12月18日
少し前から仕事を始め、張り切って働いているのだが、通勤ラッシュというのがどうも苦手だった。というのも、私には「パニック発作」を経験した過去があり、その発作に付随する「予期不安」という症状に悩まされることがあったからである。
そもそもパニック発作やその予期不安というものは、閉塞的な空間で起こる。(あるいは起こりそうになる。)最初に発作を起こしたのは一年ほど前、マディソンで白昼に一人、高速道路で運転をしていたときだった。突然「車を停止させることができない」という高速道路上の当たり前のルールがトリガーとなり、運転しながら全身が震え出すという恐ろしい体験をしたのである。
そしてそれ以来、私は日常的に「自分がコントロールできない何か」を前にすると、再びあの高速道路でのパニック発作を経験するのではないか?という二次的な「予期不安」を発症するようになったのである。
怖いのは高速道路、高速道路を連想させるような広い道、あるいは運転中の「赤信号」(青信号よりも動くことのできない赤信号の方が恐怖を感じる)、混雑した映画館や人ごみ、(物によるが)年季の入ったエレベーター...そして、朝の通勤電車だった。
空いていれば問題はないが、東京の朝である。空いている車両があるはずもなく、運転間隔調整のために区間内で突然電車が停止した日などは気が狂いそうになることがよくあった。(意外とこの運転間隔調整はよく起こる。)スムーズに運行されていれば、まあ問題はないが、例えば座っている私の目の前に見知らぬ人に立たれたりすると、それがまたどうも具合が良くないのである。
だけど目の前に立った見知らぬ人に「すいません、目の前に立たないでください」などと言える訳もなく、なんとか気を紛らわしてじっと耐えるしかない。この場合、なぜか読書をしたり音楽を聞くのはあまり得策ではないので(逆にそういうことをすることで気分が落ち着かなくなることがある)、ただひたすら、目を瞑って、目的の駅に着くまでじっと耐えるのである。「ここは電車の中ではなく、もちろん区間調整のための停止もないし、自分の前に誰かが立っていることなどない...」そう自分自身に言い聞かせながら心を無にすることが、ここのところ、私の東京での毎朝の通勤ラッシュのやり過ごし方だった。
ところでそうやって電車の中でぎゅっと目を瞑っているとき、しんとした心の中にふと、私にはたびたび浮かんでくる映像があった。
それは、マディソンのとある夜の出来事だった。
その夜、私は友人たちと家から少し離れた場所に新しくできたホットドックのお店に食べに出かけていた。美味しいホットドックと楽しい友人たちとの会合にすっかりテンションが上がった帰りで、私は友人のウィルを引き連れて車に飛び乗ると、いつもの癖で車のカーナビを起動させ、自分がどこにいるかもきちんと確認せずにナビが指し示す方へ盲目的に車を走らせたのである。
マディソンで初めてのパニック発作が起こってから、まだ数ヶ月しか経っていないころの出来事だった。
「ちょっと待って!ハイウェイ!!」
家とは逆方向を走りながら、何かがおかしいと気づいた時にはもう目の前に高速道路が迫っており、私は車の中でそう叫んでいた。まさか、カーナビが私のパニック障害を考慮して高速道路を避けるなんてことはなく、今まさに私の運転する車はインターチェンジからなだらかに高速道路へと続く合流地点へかけ上がろうとしていたのである。
「どうしよう!運転できない!」
パニック発作を起こしてから一度も高速道路など走ったことがなく、広い道でさえも避けていた私である。発作はまだ起きていないがほぼパニック状態の私の横には、ウィスコンシン大学のうら若い学生であるウィルが座っていた。
「落ち着いて!大丈夫だから!!」
異様に狼狽える私を落ち着かせようと、ウィルが私に向かってそう叫んだ。
しかし、泣いても笑ってもそこはもう高速道路だった。
「どうしようどうしよう。運転できない」
目の前がどんどん暗くなっていくような感覚に襲われながら、私はハンドルを握っていた。なすすべもなく、ウィルもただ「大丈夫、大丈夫」と私に向かって言い続けていた。
車は緩やかにインターチェンジを上り切り、左後方から続く恐ろしい高速道路に合流した...。全身の力が抜けて、気が遠くなっていくようだった...。と、不思議なことに、その道は高速道路に突入してすぐに、再び高速道路を離れるもう一方の下りの道へと繋がっていた。
「やった!出口だ!そのまま降りて!」
ウィルがそう叫んだ。私はなぜそんなことになったのかわからず、ただ言われるがままに、左右に分かれた道の右方向へ入った。ぐるりと伸びた下りの道はそのまま高速道路から離れていった。さっきまで入りかけていた地獄の道であるが、今は背後へ消えたようだった。
「あっ違う!入り口だ!」
ホッしている私に向かって再びウィルが叫び、私の心臓は再び縮み上がった...。
後になって分かったことだが、その夜、私たちが入り込んだこの道は、高速道路へとつながるインターチェンジであり、出口でもありながら、その実ドーナツのように再び元のインターチェンジに舞い戻るという「無限ループ」だったのである。
だから、出口だと思っていた道は大きなカーブを描きながら再び元の高速道路への入り口に向かう上り坂へと変わり、それに伴って私の呼吸は再び荒くなり、高速道路へと続く。そして高速道路に入ったかと思うと、次の瞬間その出口へと伸びる分岐点が出現し、元の場所に戻っていくのである。
私たちはその夜、何度も何度も、このよくわからない入り口から高速道路スレスレを走っては再び出ていくということを繰り返していたが、結局、頃合いを見計らってインターチェンジ内で私とウィルは運転を代わり、脱出することができた。(結果的にこの無限ループのおかげで助かったのである。)
だけど一体誰が、何のために、こんな無限ループを作ったのだろうか?
私はひたすらに疑問だった。飛び級して大学で物理学を学び、ルービックキューブの世界大会に出場し輝かしい成績を収めた秀才のウィルでさえ、この果てのない袋小路の存在意義を解明できないようだった。
ただ私たちはぐるぐると、ひたすらに、同じ場所をすごく遅いスピードで走っていた。近づいてはやがて遠ざかってゆく高速道路。ウィルの叫び声。何度も縮み上がる私の心臓。そして無限のメリーゴーランド...。朝、満員電車で一人目を瞑りながら、私はいつもそんな忘れがたいマディソンの夜を思い出すのだった。