自由の光と影

9月9日

 9月入り、アメリカ中の学校が新学期を迎える季節が始まっていた。今期はウィスコンシン大学をはじめ、マディソンのほとんどの学校がオンラインではなく対面での授業になっていたので、室内でのマスク着用の義務はあれど、キャンパスが立ち並ぶダウンタウン周辺はどこも喪が開けたような、学生たちの清々しい活気に満ち満ちていた。
 私の息子も4Kというキンダーガーデンの一つ前段階の教育プログラムが始まったので、晴れて今月から週4日のスクールライフが始まることとなったが、前学期まで同じプレスクールに通っていた仲良しのクラスメートのザイアとは離れ離れになってしまった。というのも、息子の4Kというプログラムは4歳から5歳までの子供を対象としたキンダーガーデンの前教育を受けるもので、子供をこの4Kのプログラム入れるかどうかは家庭によってさまざまだったからである。
 「ザイアにはまだ4Kは早いし、私はまだ彼女には楽しく遊ぶことだけを学んで欲しいから...」
 母親であるルアーナにそう言われた時、私はそうした選択肢があるということ自体をとても面白く感じたものだったが、考えてみれば、パンデミックの最中、学校が始まっていてもあえてプレスクールにも4Kにも入れずにホームスクーリングに切り替える家庭が多かったので、そういう部分からもアメリカの教育に対する柔軟さや自由さというものが深く映し出されているように思えたことがあった。
 
 ところでホームスクーリングといえば、ウィスコンシン大学に通う友人のデクレンも、大学に入るまで一度も学校に通わず両親によるホームスクーリングで育ってきた男の子だった。獣医である両親の英才教育の成果か、デクレンは人よりも2年早く大学に入学して、コンピュータサイエンスと日本語を勉強する秀才だった。もちろんデクレンのようなホームスクーリング育ちに対して「社交性がない」と風当たりの強い声を聞くこともあったが、同級生よりも早く、多くを学んだデクレンに言わせると、「学校で学ぶことはほとんどなかった」のだという。
 
 だけど実際、アメリカでは州や住む地区によって教育の格差があまりにもひどいという話はよく聞いたし、そうした教育制度そのものに疑問をもち、合理的にホームスクーリングに切り替えるというのは結構よくあることのようだった。また、他にも宗教上の理由からホームスクーリングを選択する家庭も多くあった。州によってはいまだに公立学校で天地創造説を子供達に教えているのだという話をまことしやかに聞いたこともあったし、南北戦争を習わない地域、あるいは進化論を子供に教えないで欲しいと訴える親など...聞いていると日本では考えられないような教育の多様性がアメリカには普通にはびこっていたので、その中で、一人一人が何をどう選んでいくのか、というのは日本に比べるともっと広く、深く、個人の自由な判断に委ねられているようだった。

 例えば、アメリカ海軍として日本に滞在していた経験のあるカイルは、自身の家庭環境に問題があり14歳の時にアメリカ軍に入隊することを決意したのだと語ったことがあった。
 家を早く出たかったし、どうしても大学で勉強をしたかったカイルは、アメリカ軍で四年働いた後、大学の全学費免除という報酬に加えて、家賃補助などの手当をもらいながら誰に頼ることもなく、自身の力で悠々自適な大学生活を送っていた。海軍での4年間の経験はとても辛かったとも言ったが、今、その4年によって彼自身が自ら掴み取った修学という報酬は、何物にも代えられない資産のようだった。
 同じようにイーサンという友人もまた、軍にしばらく従事した経験のあるアメリカ人だった。彼はアラスカでの数年の駐在を終え、カイルと同様に学費免除などの恩恵を受けられる資格を持ってマディソンに戻ってきた。だけどイーサンは「大学に行きたい」「勉強したい」と言いながらも、いつ会っても引越し業者などのアルバイトをしてあくせく働いていた。
「イーサンはいつになったらカイルのように大学生になるのだろう?」
 私はいつも泥だらけの服で現れる彼を不思議に思っていたが、そうこうしている間にコロナウィルスが始まり、早々にレイオフの煽りを受けたイーサンは結局、さよならも言わずにマディソンを去ってしまった。彼には間違いなく学費免除で修学する資格があるはずだった。だけど噂によると、実はイーサンは何をどう学べばいいのか全くわからなかったようだった。それまでほとんど教育を受けたことのなかったイーサンは、結局大学に入る手続きさえどうしたらよいのかわからず、いつまでもぐずぐずと資格だけを保有したまま、学びのチャンスを先送りにしていたのである。

「アメリカは自由という名前のもとに、一人一人が背負うリスクが高いように思う...」
かつてアメリカ人のマイケルはそんなことを語ったことがあったが、確かに、教育一つをとっても、その多様性の中で、勝ち続けられない人々が背負うリスクを思うと、システムから離れて自由な海で泳ぐということは結構タフなことのように思えた。デクレンのように両親がきちんとホームスクーリングで教育を施してくれる家庭であったり、カイルのように早熟で賢ければ問題はないのだろう。だけど、そうでなかった場合はどうだろうか?
「アメリカは今、さまざまな面で大きく分断しはじめている」とは、パンデミックが始まって以来よく聞くセリフだったが、この勢いを増す格差の広がりの根底には、アメリカの「自由である」ということの深い闇が見え隠れするような気がしたのだった。