OS教育

10月13日

 帰国してすぐ、夏の初めに私は仕事を始めることになった。
「日本に帰国したのだからそろそろ仕事でも...」と思っていた矢先にハローワークで見つけたとある会社のパートタイムである。
 職種は「事務職」及び会社の「専属ライター」。これまで事務職の経験があったし、「書く」という行為も好きだったので「これならやれそうだ」と思って応募したところ、うまいこと採用されたのである。ビザの関係上、アメリカにいる間は働くことができなかったのでおよそ7年ぶりの社会復帰。しかもそれはかたやライターとしても活躍できるという、喜ばしい再出発だった。

 だけど今思うと、いろんなことがおかしかった。
 私を採用したのはかなり小さな会社で、オフィスは都内のマンションの一角にあり、従業員は10人にも満たないベンチャー企業だった。毎日職場に来るのはせいぜい4人ほどで、社長とそのつがいのようにくっついている年配の女性役員の他には、私のようなパートタイムの主婦が2人か3人いる程度である。
 業務連絡のメインツールはLINE。お昼になると仕事場にあるキッチンで、例の社長のツガイのような女性役員が社長のお昼ご飯を作り始め、二人仲良く食べ始める。朝は朝で出勤すると、二人で朝ご飯を食べている日もあったし、日中は廊下の奥にある洗濯機が回っていることもあった。

 業務は何の問題もなかった。
 事務の仕事も、ライターとしての仕事も、それなりに楽しかった。だけど「新人研修」という名前の下、別室に連れて行かれて一時間以上怒られたのは、まだ勤務し始めてたった一週間目の出来事だった。「なんでも言ってね」と言われたので、「サービス残業はできない」との旨を伝えた次の日の出来事である。

 そのうち、入ったばかりで本当に何でも思ったことをストレートに口にする私の態度を改めさせるべく、この「新人研修」はパソコンのOS(本質的な部分という意味)になぞらえて「OS教育」と呼ばれるようになり、ことあるごとにくだんの女性役員や社長が、私の「社会人としての資質(OS)」を正すべく「上司はお客さま」「できないと発言するのはクビ要員」「人の気持ちを考えろ」など、私が「会社でうまく働くコツ」を丁寧に教える時間となった。
 しかもこの「OS教育」には、「7年も仕事にブランクのある私を会社は雇ってくれていて、仕事を教えてくれていて、それはまさしく無料でパソコン教室に通っている状態なのだから、サービス残業は当たり前」という内容の哲学も盛り込まれており、これまでの私の「会社で働く」という概念そのものを根本から覆すような画期的なものが多かった。

 もちろん私はそんなOS教育を自身のiPhoneやApple Watch でこっそり録音すると、家に帰って白井くんや友人たちに夜な夜な聴かせていたが、その結果録音テープを全部聞いた友人の一人は体調不良を訴え、白井くんは「しんどいからもう聴きたくない」とギブアップするようになった。
 そんなOS教育を直に浴びていた私はというと、教育の時間に腕につけていたApple Watchがよくブルブルと震え「脈が高いが大丈夫か?」と私の身を案じてくれることもあったのだが、ある朝ついに、別室に呼び出されている最中に倒れると、救急車で搬送され、そのまま急性虫垂炎で入院することになった。働き出して、たった1ヶ月目の出来事だった。

 もちろん、急性虫垂炎を機に、私は会社を辞めた。この一連の出来事に教訓があるとすれば、いったいそれは何だっただろうか?私のiPhoneやApple Watchには今もまだ、かの「OS教育」の長時間に渡る録音テープが残っている。