沼津はやっぱり鰺の干物大会

6月12日(月)

先週の金曜日からは、土曜日に予定されていた県選手権への参加のため沼津へ。大会が行われるのは富士宮であるが、前日の練習と宿泊をK学園高にお願いしたので、授業が終わってからすぐに沼津へと移動したのである。

今回の県大会へは、主力の後衛2人が不参加であった。2人は硬式テニスのクラブに入っていて、その日は硬式の重要な大会と重なってしまったとのことで、残念ながら不参加となってしまったのである。特別な事情があった際には、エントリーを1人まで変更できる。本校からは3組の出場であったが、そのうちの2組の後衛を選手変更して参加することにした。

金曜日の夜は、オノちゃんのところの生徒たちも同じくK学園高に宿泊をお願いしていたので、夜はK学園高のスガイ先生、オノちゃんと手前とで、いつものお鮨屋さんにて小宴。翌日は試合なので、早々に切り上げて宿舎に戻る。

翌朝は、試合会場である富士宮市民テニスコートへと移動。富士宮までは沼津インターから1区間なのだが、その1区間がけっこう長い。およそ40分で富士宮市民テニスコートに到着する。このテニスコートは、平成3年にはインターハイを、同8年には全国中学校大会を開催したこともある会場である。しかし、今となっては、駐車場の狭さ、観戦スタンドの少なさ等、大会を開催するという点では施設の不便さが否めない。今回も、2回戦が終了するまでは、出場選手とその応援の生徒・保護者で足の踏み場もないような状況であった。さらには、市民コート10面ではとても試合が消化できないので、すぐ近くにあるO富士中学校のテニスコートも借用しているのだが、これも不便だ。いくら近くにあるといっても、歩いて往復30分くらいはかかる。本校のように、複数組が出場している場合には、そのO富士中へと割り振られたペアの試合は、ほとんど見にいくことができない。大会関係者には、出場組数のことも含め、ぜひ御一考を願いたいものである。

その試合であるが、本校選手たちは残念ながら2回戦までですべて敗退してしまった。特別に強い相手と対戦したというわけでもなかった。もちろん、主力後衛選手がいなかったということはあるのだが、代替選手でも十分に対抗できる相手であったように思う。差は紙一重であった。でも、その「紙一重の差」を埋めるのが最も難しい。中体連の夏季大会まであと1ヶ月を切った。いよいよ仕上げの時期に入ってきているのである。そういう意味では、夏季大会までの課題がはっきりした試合であったとも言えよう。

全ての組が午後2時過ぎまでには敗退したので、すぐにK学園へと戻り、高校生と一緒に練習させてもらうことにする。女子とは言え、高校生、それもインターハイに出場するような選手たちの打つボールのスピードは速いし力強い。本校のお坊ちゃんたちは、返球するのに精一杯で、驚きながらまた目を白黒させながら練習をしていた。練習中のきびきびした動きも、自分たちの普段の練習とまったく違っているということを実感したであろう。これも、最後の夏季大会に向け、普段の練習から何を心がけて取り組んでいかなければならないかということを考えさせてくれたことであろう。そういうねらいもあっての沼津宿泊だったのである。

さて、まじめなお話はここまで。練習終了後は、途中から合流したヨッシーらも交えて、学校近くの中華料理店にて小宴。なんでまたヨッシーが沼津まで来るんだよって?実は、ヨッシーはこの春の異動で何とオノちゃんと同じ学校になったのである。ソフトテニス部の顧問は男女とも正顧問がいるので、女子部の副顧問になったのである。さらには、ヨッシーは手前の勤務する学校出身であることから、地域総合型スポーツクラブの指導者でもあるのだ。だから、「よかったら、沼津へ来るときウチの有望な1年生2人を乗せてきてくんない?」とお願いしたのである。

「このお店は、中華の中でも卵を使った料理が特に美味しいんです」というスガイ先生のお薦めで、ビールを飲みつつ次々と料理を平らげていくこと約2時間。既に満鼓を打つ状態である。飲み始めたのは6時くらいであったから、まだ8時前である。スガイ先生、ヨッシー、オノちゃん、手前と4人揃えば、やることは決まっている。生徒たちは、オノちゃんのところの新採の男子副顧問に任せ、近くの雀荘「ニュー竹」へと移動する。「甲南麻雀連盟浜松支部、沼津はやっぱり鯵の干物大会」が始まったのである。

「時間あるから東南でやろうよ」と言ったのだが、「いやいや飲んだときはかったりぃから東回しにしましょうよ」というオノちゃんの提案で、東風戦第1回戦が始まった。手前は第3局くらいまでは鳴かず飛ばずであったが、ラス前の親で役牌のみで和了してからツキ始め、そこから怒濤の和りを見せてまずは1回戦のトップ(+38)を飾った。大きく負けたのはオノちゃん(-42)。彼には珍しく「焼き鳥」であった(そうはいつも勝てないってことよ)。

続く2回戦は、東場では決着がつかずに南入し、ヨッシーを除く3人が僅差ではあったが、自摸に恵まれた手前が再びトップ(+24)。

場替えをした3回戦、手前はオノちゃんが座っていた場所に替わったのだが、相変わらず自摸は好調で、早い立直から和りを連発して三たびトップ(+39)。この時点で、手前のトップは100超えた。ふっふっふ、試合に勝てなかったのだから、麻雀では勝たしてもらうのだよ。炎上したのはオノちゃん(-26)。手前とスガイくんにダブロンを当てられたりして「試合でも勝てずに麻雀でも勝てない人はどうすればいいんだよお!」と自棄ぎみ。

4回戦、手前は親でドラを引いて七対子単騎待ちとなった。「単騎は西で待て」とは古訓である。既に、河には西が2牌捨てられている。立直をかけ、笑壺に入って待つこと数巡、スガイくんの追っかけ立直を避けて西を打ち込んだのは、誰あろうオノちゃんであった。ツイてないときというのは、そういうものなのである。この回は、手前の一人勝ちで4連勝(+31)。すでにトータル+132である。この調子で勝ち続けると、+200は行けそうな勢いであった。

まだ11時前ということもあり、場替えをしてラスト2回。この時点でオノちゃんはマイナス88。手前とは逆に、負けが100を超えそうな勢いであった。5回戦は、手前とオノちゃんとが最後までトップ争いを演じていたが、最後は「何とか三桁の負けだけは阻止せねば!」のオノちゃんが執念を見せ、親満を和了してトップ(+20)。大きく負けたのはスガイくん(-20)。それまで堅く打って、4回でマイナス12のトータル2位に付けていたのだが、ヨッシーの「ほーら、裏3発!」という、「裏ドラさえなければ単なる立直のみじゃん」攻撃に沈没させられたのである。まったく、ヨッシーの「暗刻好き」にも困ったものである。

最終戦は、何とかマイナスを減らして気をよくしたオノちゃんが、調子よく和がり続けて連続のトップ(+26)、逆にヨッシーの「暗刻裏ドラ攻撃」にペースを乱されたスガイくんは連続のビリ(-17)。かくして、「甲南麻雀連盟浜松支部、沼津はやっぱり鯵の干物大会」も、支部長の圧倒的勝利のうちに幕を閉じたのであった。

本連盟に倣い、結果を記しておこう。
1位 支部長 6戦4勝 +132(一人勝ち!)
2位 ヨッシー 6戦0勝 -41(教訓…「暗刻は裏ドラを呼ぶ」)
3位 オノちゃん 6戦2勝 -42(教訓…「単騎は西で待て」)
4位 スガイくん 6戦0勝 -49(教訓…「コンビ麻雀には勝てない」)

いやあ、沼津っていいところだなあ。おっとそうだ、今回はコヤタ先生に連絡するの忘れてた。コヤタせんせ~、今度沼津に行くときは連絡しますので、どこぞ先生のお薦めのお店で飲みましょうね~(「な~んてこと言ってるから、テニスが勝てないんだ!」という声が聞こえてきそうである)。

翌日の日曜日は、朝からそぼ降る雨であった。「おいおい、天気予報じゃ雨なんか降るって言ってなかったぞ!」と天気に向かって怒ってもしょうがない。昼まで宿舎で待機していたが、けっきょく止みそうにもなかったため、昼食を食べて帰途に着く。高校生と終日練習できると楽しみにしていたのだが、何とも残念である。これも、前夜に勝ちすぎた所為か。スガイせんせ~、また機会がありましたらウチのお坊ちゃんたちを面倒見てくださいね~。ついでに、また「ニュー竹」へ行こうね~。