長距離国語教師の孤独

8月15日(月)

「濃い」4日間が終わった。

今年も、東海・近畿ブロックから、「ソフトテニス・フリーク」の先生方が指導するチームが浜松に参集して、「新人研修大会」が行われたのである。

大会は8月12日からであったが、前日の午後から浜松に入るチームがあるため、迎える地元はその日から昼間は試合会場である花川運動公園テニスコートに、夜は懇親会場へと詰めながらの応対に明け暮れる。

なかなか大変な4日間なのであるが、レベルの高い選手との対戦や、顧問同士の情報交換など、その大変さと引き換えにしても十分に見合うだけのものが得られる大会なのである。

今年の大会には、今月23日から始まる全国中学校大会に選手として出場する1・2年生も参加していて、例年に負けず劣らずレベルの高い大会になった。

本校の選手たちももちろん参加したのであるが、なんと団体戦では準優勝、個人戦も3位に入賞する健闘ぶりを見せてくれた。

手前は、先月の県大会をもって、今まで手前のもとで2年間副顧問を務めていた先生と監督を交代することにしたのであるが、その先生が見事初陣を飾ってくれたのである。

監督を交代したとは言え、全く指導をしないというわけではない。もちろん顧問の一人なのであるから、練習の時にはテニスコートにも出ていくし、気がついたことは指導するようにしている。

手前は一時期、「どうせ小学校から競技経験のある選手には勝てっこないんだ」と思い(今でも思ってるけど)、顧問はしていたがそんなに熱心にソフトテニスの指導をしていなかったことがある。

そのときは、夏休みも練習はほどほどで切り上げ、さっさと家に帰ってせっせと本を読んでいた。

もちろん、そういう生活に戻るのも悪くはないのであるが、ここ数年(熱心なコーチに後押しされたということもあり)また以前のように指導を復活させてみて、なんだかんだ言いながらもソフトテニスの指導をするのが好きである自分を発見したのである。

しかし、手前も現在校勤務が6年目で来年は転勤が予想されるし、年度末になって「じゃあ顧問交代ね」というのもなんだか無責任のような気がして、ちょうどこの夏が新チームへと切り替わる時期であるので、いい潮時かもしれぬと思って交代したのである。

さて、いつもは大会初日の夜に懇親会を開催して、その場で自己紹介をしつつ近況報告をするということにしているのであるが、今年はその際に「担当教科」も言ってもらうことにした。

顧問同士、試合会場で顔を合わせてソフトテニスの技術等については話をするものの、なかなかふだん自分が指導している「教科」についての話などはしないものである。

でも、「えーっ!あの先生、おいらと同じ教科だったの?」と、ただそれだけで親近感を持ってしまうということってあるでしょ?

また、「えーっ!まさかあの先生が英語しゃべるの?」などと、外見とはおよそ想像できない教科名を聞いて、逆に親近感を持つということもあるかもしれないでしょ?

そこで質問。

「今回、参加した顧問の先生方のうちで、最も多かった教科は何の教科でしょう?」

答えは、「技術(家庭)科」。次が「数学」。次いで、「理科」、「保健体育」と続く。

何と、ソフトテニスの指導者、特にこの浜松に集う「ソフトテニス・フリーク」と形容されるほどの先生方は、「理数系」の先生たちであったのである。

ちなみに、手前と同様の教科の先生は一人もいなかった。

手前は「国語」の教員である。そうかあ、ソフトテニスの指導には、文学だの思想だの哲学などは不必要であったということか。

でも、それにしては、(少なくとも手前には)これだけ意気投合できる先生が多いというのはどうしたことか。

内田先生は「コミュニケーションを駆動しているのは、たしかに『理解し合いたい』という欲望なのです。でも、対話は理解に達すると終わってしまう。だから、『理解し合いたいけれど、理解に達するのはできるだけ先延ばしにしたい』という矛盾した欲望を私たちは抱いているのです。対話へと私たちを駆り立てるのはその欲望です。」(『先生はえらい』)とおっしゃっておられる。

手前が、この浜松に参集する先生方と好誼を結ぶことができたのは、たぶん手前が国語の教師で、他の先生方にしてみると「あいつは何を言っているのかよくわからない」と思ったからなのであろう。

そういうことがわかっただけでも、新しい発見のあった4日間であった。

遠方より浜松においでいただきました先生方、ほんとうに暑い中お疲れさまでした。また、来年も来てくださいね。また、大会を運営してくださった地元の先生方、ありがとうございました。来年もいい大会にしましょう。