スーさん父を語る

3月1日(水)

先週の土曜日は、娘の学年末試験とも言うべき「学年コンサート」を聴くために、娘の通う高校へ。在籍する学年の生徒全員が、自分の選んだ曲で先生からレッスンをつけてもらい、それを発表するという会である。

演奏される曲目は様々。各自の専攻によって、独唱、管楽器の演奏、作曲の発表など、バラエティーに富んでいる。

手前の娘はピアノ専攻ということで、ショパンのピアノソナタ第2番から、第1・2楽章を演奏した。コメントは、もちろん親バカになるであろうから控えさせていただきたいが、タッチがずいぶんと力強くなっているという印象であった。

楽器の演奏というのはかなり難しいところがあり、傍で聴いて「いい演奏だ」と感じても、実際にホールで聴いてみると印象が薄かったり、逆に傍で聴くとずいぶん乱暴な演奏のように聞こえても、ホールでは「すばらしい演奏」と聞こえることがあるのだ。

演奏者としての評価は、もちろん後者の方がよいであろう。しかし、どの程度の音を出せば「ホールでの聴衆」に訴える演奏となるかという判断を、演奏者自身が判定することは難しい。さらには、ホールの大きさによっても演奏を微妙に調整しなくてはならないということもあるだろう。

こういうことは、いろいろなホールでの演奏経験を積んでいけば、演奏者自身がフィジカルに了解していくことなのだろうか。実に音楽の演奏というものは難しいものである。

さて、今回のコンサートには、何を思ったか手前の老父が「できれば聴きにいきたい」と娘に申し出た。今まで、孫娘の演奏を聴きたいと思いつつも時宜を得ず、結局一度も聴いたことがなかったため、今回こそは聴いておきたいと思ったのだそうだ。

実は、昨年末に父の弟が他界した。表面では平静を装っていたが、自分よりも弟の方が早く逝ってしまったことに、父は少なからぬ感慨があったに違いない。それからは、ことあるごとに「もうオレもいつ逝くかわからんでなあ」ということを口にするようになった。

今回の申し出も、そんな経緯があってのことと想像される。

これは、手前の母親から聞かされた話だが、父は若いころから特にベートーヴェンを深く愛好しており、シンフォニーのスコアを読んだりするだけでは飽きたらず、自らヴァイオリンを独習したこともあるくらいのクラッシック音楽の愛好者であったらしい。

結婚して子ども(手前のことです)ができると、「ヴァイオリンを習わせる」と宣い、子供用ヴァイオリンを購入して、むずかる子ども(もちろん手前のことです)にむりやりヴァイオリンの手ほどきをしようとした(手前はヴァイオリンをアゴに挟むのがどうにも違和感があってうまくできなかったことを覚えています)。

しかし、デキの悪い子ども(くどいようですが、手前のことです)は、いっこうにヴァイオリンのお稽古に精を出そうとはせず、すぐに外へ遊びに行ってしまうようなガキだったため、せっかく購入したヴァイオリンも、他の玩具類とともに押し入れの中へ片付けられてしまったのだそうだ。

また、年末になると恒例の「第九」がテレビで放映されるのだが、紅白の裏番組で放映されていた第九を、家族の非難の視線などものともせずに、一人悦に入って見入って(聞き入って)いただけでなく、子どもたちにも「しっかり見ておけ」と訓示していたことも覚えている。

手前がクラッシック音楽を嗜むようになったのも、そんな父の影響が大きいのだろう。

こんなことを書くと、「何と高尚な趣味をお持ちの父上か」と思うかもしれない。そんなことはあろうはずがない。父は、昭和の初めの生まれであるが、当時の義務教育学校が最終学歴である。鬼籍に入った父方の祖母は、生前よく「あの子にはサジを投げた」と言っていた。若いころから向こう見ずのし放題だったのだろう。

そんな父であったから、他人とうまくつき合うことなどできるはずがなく、手前が小さいころなどは、母とは言うに及ばず、近所の大人たちや母方の祖母などともよく諍いを起こしていた。

もちろん、子どもともろくに話などしたことはなかった。これは決して誇張ではなく、手前が生まれてからこの方、父と交わした会話の総時間はたぶん1時間にも満たないのではないかと思われる(たとえば、手前が大学に在学中、生活費に困って家に電話をかけたときなど、たまたま電話に出た父に「お金ないんだけど」と言うと、「わかったよ」と答えて電話を切ってしまうというような、ほとんど全ての会話がわずか2秒で済んでしまう人なのである)。寡黙でどちらかと言えば人付き合いの苦手な父である。

そんな父が、孫娘の演奏をどうしても聴きたいと出かけたのである。

手前の娘の出番は第3部だったため、ちょうど第2部が終わったころを見計らってホールに顔を出すと、ふだんは着たこともないツィードのジャケットを着て、満面に笑みを湛えた父が座っていた。

父のあのように満足げな表情を見たことはあまりない。まだ孫娘の演奏は聴いていないのに、よほど気に入った様子だ。久しぶりに生のクラッシック音楽を聴いて、昔を思い出したのだろうか。隣にいる妻の父と二人で、あれやこれやと楽しそうに話をしていた。

残念ながら、娘の演奏についての感想は聞いていない。手前は午後から部活動の指導のためすぐに学校へと向かったので、その後の様子を妻に聞いたところ、「一緒に食事でもどうですか?と誘ったんだけど、買い物したいからと断られちゃった」とのことであった。いかにも父らしい。

それ以後も、孫娘の演奏のことなど一切口にせず、相変わらず三味線のお稽古(母には「三味線はヴァイオリンに通じるものがある」と言っているそうな)と、手作りの囲炉裏部屋製作にせっせと精を出しているのである。

こういう父の気質は、多くその子どもに伝えられているはずである。

先日、本校の養護教諭から「先生は自閉症の傾向がありますね」と言われてしまった。もちろん、冗談半分(半分は本音)で言われたのだろうと思われるが、あらためてそう言われると、「そうか、オレって自閉的なんだ」と妙に自分で納得するところがあるから不思議だ。親子揃って、「自閉的傾向」の持ち主ってわけだ。

これから私とお付き合いする人は、そこのところをよーく理解して接してくださいませ。ちなみに、今日はわたくしめの誕生日です。