スーさん、「男の料理」に挑戦

5月15日(月)

雨の土曜日は、終日家に引き籠もって読書。

『UFOとポストモダン』(木原善彦/平凡社新書)はおもしろかった。教育に引きつけて、昨今の教育界の動向を、ポストモダニズムの視点で見直してみるのも何か新しい発見があるかもしれない。これは後日のお楽しみ。

夕方からは、5月に入って初の浜松支部定例会。メンバーは、ヨッシー、下野国、オーツボくん。最初の半荘からオーツボくんが絶好調。オーラスまで手前と僅差だったが、ラス親で親満を和了り続けて結局大差でオーツボくんがトップ。次の半荘は、そのオーツボくんお得意のダマテン攻撃に点棒を供出し続けてハコ下の手前がビリ。「こ、これはいかん」と気合いを入れ直し、場替え後の半荘は何とか2回トップを取って何とか支部長の面目を保つ。トータルのビリは、またもや下野国。よくリーチはかかるのだが、和了るところまでいかない。「また芦屋へ行きたいですう」とつぶやきながら、マイナスを積み重ねる。まだまだ修行が足りないのである。

さて、久しぶりに青空の覗いた日曜日は、「料理といふものを男もしてみむとてするなり」と、夕食づくりに挑戦。きっかけは、『中高年からはじめる男の料理術』(川本敏郎/平凡社新書、またもや平凡社新書だ)。確か、新聞の書評欄で紹介されていた本である。

“男が料理をはじめるとき、どうも能書きを垂れ、ウンチクを山盛り振りかけたいわゆる「男の料理」や、家庭料理とはひと味違ったプロはだしの料理を目指したがる。(…)しかし、日々研鑽に励むプロと年に数回しか台所に立たない素人では月とすっぽんと言うのもはばかられるほど開きがある。(…)趣味で金に糸目をつけずに作る料理ならともかく、四十代からはじめる家事としての料理は、プロ志向は最初からあきらめたほうがいいということだ。プロから教わるにしても、家庭で簡単に作れるようなレシピに限るべきなのだ。(…)家事としての料理は女々しくならざるを得ないのだ。スーパーで売っている食材や調味料を使って、それなりにうまければそれでいいのである。この「それなりに」が、家事としての男の料理にとって大切となる。つまり、材料とうまさとの釣り合い、コストパフォーマンスが重要なのだ。”

「そうだよなあ、そうですとも」と首肯しながら読んでいくうちに、「じゃあやってみっか」ということになったのである。この日は仕事が休みだった妻に、「あのさあ、家にバージンオリーブオイルってある?」と尋ねると、「は?ふつうのオリーブオイルだったらあるけど、何に使うの?まさか料理するとか?」と宣うので、「いや、ちょっと今夜の夕食作ってみようかなって思ってさ」と言うと、「なになにどうしちゃったの?それも内田先生の影響?」「いやそうじゃなくて、この本読んだんだよ」と、件の本を妻に見せ、「とりあえず本の最初に書いてある3品を作ろうと思うので、材料とか家にないもの買ってきてくれる?」と頼んだのである。作ろうと思ったのは、①ミネストローネ風野菜スープ、②ピエモンテ風ソース、③鰯のふりかけソテー、である。

今まで料理の経験が全くなかったわけではない。大学を卒業して、神戸でフリーターをしていたときには、週に何回かは近くの市場で買い出しをして自炊をしていた。ご飯を炊いて、みそ汁もちゃんと出汁を取って作っていた。だから、料理を作ることに別段抵抗があったわけではなかった。それにしても、結婚してからというもの、自慢じゃないけど一度も料理は作ったことがない。というか、妻の作る料理はおいしいから、手前の作る野卑な料理など出番はなかったのである。

手前もあと10年とちょっとで定年である。その後どうするかは何も考えていないが、老後の家事も少しはできるようにしておかないと困るということくらいは想像することができる。件の本にも書いてあったけど、熟年離婚の原因の多くは、定年後の家事を妻に任せっきりにしていることらしい。手前もこのまま何もかも妻に頼ってばかりでは、いつ妻から「実家に帰らせていただきます」と宣告されるかわからない。それはともかく、少なくとも料理が作れないから困ることはあっても、料理が作れることで困ることはない。作れるようにしておくに如くはないのである。

さて、妻が買い出しに行っている間に再度手順を確認し、具体的な調理方法をだいたい頭に入れておくことにする。ほどなく妻が帰ってきて、食材やら調味料やらが揃った。ボールや皮剥きなどの在処を確認し、調理開始。

最初は、手間と時間がかかりそうな「野菜スープ」から。緑黄色野菜は、ガンの予防にもよいとのことで作ってみることにした一品である。まずは、玉葱のみじん切り。続いて、人参、セロリ、馬鈴薯、パプリカをそれぞれさいの目切りにする。さらに、キャベツは色紙切り。大蒜はみじん切り、ベーコンは小口切り、最後は、ホールトマトを缶から出し、手でつぶして材料の加工はほぼ終了した。エラソーに「みじん切り」だの「さいの目切り」だのと書いてはいるが、斯様な切り方をマスターしていたわけではない。本を見ながら、「ふむふむそう切るのか、はあ?繊維に沿って切れ目を入れてその後90度回転させて幅8ミリに切っていくだとお?どうやって切ればいいんだよ」と悪戦苦闘していたのである。で、詰まるところは「まあ男の料理だからな、いい加減ということも大切なんだよ」と自らに言い聞かせつつ、かなりラフな加工になってしまったというところが真実なのである。

次は、それらの野菜を炒めるのである。初めはベーコン。鍋にオリーブ油を敷いて、「中火でベーコンの脂肪分が溶け出るくらいにカリカリに炒め」るのである。ところが、火が強すぎたためか、ベーコンがどんどん焦げていく。「おおお、やばいやばい」と言いつつ火を弱め、すぐに大蒜を入れることにする。次は玉葱。焦げたベーコンがあまり見えなくなったのでややほっとする。木杓子で混ぜながら、用意した野菜類を次々と投入する。「よおし、次はいよいよホールトマトじゃ」と思いきや、「し、しまった、セロリの葉は最後に炒めなきゃいけなかったんだあ、あ、馬鈴薯入れるの忘れてた!」と、「男の料理」なんてこんなものなのである。

ようやく水を入れて、煮込みにかかる。ここまでに、既に2時間近くを経過している。「おっと、待てよ、煮込む前にローリエなるものを入れにゃあいかんみたいだぞ」と気づいたのだが、どこにあるのかわからない。外出していた娘を迎えに行っていた妻に電話をかけ、「おい、ローリエってどこにある?」と尋ねる。場所を聞き出し、ようやく煮込みへ。

煮込む時間は約40分ほど。しかし、その間も一息ついている暇はない。次は、「ピエモンテ風ソース」の作成なのである。「なになに、最初はパプリカをオーブンで皮に黒こげになるまで焼くだと?その前にオリーブ油をかける?これって、そのままオーブンに入れてもいいのかなあ。まあいいや、入れちゃえ」と、こんな調子の「男の料理」なのである。

恥ずかしながら、手前はレシピに書いてある「バゲット」や「アンチョビフィレ」や「ケイパー」なるものがいったい如何様なものであるのか、まったく無知であった。したがって、でき上がりがどうなるのかはまったく想像すらできなかった(残念ながら件の本には、料理のでき上がり写真が添えられてはいないのである)。「はあ?バゲットってフランスパンのことかあ、なーんだ、だったらそうやって書いとけよ」って本に当たっても始まらない。「なにい?アンチョビナントカって缶詰かよ、いったい何が入ってんだ?」と開けてみると、何やらミミズのようなもの(すみませんこんな表現しかできなくて。でもホントに一瞬そう見えたんです)が入っている。「おいおい、これ何だよ」と箱の裏側を見ると、どうやら鰯の剥き身の油漬けだということがわかった(どうぞお笑いください。これが「男の料理」の実態なのです)。

水につけてふやけた「バゲット」に、「アンチョビフィレ」とイタリアンパセリのみじん切りと、オーブンで焼いたパプリカのみじん切りを混ぜ、ケイパー、白ワインビネガー、エクストラバージンオイルを「適量」加えて、「ピエモンテ風ソース」の完成である。しかし、手前の作ったものは、どう見ても「ドラえもん風ソース」って感じであった。さっそく試食してみたが、味は悪くない。でも、かなりしょっぱい。「まあ、これは酒のつまみということで」と自ら納得する。

そうこうしているうちに、娘と妻が帰ってきた。どうやら、娘はカレシの家で夕飯をご馳走になってきたらしい。「あのなあ、せっかくおとーさんが料理を作ったというのに!」などと野暮なことは言うまい。たまさかの「男の料理」とは、そういうものなのである。妻は、「わあ、いいにおいするじゃん、もうできたの?食べてみていい?」とおっしゃる。「え?これお父さんが作ったの?ワタシも食べていい?」と娘。「とりあえず、野菜スープとソースはできたのでどうぞ」と答え、二人の批評を確かめずに風呂へ。

風呂から上がると、二人とも「この野菜スープはおいしい!」と評してくれた。ソースの方はやや不評であった。どうもアンチョビフィレの塩辛さが二人の好みではないらしい。それもそのはず、この「野菜ソース」なるものは、茹で野菜などと一緒に食すためのものだったらしい。そもそもソースだけで食すものではなかったのである。まあいいや、これぞ「男の料理」なのである。

ようやく、食事である。ふう。おっと、まだ「鰯のふりかけソテー」が残っていた。これは簡単。今回は鰯がなかったとのことで、妻が鯵を購入してきたので、それで代用する。開いた鯵にふりかけを塗し、オリーブオイルを敷いたフライパンで焼くだけである。これも、妻には大好評で「明日のお弁当のおかずにしよ」と言ってくれた。

ビールを飲みながら自作の料理を食べる。まあまあである。確かに「野菜スープ」はいける。酒のつまみになると思われた「ピエモンテ風ソース」は、やはりつまみとしてもいまいちであった。鯵は可もなく不可もなし。その作成のシンプルさを考えれば、美味なるものを求める方が無理というものであろう。

かくして、「男の料理」の夕餉は終わった。疲れた。料理を作るというのは、大変な作業であるということを実感した。毎日食事を作ってくれる妻に、改めて感謝の意を表したい。妻からは「いきなりこんなに凝った料理を作ろうとするからたいへんなのよ、きっと」と言われた。妻によれば、その日スーパーで見かけた食材で「これおいしそう」と思ったものをできるだけ簡単に調理するのが、毎日の料理のコツなのだそうだ。やはり、「男の料理」はせいぜい月1回、または半年に1回、はたまた年に1回程度のものということなのだろう。

これで、またしばらくは料理は作らない日々が続くんだろうな、たぶん。でもまだ定年までは時間がある。少しずつ「男の料理」もレベルアップを図っていけばいいのだ。とりあえず、今回は野菜の切り方がだいたいわかっただけでも収穫であった(と納得しよう)。