨みたい。