マスダ名曲堂の思い出

6月20日(火)

ネット書店で書籍を購入するようになってから、街の書店に立ち寄る機会がめっきり減った。でも、まったく行かないというわけではない。どうしても実際に中身を見てから購入を検討したい本もあるわけだし、特にお目当ての本がなくとも、店頭に並んでいる本を眺めているうちに「おお、こんな本があったんだ!」と思わぬ発見をする楽しみもある。

手前のような地方在住者は、欲しい本があっても、それをすぐに手にとって実際に確かめて手に入れることは困難である。だいたい、手前のようにベストセラーはほとんど読まず、その読書傾向にはかなりの偏りがあるような読者の求める本を常に店頭に置いている書店など、よほどな大規模書店でないかぎりない。そういう意味では、ネット書店は大規模書店のない地方在住者には朗報であった。しかし、書店には実際に並べられている本を冷やかしながら、そのときの直感で「お、これおもしろそう」と購入する本だってある。そうして、そういう直感で買った本は、長らく心に残る本であったりすることもあるのである。

最近は、浜松にもそれなりの大型書店が開店している。でも、どこの書店に行っても「思わず本を手に取ってみたくなる」ような気持ちにはならないことが多い。詩人の長田弘は、『本という不思議』(みすず書房)で以下のように書いている。
“本の世界の魅力の源泉は、人びとによって「決シテ無益ノ事ニ非ザル(明治22年、書舗京都大黒屋の新聞広告にある一節)」理想主義にあるのだ、という明るい秘密です。そこに本があるのが、街の本屋です。そこに本があるというのは、そこに秘密があるということです。本屋という場所にわたしたちが誘われるのは、そう意識していようといまいと、本屋の本棚の本がひそめる理想主義という秘密に誘われて、です。”

そうなのだ、いくら多くの本を取り揃えた大型書店であっても、そこには「本棚の本がひそめる理想主義」が感じられないのである。それは、配架が醸し出す独特の空気と言おうか、知的な雰囲気と言い換えることもできようか。でも、そういう雰囲気が感じられる書店は、少なくとも浜松にはない。書店から自然、足が遠ざかっていたのは、あながち「ネット書店で注文できるから」ということばかりではなかったということなのだろう。

わかってはいても、僅かな発見を期待しつつ書店に出向くこともある。昨日も、「なんかおもしろそうな本はあるかな?」と思いつつ、郊外の大型書店(いちおう県下最大店舗との触れ込みです)に立ち寄った。案の定、購入意欲をそそられる本とてなかったが、おもしろそうな企画(「ランティエ叢書」角川春樹事務所)の本を発見したので、そのうちの2冊(五味康祐『ベートーヴェンと蓄音機』と、谷崎潤一郎『東西味くらべ』)を購入してきた。この叢書は、それぞれの作家が書いたものの中から、特定のテーマに絞った文章だけを集めて一冊にまとめたシリーズである(もう一冊、池波正太郎『江戸前食物誌』も購入しようと思ったのだが乱丁だったためパス)。

五味康祐は、その剣豪小説は一冊も読んだことがないのだけれど、クラシック音楽やオーディオ機器のことを書いた『西方の音』や『天の聲』(ともに新潮社)は、学生時代からの愛読書であった。今回のアンソロジーには、もちろんそれらの本に収められていた文章も再録されているのだが、他の読んだこともない文章も多く載せられていたので、つい懐かしくなって購入してしまったというわけなのである。

とりわけ、『天の聲』に収録されていた「《弦楽四重奏曲》作品一三一」という文章は、何度も何度も繰り返して読み、その言葉一つ一つに込められた筆者の得も言われぬ情念に、ひどく興奮させられた思い出深い文章である。
“ベートーヴェンは、つまり、ゆるしたのだ。己を取り巻く一切の不条理を。ウィーンの諸君を、十人しか注文のこない世間を。-この心境が、惻々と作品一三一に鳴っている。それがぼくらを結局は勇気づけ、浄め、ゆるす決心をさせてくれる。重ねて言うが不幸な音楽だ。諦観の最も澄んだ境地がこの作品にあるというのは、その意味では正しい。だが所詮あきらめずに何びとが生きているだろう。ベートーヴェンよ、私のベートーヴェンよ。(…)ニヒリズムが神の否定に発するなら、作品一三一の心境まで辿ってしまったベートーヴェンは、ある神学者が指摘したようにニヒリストになるのだろうか。何というやさしいニヒリストか。”

今回のアンソロジーにももちろん入っていたので再読してみたのだが、読んだ当時の興奮が甦ってきて何とも懐かしい思いにさせられた。同時に、その文章を読んですぐさまレコードを買い求めようと走った神戸三宮の「マスダ名曲堂」(そうだ、神戸のワタナベさん、覚えてますか?)のことを思い出した。

「マスダ名曲堂」は、JR三宮駅北側のビルの1階にあった。間口は二間くらいで、店内は少しのレコードが飾ってあるだけで、客が5人も入ればいっぱいになってしまうような狭い店舗であった(と記憶している)。カウンターがあり、そのとき既に高年の小柄な男性が店番をしていた。

在庫しているレコードは、すべてそのご主人が作成したカード(縦5㎝×横15㎝くらい、白い厚紙製で曲名や演奏者が一枚一枚丁寧に手書きされているもの)にまとめられている。欲しいレコードが見つかると、そのカードを見せて「これください」ということになる。たまに、「このレコード、どうですかねえ?」などと尋ねると、「フルヴェンやろ?ええでえ、これ。ほんまええ演奏や」などと、か細い声でコメントしてくれることもある。その一言で購入が決定づけられるのである。

レコードの包装も忘れられない。大きな厚手のクラフト紙を使用して、独特の包み方で丁寧にレコードを包み、最後に「マスダ名曲堂」という店名と電話番号の入ったゴム印を、ぽん!と押してくれるのである。この「マスダ名曲堂」で購入した件の「弦楽四重奏曲作品131」(ベートーヴェン)のレコードは、スメタナ四重奏団の演奏であった。

それからというもの、「どうしてもこれだけは量販店で買うわけにはいかない」というレコードは、すべて「マスダ名曲堂」で購入してきた。例えば、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」(フルトヴェングラー指揮)とか、バッハの「マタイ受難曲」(クレンペラー指揮)などである。

当時の学生にとって、レコードはけっして安い買い物ではなかった。だいたいLP1枚が2,000円であった。そのころの一日のバイト代が一日4,000円だったことを考えれば、どのくらいの値段であったかが想像できよう。当然、LPを購入しようとすれば演奏者にはこだわるようになった。その曲の「極めつきの名演」のレコードを求めるようになったのである。「トリスタン」にしても「マタイ」にしても、それぞれLP5枚組である。高価なのである。ならば、それなりのお店で購入しようということになる。一も二もなく「マスダ名曲堂」へ出向くことになるのだ。

値段のこともあるのだが、そんなレコードは、それこそ「盤面が擦り切れる」ほど聞いた。それを思うと、昨今「擦り切れるほど聞いた」CDってあるのだろうかと思ってしまう。

その「マスダ名曲堂」も、レコードがCDに席巻されるころにはなくなっていた。{マスダ名曲堂}がまだ開店していたころまでが、音楽も消費財ではなかったような気がする。何とも懐かしい思い出である。