逝きし世の面影

11月11日(金)

読書週間に因んで本の紹介を。

既読の方も多かろうと思われるが、9月に平凡社ライブラリーの1冊として再刊された『逝きし世の面影』(渡辺京二)である。

今年もまだあと1ヶ月あまりあるが、(内田先生の著作を除き)この本を手前が読んだ今年のベストワンに挙げたい。

仄聞するところによれば、この著作は1999年に葦書房から刊行され、その年の和辻哲郎文化賞を受賞したが、その後長らく絶版となっていたところを、このたび平凡社ライブラリーの1冊として再刊されたとのことである。

ペーパーバックとは言え、600頁超の大冊である。しかし、読み始めるとその長さがまったく気にならない。どころか、読み進めるにしたがって頁を繰るのが惜しくなってくるような著作なのである。

内容は、江戸末期から明治にかけて日本を訪れた外国人が、当時の日本および日本人をどのように見ていたのかということを、それらの外国人が残した膨大な証言録の中から掇拾し、今は失われてしまった一つの「文明」としての日本(人)の姿を浮かび上がらせようとしたものである。

証言項目は多岐にわたり、礼節・労働・身分・性・子ども・風景・信仰・祭など、それぞれの場面から如何様な言動が見られ、その体験からどのような印象を持ったのかということが紹介されている。

何より、それらの証言を渉猟する際の著者のアプローチがいい。

ともすれば、“他文化から容易に理解されぬようなある文化の独自性や特殊性を強調するのは、盲目的愛国主義に至りかねぬ危険な人種主義的態度であり、ある文化と他文化との共通性と相互理解の可能性を強調するのが好ましい国際主義的態度だ”と前提されがちなのに対して、著者は以下のように述べる。

“文化人類学の今日の到達が示すところによれば、ある異文化に対して正しく接近する前提は、それが観察者の属する文化のコードとはまったく異質なコードによって成り立っていることへのおどろきである。ある異文化が観察者にとっていかにユーニークで異質であるかということの自覚なしには、そしてその理解のためには観察者自身のコードを徹底的に脱ぎ棄てることが必要なのだという自覚なしには、異文化に対する理解の端緒はひらけない。”(48頁)

だから、この著作では外国人が感じた「まったく異質なコードによって成り立っていることへのおどろき」が、次から次へと披瀝される。

例えば、以下のごとくである。
“日本には礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約が存在する。誰もが多かれ少なかれ育ちがよいし、『やかましい』人、すなわち騒々しく無作法だったり、しきりに何か要求するような人物は、男でも女でもきらわれる。すぐかっとなる人、いつもせかせかしている人、ドアをばんと叩きつけたり、罵言を吐いたり、ふんぞり返って歩く人は、最も下層の車夫でさえ、母親の背中でからだをぐらぐらさせていた赤ん坊の頃から古風な礼儀を教わり身につけているこの国では、居場所を見つけられることができないのである。(…)この国以外世界のどこに、気持ちよく過ごすためのこんな共同謀議、人生のつらいことどもを環境の許すかぎり、受け入れやすく品のよいものたらしめようとするこんなにも広汎な合意、洗練された振舞いを万人に定着させ受け入れさせるこんなにもみごとな訓令、言葉と行いの粗野な衝動のかくのごとき普遍的な抑制、毎日の生活のこんな絵のような美しさ、生活を飾るものとしての自然へのかくも生き生きとした愛、美しい工芸品へのこのような心からのよろこび、楽しいことを楽しむ上でのかくのごとき率直さ、子どもへのこんなやさしさ、両親と老人に対するこのような尊重、洗練された趣味と習慣のかくのごとき普及、異邦人に対するかくも丁寧な態度、自分も楽しみひとも楽しませようとする上でのこのような熱心-この国以外どこにこのようなものが存在するというのか。”(182頁、明治22年に来日した英人アーノルドの記したもの)

これらの証言の数々によって、約しくも屈託のない笑顔で楽しく毎日を送っている日本人の(特に庶民の)姿が浮かび上がってくる。

内田先生は、9月30日の日記に以下のように書かれていた。“会社を大きくして収益を上げて社員をふやして自社ビルを建ててIPO…というふうに考えていたのはバブル期までの「好天型」経営モデルである。横町の天ぷらやとか下丸子の鉄工所くらいの「おじさんひとり」の自営業がこれからいちばん先端的な経営スタイルなのである(ほんとかね)。”そうして、これからの大学経営戦略のキーワードとして、「ダウンサイジング」を挙げられていた。

この著作の中には、それらにつながっていくヒントがいくつも書かれているような気がする。

けっして懐古趣味というのではない。今のような時代だからこそ、現在の日本が失ってしまった「かつての日本の文明」が保全していたものの中から、今後の指標となるべきものが見つけられるのではないか。

著者はこう書く。
“私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうるかぎり気持ちのよいものにしようとする合意と、それにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ。ひと言でいって、それは情愛の深い社会であった。真率な感情を無邪気に、しかも礼節とデリカシーを保ちながら伝えあうことのできる社会だった。当時の人びとに幸福と満足の表情が表われていたのは、故なきことではなかったのである。”(183頁)

未読の方は、ぜひとも熟読玩味されたし。