スーさんの「コーチ道、行く道遠き秋の暮れ」

10月3日(日)

この1ヶ月ほど、日記を更新していなかった。

しばらくぶりで会った人たちから、「最近日記更新してないでしょ?」などと言われ、「おお、手前のバカ日記もちゃんと読んでくれてる人がいるんだあ」と感激し、あんまり更新していないと、そのうちに大家さまからも「長屋から出ていってもらいます!」と宣告されてしまうかもしれないので、久しぶりに更新させていただきます。

その前に、大家さまにごあいさつを。

内田先生、フランスから無事帰国され大慶の至りです。お疲れさまでした。

また、遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます。

さて、この1ヶ月、別段、多忙を極めていたということではない。

もちろん、病気をしていたわけでもない。

日常業務に逐われ、週に一度は合気道のお稽古に出かけ、週末はプチ宴会と「趣味の中国語講座」、休日は部活動の指導と、ごくごくフツーに生活していたのである。

その間、「これはぜひとも日記に書かねば」と思った事項もなかったわけではない。

たとえば、9/12付け朝日新聞朝刊に掲載された河村文科相(当時)の「義務教育段階でも落第とか原級留め置き(留年)とか、基礎基本が身についてから次に進むという考え方を研究しなければならない」という談話については、昨年の内田ゼミで手前が発表した暴論を思い出し、「なーんだ、文科相もオイラと考えることおんなじじゃん」などとバカなことを思ったりもしていたのである。

それについて、何か書こうとも思っていたのだが、「もし体育大会が雨で順延されたら、次はいつ実施しようか?」などと相談しているうちに、日が過ぎていってしまったのである。

部活動も、この夏の県大会敗退で一度は監督引退を決意したのであるが、校長先生より「なーにをバカなこと言ってんの?ダメに決まってるじゃん!」の一言で、引き続き監督業務を行わなければならなくなってしまったのである。

まあ、部活動の指導は決して嫌じゃないのであるが、我とは無しに力が入ってしまうので、他のこと(本を読むこととか)が疎かになってしまうのである(因果な性格である)。

その部活動であるが、昨日は早くも1,2年生による「新人大会」が行われた。

3年生が夏の県大会で敗退して以来、1,2年生はこの新人大会に向けて練習を積み重ねてきた。

内田先生も、「技術というものは、千日万日の錬磨を通じてしか身に付かない」と日記に書かれておられたが、まさにそのとおりで、ソフトテニスの練習も、単純なストローク練習やボレー練習を毎日積み重ねていくことでしか身に付いてはいかない。

基本技術の習得というのには時間がかかるである。

今年の夏休みも、練習のほとんどは基本技術の習得に明け暮れた。

特に、手前の学校のように、小学校時代にソフトテニスを経験した生徒がまったくいないところは、中学1年生で初めてラケットを握るところから指導し、ひたすら基本練習を積み重ねていかなければならないのである。

それでも、夏休みの終わり頃になると、1年生も何とかゲームができるようになる。

その成果を問うのが、今回の新人大会なのである。

浜松市の新人ソフトテニス大会は、2年生が団体戦、1年生は各学校から3組が出場しての個人戦で争われる。

本校は、昨年度の新人大会で団体優勝し、今回は連覇がかかっていた。

今年の2年生は、特に後衛陣が技術的にはけっこう高いものを持っている。

ところが、対外試合になるとどうも緊張のせいか、思うような結果を出すことができずじまいで、昨年の新人大会も1年個人戦はベスト8どまりで終わってしまった。

1年生大会団体戦も準決勝で敗退し、優勝には縁のないまま、今回の新人大会を迎えたのである。

この学年の選手たちに最も必要なアドバイスは何だろう?と考えているときに、内田先生の日記を読んで、「おお、これだ!」と着意させられたものがあった。

「自己」についての言説である。

<「定量的に語ることはたぶん誰にもできない」自己というものを想定すべからず>、ということをできるだけわかりやすく生徒たちには解説した(つもりである)。

結果、2年生の団体戦は優勝することができた。

さらに、1年生の個人戦も優勝(本校は初優勝)することができた。

いつものことであるが、どうして師匠はこうタイムリーに手前が求めていることをお書きになるのであろうか。

いつもいつもそれを不思議に思う。

内田先生、ありがとうございました。

おかげで、新人大会2連覇を達成できただけでなく、1年生も初優勝して、本校女子ソフトテニス部の歴史に、また新たなる1ページを加えることができました。