夕暮れ

8月28日
 
 2ヶ月前にアメリカから帰国し、ホームであるはずの日本で始まった暮らしは、強烈なカルチャーショックの連続だった。なにしろこの四年、日本に一度も帰国せずにアメリカの田舎町にいたのだから、まずそこらじゅうに日本人が居るということに戸惑ってしまう。それから、未だに誰もがマスクをしているということ、当たり前だけど日本語が飛び交っていること、そして誰もがムキムキでカジュアルなアメリカ人に比べると華奢で礼儀正しくエレガントなことに、いちいち驚かされるのだ。

 日本(日本人)は四年前からこうだったのだろうか?何度もそう私は白井くんに聞いた。でもたぶんそうだったのだろう。四年分のアメリカ漬けの暮らしは確実に私の何かを変えていたようで、だから例えばそれはペーパーワークの多さや現金でしか支払いの出来ない場面に遭遇すると、いちいち辟易するという反応によって日常で顕在化されるのだった。

 毎朝、保育園の連絡帳にシャチハタでハンコを押さなければならない時、私はよくマディソンで槍玉に上がった日本の「ハンコ文化」についての会話を思い出すことがあった。もちろん、勤め始めた会社でもハンコは必須だった。だからこの四年間、一度もハンコを使うこともなく、また四年前、ダンボールのどこにハンコをしまったのかわからない私は、まず東急ハンズまでシャチハタを買いにいく事になった。ずらりと並んだハンココーナーを前にして、そこに表示されていた1300円という値段の高さにひっくり返りそうになったのは私があまりにもその意味から遠く離れていたせいだろう。
 
 職場に復帰した白井くんは、予想通り、平日は帰宅時間がとても遅かった。
 息子は家の近くを流れる川をふざけて「汚い湖」と呼んで笑っていたが、学校から持ち帰った七夕の短冊には「ウィスコンシンに行きたい」と書いてあった。私は仕事を始めて一週間目で上司に口答えしたので、さっそく呼び出されて一時間ほど説教を食うことがあった。いろんなことが突如として変わり、それらがあまりにも違いすぎていて、私の心は時々、込み上げてくる複雑な思いと戦わなければならなかった。それは郷愁とか悲しみといったセンチメンタルな感情ではなく、なんというか、漠然とした生きることそのものへの困難のようだった。

 そんなある夕方のことだった。私はこの日、暗い気持ちを抱えて、息子と二人で荒川の土手を歩いていた。心の中がもやもやしていて、どうしても夕焼けが見たくなったのである。夕暮れ時、少し開けた川の土手に出ると、そこにはいつかマディソンで見たような、ピンク色に染まった美しい空が広がっていた。

 と、突然息子が歓喜の声を上げた。見ると、そこに息子と同じくらいの男の子が私たちと同じように母親と歩いていたのだが、面白いことに、その男の子は私の息子と全く同じデザインのズボンを履いていたのである。
 二人はすぐに打ち解けて駆け出した。ウズベキスタン人だった。
 
 「ウズベキスタン語と日本語が話せます。だけどウズベキスタン語の方が上手です」
 ヒジャブを纏った母親は、私にそう片言で話した。聞くと、その男の子はウズベキスタンで生まれたらしく、だから日本語は私の息子のそれと同じくらいのレベルだったのである。同い年で、同じようにバイリンガルで、同じズボンを履いているウズベキスタン人とアメリカ生まれの男の子。だけど二人の共通言語は日本語なので、二人とも頑張ってカタコトの日本語を話しながら遊んでいるのが、なんだか面白かった。

 「日本はどうですか?」
 サウダットという名のその母親に私が聞くと、「大変ですね」と彼女は寂しそうに笑った。日本で仕事をしている彼女の旦那さんは、週に二日ほどは朝まで働いているのだと言う。
 「アメリカはどうですか?」
 サウダットが私に聞いたので、私は「いい面と悪い面があるよ」と言ったが、それを聞くと彼女は分かったような分からないような顔をしてこくんと頷いた。
 
「ウズベキスタンに帰りたいですか?」
 私は聞いた。
 「はい、帰りたいです。でも難しいです」
 サウダットは言った。

 「アメリカに帰りたいですか?」
 サウダットが私にそう尋ねた。
 「はい。帰りたいです」
 
 はい、帰りたいです。
 とても反射的な言葉だった。考えるよりも先に、あまりにも自然に、あっさりと自分の口から飛び出してきたので、それはまるで自分の言葉ではないかのように耳に響いたが、飛び出した言葉のあまりの重さに、胸が押し潰されそうにもなった。
 「でも、難しいです」
 少し間を置いてそう付け足すと、サウダットはそんな私を見て何かを感じたのか、ふふふと静かに笑った。

 ふと見ると、同じパンツを履いた二人の男の子がまだ夢中になって一緒に遊んでいた。二人は時折、互いの理解出来ない言葉で叫んだりもしていた。その後ろに、荒川と東京のシンボルであるスカイツリーが見えた。それからその上にはいつかマディソンで見たような、ピンク色の美しい夕暮れの空が広がっていた。