大掃除のBGMには『フィガロの結婚』がいいです

1月24日(火)

最近は、クラッシック音楽が社会的なブームになっているそうな。

火付け役になったのは、コミックの『のだめカンタービレ』(講談社)と、CDの『ベスト・クラッシック100』(東芝EMI)らしい。本校の音楽担当であるサイトウ教諭が見せてくれた新聞記事には、ともに、「爆発的な大ヒット」(@産経新聞)と書かれている。

そうかそうか、ようやくクラッシック音楽もそのファンが増えてきたのか(涙)。

そう言えば、甲南麻雀連盟浜松支部で「会計係」を務めるヨッシーも、昨年末大阪へ行った際、タワーレコードで「ボクもクラッシック聴いちゃおうかな」と言い出し、「5,6枚お薦めのCDを紹介してください」と言われて、「おおお、ヨッシーもついにクラッシックを聴くようになったのかあ」と喜ばしく思ったっけなあ。

今まで、「好きな音楽は?」と聞かれて、「あー、クラッシックですかね」などと答えようものなら、「へーえ、高尚な趣味をお持ちで」と、言葉では敬意を表しているようで、その底意には「こいつ、なにイチビってんねん」という明らかな敵意を含みつつ、冷笑的かつ揶揄的な嘲りも含む反応を示されるのが常であった(もちろん、等し並にというわけではありませんが)。

だから、クラッシック音楽がお好みの人たちは、「好きな音楽は?」という質問に対しては、まかり間違っても「そうですね、バッハとか好きです」などとは答えず、「え?そうですね、中島みゆきとかけっこう好きです」と言おうとしつつも、(ちょっと待てよ、中島みゆきが好きなどと言えば「こいつ暗いヤツ」って思われちゃうよな…)という思案が働き、結局「えーと、八代亜紀とかけっこう好きです」などと答えるようになってしまっているのである(もちろん、みんながみんなそうではありません)。

ところが、そんな暗い時代を過ごしてきた全国のクラッシック音楽ファンも、晴れて「ハイ、モーツァルトが好きです!」と言える時代となったのである。

それにしても、クラッシック音楽って、どうして「高尚なもの」に祭り上げられてしまったのであろうか。言うならば、「ヨーロッパのリージョナルな音楽」ではないか。けして「畏まって聴くべきもの」ではないのではないか。

西洋古典音楽が本格的に日本に紹介されたのは、たぶん明治維新からであったろう。他の分野も含めた「西洋に追いつけ追い越せ」の合言葉は、音楽の分野においても同様の志向性を発揮して、それまで「五線譜」や「音符」などというものの存在すら知らなかった多くの日本人音楽関係者の向学心を刺激したことであろう。同時に、音楽についても「西洋のもの」=「高尚なもの」というイメージが自然にできあがってしまったのではなかろうか。

義務教育諸学校における音楽教育の歴史にも、西洋古典音楽を「高尚なもの」と思わせる要素があったのかもしれない。教える教師の「西洋音楽」=「高尚なもの」という無意識は、教えを受ける子どもたちにも、知らず伝播していったのかもしれない。

爾来、百三十年の余。

今や、その日本人が西洋音楽の総本山とも言うべきウィーン国立歌劇場の指揮者を務めるに至っている一方で、「え〜?クラッシックって退屈でつまら〜ん、やたら長いしぃ、よくわから〜ん」という人が多いことも事実である。

この「よくわからん」というのはけっこう典型的なレスポンスで、たいていの人は「よくわからんから近づかんとこ」という態度をとるのであるが、中にはヨッシーのように「よくわからんからもう少し詳しく知りたい」と欲望する殊勝な心がけ?の人(「シューマッハ」オノちゃんも数年前からクラッシックに親しんでます)もいるのである。

件のサイトウ教諭によれば、学習指導要領の改訂で、中学校の音楽の時間に聴く「鑑賞教材」も、従来のように決められた曲を「共通教材」として必ず教えないといけないということはなくなり、指導要領のねらいと学校の実情にあわせて、それぞれの学校で選ぶようになったとのことである。これは、授業時数の削減で今まで「共通教材」とされてきたすべての曲を扱うことが不可能になったということもあるのだそうだ。

中学校の指導要領では、「多様な音楽に興味・関心を持ち、幅広く鑑賞する能力を育てる」(1年生)、「音楽に対する総合的な理解を深め、幅広く鑑賞する能力を高める」(2,3年生)とされているので、従来の鑑賞教材も参考にしつつ、上記の指導要領のねらいに合っている(鑑賞に堪えうる)と考えられる曲を、音楽担当の教師の判断で選べるようになったということである。

ということは、音楽担当の先生がクラッシック音楽について相応の知識を有していないと、「鑑賞教材」についての授業も、ありきたりのものになってしまうということである。

手前は、中学時代の音楽の鑑賞教材で、シューベルトの『魔王』を聴いた記憶がある。正直に申し上げて、あまり印象には残っていない(もちろん、『魔王』がいい曲ではないということではない)。どんな教材でもそうであると思われるが、教える教師が「この曲はぜったいイイ!」と確信を持って紹介する曲でなければ、聴く生徒に強い印象を持たせることはできないのではないか(これは、こと音楽に限らず全ての教科の教材についても言えることだと思われる)。

などということを考えながら、「そう言えば最近CMとかでよく流れる曲、たぶんラフマニノフの曲だと思うんだけど、何ていう曲か知ってるかあ?」と娘に尋ねたところ、「え?ラフマニノフで有名って言えば、パガニーニの主題によるラプソディーなんじゃないの?アンダンテ・カンタービレ、確か第18変奏だったと思うけど」という返事が返ってきた。「CDある?」と聞くと、「これ」と取り出したので、その第18変奏を聴いてみた。紛うことなくまさにその曲であった。それにしても、なんという美しい曲であろう!

ついでに、娘が所有せるラフマニノフの交響曲第2番のCDも聴いてみた。第3楽章のアダージョ!言葉もない。こういう曲を中学時代から聴いていたなら、きっと証券取引法違反で逮捕されるような人も出なかったに違いない。

事ほど左様に、すばらしい曲は数多ある。ぜひ全国の音楽科担当の先生には検討に検討を重ねられて、生徒たちにクラッシック音楽のすばらしさを伝えてほしい。

今年は「モーツァルト生誕250年」の年でもある。これを機会に、さらにクラッシック音楽のファンが増えていくことを期待したい。ちなみに、モーツァルトの生まれた日は、1月27日。その日は、大好きな『リンツ』でも聴くとしようか。