ジョーダンはエヴァンジェリカル

10月10日
 
 友人のジョーダンとマットはエヴァンジェリカルの宣教師だった。
 エヴァンジェリカルというのは、全米のプロテスタントの中でも最大の信者を誇るキリスト教福音派のことであり、傾向としては聖書を重んじ、人工中絶やLGBTあるいは進化論に反対し、保守的、かつトランプ支持者で有名な宗派のことだが、エヴァンジェリカルにはそこからさらに派生してカルト化した団体があったり、子供たちを洗脳する宗教キャンプを描いたドキュメンタリー「ジーザス・キャンプ」がエヴァンジェリカルの一部の宗派であることもあり、人によってはその名前を聞いただけで顔を顰める人も少なくはなかった。
 友人のラビも「エヴァンジェリカル達はクレイジーだから絶対に友達になりたくない」と言ったことがあったし、私の所属するグループにそのエヴァンジェリカルであるジョーダンとマットが現れた時には、リーダーであるデニスはすぐに二人を締め出そうとしたこともあった。二人はエヴァンジェリカルの信者であっただけでなく、さらに悪いことに「宣教師」でもあったので、付き合いが始まる以前に、多くの人から敬遠されてしまったのである。

 だけど、私はジョーダンもマットも友達として決して嫌いではなかった。出会ってすぐに、お茶に行こう、話をしよう、日本語を教えて欲しいと何度も呼び出され、その度に最終的には「神の御加護が...」と言い出すのはちょっと悩ましかったが、私にとって彼らは「かなり優しい人」たちだったからだ。その上彼らにはエヴァンジェリカルの大きなネットワークという強みもあったので、私は困ったことがあればよくジョーダンに助けてもらうようにしていた。チリ人の友人がルームメイトを探していた時も、ジョーダンに「なんとかできない?」と聞くとすぐに彼女は何人かの友人を紹介してくれたし、車が牽引されて立ち往生した夜もジョーダンは速やかに対応して私を助けてくれたことがあった。そして私が感謝の言葉を口にすると、ジョーダンはいつも「もちろん」と笑って、こう言うのだった。
「神はいつだって私の友人を愛しているから」

 だから私は時々、このジョーダンとダウンタウンのイベントに出かけたり、美術館に行ったりしてつるんでいた。私がパニック発作を起こしてからは、彼女は特に私の体を心配し、何かとそのことで声をかけてくれたりもしたので、私はそんな彼女の優しさに感動すらしたこともあった。神を信じるか信じないかという部分では私とジョーダンには絶対的に超えられない壁があったけれど、私はそれとは別に、確かに彼女との友情を信じ、そのことに感謝するようになっていたのである。

 そんなある日のことだった。一緒に近くの美術館に行った帰り、カフェでお茶をしていた際にジョーダンがふと、パニック発作の原因を探るべく、感情に関するアクティビティをしてみないか?と私に提案したことがあった。なんでもそれはあるテキストに基づいたアクティビティで、自分の抑え込んでしまっている感情について深く理解するためのメソッドなのだという。これがパニック発作の治療につながるかわからないけれど、自分の中にある深い感情について理解すれば次に同じことが起こった時に対処することができるはずだから、とジョーダンは言った。
 私はちょうどその頃、結局セラピストを見つけることに失敗し治療に行くことを諦めていた。その後、予期不安や小さな発作はあったけれど、時間が経ち、今ではそうした予兆を自分の力で封じ込めることが出来るようにはなっていたし、無理に医者を探す必要もないと思い始めていたからである。
 「一回だけやってみて、嫌だったら辞めたらいいから」
 そんな私にジョーダンは、優しくそう声をかけてくれた。
迷いながら、だけど一方で私は彼女が私の内面にある問題解決の手助けをしてくれるのかもしれないという期待を捨てきれず、彼女の言う「感情のアクティビティ」をやってみることにした。心配して提案してくれるジョーダンの気持ちに応えたい、という気持ちも芽生えていた。
 
 さてその日から一週間後、私たちは、ダウンタウンのカフェで落ち合い、ジョーダンが持参したメソッドに基づいて「感情のアクティビティ」をすることになった。『感情のラベリング』という、内面の感情を書き出す作業をし、それについてお互いに説明するのである。思った以上に繊細なワークショップだったが、お互いになんとか自分たちの中にある感情について説明し終えることができた。内面に深く向き合う作業だったので、私は少しだけ泣いてしまったりもした。するとジョーダンはそんな私の肩をさすりながら、おもむろに神について話をし始めた。
 神と良好な関係があれば、どんな苦しい出来事も乗り越えられる。世界は将来、神が王として地球に戻ってくる日がくるが、神との関係が構築されていない人たちはその楽園に呼ばれない。世界中で災害が起こるのは、神との関係性がうまく行ってないからだ。自分は一人でも多くの友人に同じ楽園に来てほしいと望んでいる。そして彼女は分かりやすく神が戻ってくる日の楽園の絵をノートに書いてくれた。
「どう思う?」
 驚いている私にジョーダンはそう意見を求めた。
 私はしどろもどろになりながら、「地震や津波といった自然災害が、人間と神様との関係が良くないことによって発生していると言うのは知らなかった...」と、かろうじて思ったままの意見を述べた。
「それに、誰もがそうやって神様の存在を信じて神様と良好な関係を結べたら、世界はもっと平和で生きやすくなるんじゃないかな...」
 私がそう言いおわると、ジョーダンは大きく頷いて嬉しそうに笑った。

「どんなにいい人であれエヴァンジェリカルの人たちと普通の友情関係を結ぶのはとても難しいよ!」
 友人のクリスはこの私の話を聞いて、間髪入れずにそう教えてくれた。彼はかつてエヴァンジェリカルのガールフレンドがいたそうだが、結局、彼自身がエヴァンジェリカルになれないことに憤った彼女によって終わりを迎えたのだという。そういえばジョーダンも、エヴァンジェリカルの信者ではない彼氏と、三年に渡る交際の後、自ら終わりにすることにしたと私に誇らしげに教えてくれたことがあった。
 語学学校のトム先生は「もうエヴァンジェリカルと付き合うんじゃない」と私に釘を刺した。「彼らの答えはいつだって一つしかないんだから」
トム先生は言った。
「それは...RELIGION(宗教)!」

 全く、悲しい出来事だった。言うまでもなく、今後、私とジョーダンの友情はどうなるのだろうという新しい不安が私の中に生まれつつあったし、結局、私のパニック発作と神様との良好な結びつきの因果関係は曖昧なままだった。大体ジョーダンが言うように神様が王様として君臨する日まで私自身が長生きするとも思えなかった。
 だけど一方で、私がジョーダンに言ったことは、嘘ではなかった。ジョーダンは本当に優しい女の子だったから、ジョーダンのように人に尽くし、親切に振る舞うことのできる人が一人でも多くなれば世界はもっと素晴らしくなるだろうと言うのは真実だった。私は神様を信じることはできないし、クリスの言うように私たちが普通の友情関係を結ぶことはできないのかもしれないけれど、だけど少なくとも、私は確かに、ジョーダン中にある美しい何かの存在は信じることができる気がしたからである。