9月24日  ベストフレンド?

「セイコのスポティファイIDは何?レッツ ビー スポティファイ フレンズ!」
 韓国人の友人のヘジンがスナップチャットからそうメールしてきた時、私はちょうど長らく自分のSpotifyにログインしていなかったために、IDの有効期限が切れていることに気づいた矢先だった。「Spotifyって韓国でも流行ってるの?」と聞くと、ヘジンは「ノー。韓国はメロン」と言う。何やら韓国では、メロンという音楽配信アプリが主流なようだ。日本はLINEミュージックだろうか?ヘジンの言う「Spotify friends」というものがどういうものか少し興味をそそられたものの、なぜか今になって私はSpotifyへの再ログインがうまくいかず、結局なんだかんだしてるうちに面倒くさくなってSpotify friendsのことは有耶無耶になった。どうせ一年半使わなかったのだから、まだしばらくは使うことはないだろう...。
 だけど、思い返せばアメリカにいた頃はよくSpotifyを使っていたものだった。あの頃、私は毎日ジムに通っていて、トラック一周分ある巨大なトレーニングルームのランニングマシンで、いつもSpotifyを立ち上げて音楽を聴いていたからだ。白井君も同じだった。白井君だけではない、その辺にいたアメリカ人の誰もが音楽といえばこのスウェーデン産のアプリであるSpotifyを愛用していた。パーティに呼ばれれば、誰かが自分のSpotifyのプレイリストをサッと開いてBGMを選び、「好きな音楽は?」ではなく「Spotifyでよく聞く曲は?」が自己紹介の挨拶となる時もあった。創始者であるダニエル・エクのサクセスストーリーは去年の秋にネットフリックスでドラマ化され、最近では年末になると友人たちはこぞって、Spotifyによって決定された「あなたが今年最もSpotifyで聴いた曲」というリストを自身のインスタグラムやらのソーシャルメディアで自慢げにシェアすることもあり、Spotifyは嫌でも目にする言葉だったのである。
 そして実際、これは使ってみるととても便利だった。30分に一回流れる広告さえ我慢すれば、世界中の楽曲が無料で、しかもダウンロードなしで聴き放題だったし、リスナーの好みをすぐに学習するので、使えば使うほどに自分好みの音楽の世界が広がるようだった。広告なしの有料会員になったとしても、それほど高くない料金で、大好きなアーティストの曲をいくらでも聴くことができる。マディソンでジムに通っていた頃、私はジムに併設されている無料の託児所を利用して子供を預けると、時間を気にせず毎日ランニングをし、プールで泳ぎ、サウナに入り、たっぷりとSpotifyを聴いた。今はそんな気ままで便利なジムも時間もないので、こうして悲しいかな、Spotifyとはすっかり疎遠になってしまったが、ふと、私の生活事情はさておいても、日本ではアメリカほどこのSpotifyがどの世代からも多く支持されているわけではないことが不思議だった。
 だけど一方で、アメリカで絶大な人気を誇りながら、私にはどうしてもその人気が理解できないアプリもあった。もうずっとアメリカの若い世代で愛されているコミュニケーションツール、Snapchatである。
 設定は変更可能とはいえ、Snapchatは基本的にそこで行われたメッセージなどのやり取りがすべて消える。それだけなら、割とあっさりしたコミュニケーションアプリなのかと思うが、Snapchatには設定をオンにすれば「位置情報がわかる」というサービスもあり、若い子たちの間ではそれをオンにする同調圧力によって、クラスメイトがどこで何をしているか、知ることができるのである。
 私は若い韓国人の友人ヘジンとのやり取りだけのためにこの刹那的なアプリを保有していたが、Snapchatのこの余計な「位置情報機能」のせいで、ある時期、アメリカにいるヘジンからひっきりなしにメールを受信することがあった。というのも、ヘジンはこのSnapchatの位置情報に翻弄され、付き合い始めたばかりの彼氏と自分の女友達の位置情報が同じだということに、半狂乱になって日本にいる私に矢継ぎ早にボイスメッセージを送ってきたからである。
だけどSnapchatの魔物性はそれだけではなかった。そうやってヘジンから尽きることのない恋愛相談を受けるうちに、ある日、やり取りをする私の画面に赤いハートマークのスタンプが出現するようになったからである。これは二人が「二週間以上、お互いに一番メッセージを送り合った相手」という証のエンブレムであり、これからもその調子でSnapchatを送り合うように、とのアプリからの余計な激励のメッセージだった。
 だけど、初めてこのハートマークを見つけたとき、私はなんだか誇らしい気持ちを感じないわけにはいかなかった。Snapchatのフレンドがヘジンしかいない私にとって、彼女がそこでのベストフレンドと認定されるのは当然のことだとしても、若き学生のヘジンにとっても私が一番のメッセージ送信相手だということがなんだか信じられず、嬉しかったのである。そして十六歳も年下の女の子から頼りにされているということに自尊心がくすぐられると、自然とSnapchatでの会話の頻度も上がるようになった。
 もちろん、このベストフレンドの称号は長くは続かなかった。ある日Snapchatを開けると、あの真っ赤に燃えるハートマークが見当たらず、代わりにスマイルマークが出現しているのを発見したからである。私はすぐにその称号の意味を検索すると、悲しいかな、いま、私とヘジンの関係が「数あるベストフレンドのうちの一人」に降格されたことを理解したのである。
いや、ヘジンはアメリカの現役の大学生なのだから、私以外にも友達や「ベストフレンド」がいて当然である。そのことは私にはなんの関係もなかった。そんなことで友情の大きさや形、あるいは重みを計れるものではないだろう。だけど、これはなんという無駄にトラブルメーカーな機能だろうか...。Snapchatはいたずらにも、主婦の私に「あなたはこれまではヘジンにとって一番の友達だったけど、今日からはその他大勢にすぎない」と言い放ったのである。
 というわけで、私は今日も、ヘジンにとって「その他大勢」としてSnapchat越しに彼女の甘酸っぱい恋の行方を見守っている。時々、「きっと他の人にも同じことを送っているのだろう」などという邪推が脳をよぎるのはアプリのせいだが、一体どうして、Snapchatが今も、これほどまでに多くのアメリカの若者に人気があるのか、私にはただただ不思議なことに思えるのだった。