浜松一位!

7月18日(火)

市内大会が終わった(正確には、まだ本戦に出られなかった3年生たちによるエキジビジョンマッチが残ってるけど)。

土日(15、16日)は、個人戦。男子は計194組が参加してのトーナメントである。県大会への出場資格はそのうちの上位26組。確実に(順に決定戦をせずに)県大会に出場するためには、4試合(シード3試合)は勝たなければならない。

個人戦の初日は2回戦まで。2回戦からの出場になるシード選手は、1試合やるだけである。待ち時間が長いわりには、試合は1試合しかないのだ。待ち時間が長いと、集中力を維持するのが難しい。朝、開会式を終えてから自分の試合まで、およそ4時間は空く。この日は、朝から青空が広がって気温がぐんぐんと上昇した。待っている間は、荷物置き場にしているテント内にいるしかない。

それが災いしたのかどうかはわからないが、春の選手権では3位に入賞したペア(第7シード)が、初戦で敗退してしまった。ゲームの立ち上がり、前衛がボレーのチップミスを繰り返し、後半は後衛のボールが入らなくなって、あえなく敗戦。これは予想外のことであった。もちろん、勝負事に「絶対」ということがないことくらいは重々承知している。でも、テニスはシード選手が負けにくいスポーツである。油断があったとは思えないが、日ごろの練習を見ている限り、「力を十分に発揮しての敗戦」と言うにはほど遠い試合ぶりであった。

団体戦でリザーブに入れていたペアも、2回戦で敗退してしまった。先行されて、何とか追いついたものの、タイブレークはこちらの後衛が一方的にミスをしての敗戦であった。2回戦で姿を消したペアは、2組とも団体戦の選手たちである。はたして、これで団体戦は大丈夫だろうかという気にさせられる。結局、初日をクリアできたのは3組だけであった。

さて、翌日は個人戦の3回戦以降の試合である。この日も朝から蒸し暑く、前日と同様に気温も高くなることが予想された。その3回戦、いきなり春の選手権で5位入賞したペアが敗退してしまう。前衛を攻められて、後手に回っての敗戦であった。残りは2組。気を吐いたのは、5番手登録のペアであった。タイブレークを掻い潜りながら3回戦を突破、「次勝てば県大会」というところまでたどり着いたのである。しかし、次の相手は第4シード。善戦むなしく敗退し、敗者復活戦に回ることになった。

大将ペア(第5シード)は、ベスト8まで順調に勝ち上がった。準々決勝も、ゲームカウント3-1とリードして危なげない試合ぶりであった。ところが、ここから後衛がおかしくなった。しなくてもいいミスを繰り返して、流れは相手の方に。タイブレークでもこちらのミスは減らず、そのまま敗戦。悔いの残る試合になってしまった。5位~8位の順位決定戦は難なく勝って5位であったが、十分に優勝できる可能性はあった。

17位~26位決定戦に回った残る1組も、その初戦で敗退し、次の試合は勝ったものの最後の25,6位決定戦で敗れ、県大会出場はならなかった。結局、県大会に出場を決めたのは、大将ペア1組だけという結果に終わった。あまり納得のいく結果ではなかった。それは、監督ばかりでなく、選手たちも同様であったと思う。

翌、17日(海の日)は、団体戦の準々決勝以降の試合である。前日の個人戦の結果がどう影響するのかということを心配していた。しかも、準々決勝の相手はオノちゃんのところである。試合は2面同時進行で始まった。

まず、大将同士ががっぷり四つに組む対戦となった。オノちゃんのところの大将ペアとは、前日の順位決定戦で対戦し、本校のペアが完勝している。リベンジに燃えて向かってくる相手は厄介である。案の定、試合は一進一退の展開となり、勝敗はファイナルゲームに持ち込まれた。そのタイブレークも一進一退の攻防を繰り返している。勝敗を分けるものは、わずかの差でしかなかった。

隣でやっていた2チーム目の試合が気になっていた(2面同時進行の試合の場合、監督はどちらかのコートにしか入れない)。横目でちらちらと様子を伺っていたが、どうやら本校のペアが有利に試合を進めているようであった。特に、前衛(まだ1年生、もちろんジュニア育ちだけど)が次々にポイントを決めているのがよくわかった。そのまま、2チーム目の対戦はあっけなく終わり、まだこちらで大将戦が終わっていないうちに、3チーム目の対戦に入った。

本校の3番目は、前々日の個人戦で初戦敗退したペアである。そのときの悪いイメージが残ってなければいいが…と心配していた。しかし、どうやらその心配も杞憂のようであった。個人戦のときとは打って変わって、ふだんどおりの力を発揮しているように「見えた」。あっという間に3ゲームを連取したところで、大将戦が終わった。タイブレークは5-7、オノちゃんのところの大将に軍配が上がったのである。

その瞬間から(正確にはダブルのマッチポイントを逃してから)、本校のペアがおかしくなり出した。続けざまに3ゲームを落とし、ファイナルゲームに持ち込まれてしまう。流れは完全にオノちゃんチームのものであった。「個人戦で一度死んでるんだろ?もう怖いものないじゃないか。開き直ってやるんだ。もう一度、攻め手を再確認して、1ポイントずつ確実に取っていこう」と声をかけた。後衛がだんだんと生き返ってきた。逆に、オノちゃんのところのペアは勝ちを意識してか、ミスが目立つようになってきた。勝負というのはほんとうにどう転んでいくのかわからないものである。結局、タイブレークは5ポイントを連取して主導権を握り、そのまま勝利することができた。それにしても、胃が痛くなるようなしんどい試合であった。

こういう試合をした後は楽である。準決勝は特に苦戦することもなく勝ち、いよいよ決勝戦を迎えた。相手は、昨年秋の新人戦県大会を制した学校である。相手にとって不足はない。

決勝戦が始まった。

トップの大将ペアは、いいテンポで試合を展開していたが、途中から前衛のミスが目立つようになった。後衛にしてみると、そうやって前衛が目の前でミスを繰り返されるといらいらするものである。ところが、個人戦の反省もあったのだろうか、後衛選手は冷静であった。自分に言い聞かせながらコンセントレーションを高めているように見えた。そのうちに前衛も立ち直って、2ゲーム落としただけで勝利することができた。

次の相手は、前衛選手がいない「ダブル後衛」のチームである。事前の情報によれば、「赤いラケット」の選手にボールを打たせるとややこしいので、「白いラケット」の方にボールを集めて、「赤ラケ」選手をいらいらさせるという作戦がよいとのことであった(オノちゃん情報)。ところが、本校のペアは完全にそれを聞き違いしていたのか、「赤ラケ」選手のところにばかりボールを打って、あっという間に1ゲームを落としてしまう。サイドチェンジの際にそのことを再確認して送り出すと、次のゲームは難なく取って1-1。

ここで事件が起きた。本校の前衛が、2ゲーム目のゲームポイントを決めたボールを、相手選手が(たぶん腹立ち紛れに)打ち返した際、そのボールが本校前衛選手の目に当たってしまったのである。咄嗟によけたのだが、ボールは瞼の上部を直撃しており、既に腫れが出てきていた。ソフトテニスのルールでは、こういう場合5分間のタイムを2回取ることができる。すぐにタイムを要求し、本部詰めの養護教諭に見てもらうことにした。

それにしても、言語道断の行為である。ポイントを決められた悔しさはあるだろう。しかし、既にボールデッドになってから相手目がけてボールを打つというのは、あってよいことではない。そのことも審判に確認した。「ルールブックには明記されていないかもしれないが、かような行為については、該当選手および監督に厳重注意をすべきではないか。さらには、このまま本校選手が試合続行不可能になってしまえば、本校の不戦敗になってしまうが、それでは選手は納得できないのではないか。いくら故意ではないにしても、当て得のようなことがあってはならないのではないか」

審判長、競技委員長による裁定を待つ間、件の前衛選手の目の状況を確認する。「大丈夫、見えます」と言っていたのでとりあえずは一安心であった。しかし、試合をしているうちに体温上昇や汗の状況によっては腫れがひどくなることも考えられる。このまま試合はやらせてやりたいが、何より本人の体のことを最優先して考えなければならない。様子を見てくれた養護教諭の話では、何とかタイムの間には視力が回復してくるのではないかとのことであった。

審判長と競技委員長がやってきた。「ルール上、相手選手にペナルティを課すことはできません。もちろん、その行為については該当選手および監督には厳重に注意を行います。さらには、もしもこのままボールを当てられた選手が試合続行不可能であるのなら、貴チームではなくボールを当てた相手チームを不戦敗にするということで相手の監督さんにも了解を得てあります」とのことであった。

タイムの時間も残り2分。引き続き、目の様子を確認する。
「ちゃんと見えるか?」
「見えます」
「近くも遠くも見えるのか」
「見えます」
「試合はできそうなのか」
「ハイ、できます」
これで試合の続行が決まった。

その立ち上がり、いきなりボレーミスである。「おいおい、やっぱり微妙に見えないんじゃないのかなあ」と心配になる。後衛もミスが重なって、ゲームカウントは1-2。作戦を変更する。これが奏功して、一気にゲームを取り返して3-2。ところが、ここから再び前衛選手にミスが出だして勝敗はファイナルゲームに持ち込まれた。再度、戦術の確認をして送り出す。タイブレークは、終始リードを奪ってそのまま勝利、合併後初の市内大会男子団体戦を制することができた。

本校のチームは、今年の3月まで前任監督のモリ先生が手塩にかけて育ててきたチームであった。手前は、その選手たちをいかに上手に育てるかということに心を砕いてきただけである。個人戦では申し訳ない思いをしたので、何とか団体戦では結果を出して、モリ先生を喜ばせてやりたいと思っていた。だから、今回は選手たちと同じウェアも着用して(今までそういうことは一度もしたことがありません)、選手たちと気持ちを揃えて団体戦に臨もうと思った。いやあ、優勝できてほんとうによかった!

夕方からは、オノちゃんたちといつものお店で小宴。気が休まることのない3日間であったから、落ち着いて飲むビールはまた格別であった(もちろん、優勝したということもあります)。とりあえずこれで一息であるが、今月末には県大会が控えている。浜松1位は、第1シードである。第1シードの名に恥じないよう、さらに練習を積み重ねて県大会に臨むばかりである。