書かされる ものは書きたいものでない

9月2日(木)

2学期が始まった。

夏休みは、ほんとうに「あっ」という間に過ぎてしまった。

幸い(と言うべきか)、今年の夏休みは部活動の大会が早め
に終了したため、けっこう本を読むことができた。

その夏休みがそろそろ終了しようという頃、渡仏前の内田先
生がゼミの学生さんたちに課した宿題が日記に掲載されてい
た。

課題として挙げられていた8冊の書物のうち、手前が読んで
いた本は2冊だけ。国語の教員なのに、ああ恥ずかしい。

さっそく書店に走り、未読の6冊のうち4冊を購入してき
た。

しかし、それらの本も読了し終わらないうちに、2学期が始
まってしまった。

さっそく提出書類がきていたが、1学期の経験もあるので
「こんなのどうってことないよ」(なーんて言っていいのだ
ろうか)とばかりにさらさらと書類を片付けてしまう。

次の仕事は、生徒たちに夏休みの宿題として課した「読書感
想文」を読むことである。

みなさん、覚えてるでしょ?「読書感想文」。

手前は現在、国語の先生として口を糊させていただいている
のだが、どうも「読書感想文」なるものは、はたして生徒た
ちに宿題として課すのはいかがなものであろうか、という思
いをずっと抱いてきた。

というのも、自分が中学時代、「読書感想文」を書くのには
非常な困難を伴った経験があるからなのである。

そもそも、ある本を読んで「うーん、なかなかこの本おもし
ろかったよなあ」という「感想」を持ったとして、それをい
かに原稿用紙5枚に言語化すればよいのだろう。

「この本は、なかなかおもしろい本です。オススメです。」
だけじゃあ原稿用紙1枚どころか1行で足りてしまう。

では、いかに書くか?

生徒たちには、「読書感想文」の書き方マニュアルのような
ものが配布されている。

いわく、「何と何を言いたいのか、箇条書きにしてから肉付
けをしよう」とか、「手紙文形式や対話文形式にして書こ
う」などというようなものである。

だけど、これじゃあ書けないと思うんだけどなあ。

なーんて、人ごとのように言ってる場合じゃないんだけど、
そもそも手前は「読書感想文なんて書かせなくていいじゃ
ん」って思っているため、「読書感想文をどう書くか」とい
う指導にはあまり積極的になれないでいるのである。

いきおい、生徒たちの感想文はそのほとんどが「あらすじ」
で占められている「感想文」となってしまう。

一つのヒントは、内田先生が学生さんたちに課したような書
かせ方であろう。しかし、同様な課題を中学生に課すわけに
はいかない。

つまりは、かなり教師サイドでガイドしてやらないと読書感
想文を書かせるのは難しい、ということなのである。

今は多くの学校で「朝読書」なるものを取り入れていると聞
く。

もちろん、本校でも実施している。

「朝読書」では、「感想を求めない」というのが「大原則」
である。

だから、生徒たちは自分の読みたい本を自由に持ってきて読
むのである。

そうやって、何とか生徒たちの「活字離れ」を食い止めよう
としているのに、一方で夏休みに入る前に、「課題図書」を
紹介し、宿題として「読書感想文」を課すというのって、逆
に「活字離れ」を促進させることにはなりはしないだろう
か。

全国の国語教師のみなさん、そろそろ「読書感想文」を夏休
みの課題にするのはヤメにしませんか?