雨病みスーさん

5月23日(火)

梅雨入りはまだというのに、よく雨が降る。

たまに降る雨はいいけど、こう毎日毎日雨ばかりだと、どうも気が滅入ってくるし、イライラしてしまったりもする。

そもそも、テニスをする(教える)人間には雨は大敵である。プレー(練習)ができないのは言うまでもなく、コートそのものが使用できなくなる。本校のテニスコートは水捌けがとてつもなく悪い。一度雨が降ると、少なくとも3日間はコートが使用できない。いつまでも水たまりがなくならないのである。部員たちには、「今日もお休みね~」と連絡せざるを得ない。勢い、テニス部の顧問をしていると、天気予報には必要以上に敏感になる。今は差し迫っての試合がない(おっと、来月には県選手権があったっけ)からいいのだけれど、これからの梅雨の時期をどう乗り切っていくのか、今から考えておかねばならない。

雨は服にもよくない。先日は、クリーニングに出したばかりのスーツを着用していったところ、夕方から大雨(その日の天気予報では雨は降らないって言ってたのに!)。車に乗るところでスーツもしっかり濡れてしまい、せっかくの気持ちのいい折り目の付いていたパンツも、なんとなくだらしない感じになってしまった。ったく、雨ばかり降りやがってという気分になってしまう。

雨だと、合気道の稽古に行くのも、もよってしまう。稽古場はスポーツセンタービルの6F。稽古着を背負って、駐車場から傘をさしていくのが鬱陶しい。その傘も、入口の傘立てに置いておくと、他講座を受講している人が間違って持ってったりして、帰るときに傘がなかったりするのがイヤだ(今までそんなことはなかったけど)。

その合気道の稽古だけど、内田先生は先日の日記に「合気道の場合は、受けの巧拙が大きく影響して、身体感覚のいい人に受けをとってもらうと、めざましく術技が向上する」と書かれていた。そうなんですよね。時に、「受け」の人が技についての「蘊蓄垂れ屋」のような人だったりすると、固め技の時などに滅多に畳をたたかないばかりか、「もっとこうやってください」などと「ご教示」してくれたりすることがあったりする(まだ「白ズボン」なのに、ですよ)。それが、押しつけのようでなく「ああ、もっとこうやった方がうまくいきますよ」と教えてくれるのならいいのだが、「蘊蓄垂れ屋」の場合には、「あなたの技はワタシには効いていない、もっとこうやればいいのだ」という「無意識の批判」をしたいがための「ご教示」になっているから始末が悪い。

たぶんこういう類の人って、多田塾道場心得に「人の技を批判しないこと」と書かれていることすら知らないのだろう。こういう人と稽古するのは、本当に疲れる。もっとも、そういう人とは組まなければいいのであって、稽古の時にはできるだけそういう人から遠ざかっていればいいのだけれど、たまたまタイミングが悪くて、その人と組まなければならないような羽目に陥ることもある。そういう場合、のっけから「では手をこうしてください」って始まるのである。あのさあ、オマエいつから師範になったんだあ?って、いきなりぐったりと疲れてしまう。とにかく、楽しくないのである。

などということを、手前にとっては合気道の「兄弟子」にあたるイワモトさんに電話で愚痴ったりしていたところ、兄弟子からは「内田先生もよくおっしゃっていますけど、そういう人と稽古しても自分の身体感覚が悪くなるだけですから、極力近づかないようにした方がいいですよ」とのアドバイスをいただいた。さすがは兄弟子、よくわかってらっしゃるのである。

ふだんなら、そういう類の人からはできるだけ遠ざかるようにしているんだけど、そうならないのも雨のせいだ、きっと。通常の思考・行動のパターンが微妙にずれているのである。

ん?ちょっと待てよ、こういう言い回しって、どっかで読んだことあるぞ?

おお、思い出した、昔の中2の国語教科書に載っていた「六月の蠅取り紙」(ねじめ正一/『高円寺純情商店街』より)だ。乾物屋を営んでいる主人公の家は、湿気の多い6月になると、その湿気との戦いのためだろうかどうも家庭内につまらない諍いが多くなる。そんな中でいろいろと気を遣いながら「これだから六月は嫌だ、六月は嫌だ、六月は…」とうんざりしている主人公の姿を描写したお話だった。そうなのだ。しょせん人間は天然自然の理には敵わないのである。

天候等の自然現象や自然環境が、その地域に住む人間に及ぼす影響というか、その地域独自に醸成されたエートスとでもいうべきものはあるのだろう。音楽や文学にしても然り。雨が多かったり、青空や太陽が滅多に顔を出さないところと、からっと晴れてどこまでも青空が続いているようなところとでは、そこで生み出される音楽や文学には、当然違いが出てくるのだろう。

よく言うではないか、ブラームスの音楽の沈鬱さは、生地である北ドイツ、ハンブルクの気候なくしては語れないと。トーマス・マンにしても然り。『トニオ・クレーゲル』で、「金髪のインゲボルク・ホルム」に対置されたものは、生地リューベック独特の気候も大きく影響していたはずだ(たぶん)。イタリア・オペラの(乱暴に言えば)脳天気な明るさも、その地の明るさと無関係ではあるまい(ちなみに、手前はイタ・オペは好みません。もちろん、人の好みは天然自然の理とは関係ないだろうけど)。

事ほど左様に、今月このまま雨天が続き、もしやそのまま梅雨に突入するようなことあらば、日本列島に事件事故の頻発するであろうことは必定、ここは何をさておいても大陸からの移動性高気圧にお出ましいただき、この最後の一週間、「五月晴れ」にふさわしい爽やかな青空を齎してほしいのである。