セラピーに会いたい

8月29日

 私の知る限り、アメリカ人というのは風邪を引いたくらいでは病院に行くことなどしない民族だった。18歳のアメリカ人学生のウィルはもう4年ほど病院に行った記憶はなかったし、ジェレミーもマイケルもこれまで定期検診以外に病院に行ったことなどないと嘯いたことがあった。「健康だから」「ほっといたら治るから...」彼らは口を揃えてそう言うと、逆になんでそんなに日本人は病院に行きたがるのかと不思議がった。
 だけどその一方で、アメリカ人というのは、驚くほどカジュアルに、そしてマメに精神科に雪崩れ込む民族でもあった。やれ夫婦間で揉め事が起こればカップルカウンセリングへ、やれ恋人と別れればセラピーへ、日々のメンタルの健康に関しては異常なまでにケアを要し、人にもよくセラピーに行くことを勧めた。私も「食欲がない」と言えば、すぐさま「セラピーに行くといいよ」と勧められたことがあった。「彼らはプロだから、話を聞いてもらうだけでも全然違うよ」と...。

 とはいえ問題なのはカウンセリングというものが、「じゃあちょっと行ってみようかな」と思い立ってすぐに行けるものではないという点だった。平時でさえこれほどまでに人気のカウンセリング業界である。コロナウィルスで鬱が増加しているこのご時世に、精神科の病院というのはどこも予約でいっぱいだった。
 かくいう私も、2020年ロックダウンの最中にカウンセリングを予約しようとしたことがあった。だけど案の定、予約は3ヶ月先まで空きがないと言われ、3ヶ月待った末にやっと医師からzoomでのカウンセリングのお誘いが来たことがあったが、その頃になると私はもうすっかり鬱っぽいのを通り越して元気に友人たちと遊んでいたので、「もう元気になったみたいなので大丈夫です」と言って予約をキャンセルしたことがあった。
 もちろん私の場合は症状が軽かったので、予約が取れようと取れまいと大した問題はなかった。3ヶ月の間に少し休めば回復するほどだった。だけど深刻な場合だと予約が取れない間に症状が重症化し、緊急搬送されて入院するまでの事態になったというケースも聞いたことがあった。「緊急搬送になれば、すぐに医者に会えるよ」とは冗談混じりに言われたことがあったが、ここではあながち冗談ではなさそうだった。

 さて、ある日のことだった。真っ昼間、家まで車で15分のよく知った高速道路を一人で走っていた時の出来事である。
 ちょっと疲れていたので、ぼんやりした頭の中で私はいろんなことを考えていた。過去の出来事。楽しかったこと、辛かったこと、あるいは郷愁めいたこと...。
 はっとした時には、心臓がすごい勢いで動き出していて、目の前が暗くなるような、気が遠くなるような恐ろしい違和感に襲われて、手が震え出した。高速道路なので車を停車できないという考えが、その恐怖を助長させ、とたんに呼吸が浅くなった。アクセルを踏んでいる足がコントロール不能なほど上下にブルブルと震え出し、とにかく意識を保たなくてはいけないという思いで、気づくと「大丈夫、怖くない、大丈夫、よく知っている道、もうすぐ家」と声に出して叫んでいた。言葉を発し、呼吸を整えることに集中し、なんとか高速道路を降りることができた私はやっとの思いで家に辿り着いたが、想像もしていないショックに打ちのめされていた。生まれて初めて経験する、パニック発作だった。

 それは全く、予想もしないクレイジーな出来事だった。ウィスコンシン州は運転時の血中アルコール濃度数の基準が緩いので、大抵の人は飲酒運転でも車を走らせていたが、私は一滴もお酒を飲んでいなかった。パニック発作のトリガーになりそうなこととして、過去に大雪の降った日、スリップして後続車に正面衝突しそうになったという経験もないことはなかったが、それは3年以上も前の出来事だった。カーブを曲がりきれずに縁石に乗り上げて車の修理費20万円を要して白井くんにこっぴどく叱られたのは2年前だっただろうか...。しかしいずれも今回のパニック発作とはあまり関係ないように思えたし、遠い過去の出来事だった。
 そしてもちろん、私は次の日の朝から何時間もかけて病院を探し、予想通り新規の患者を受け入れてはくれる病院を一つも見つけることが出来なかった。まず主治医からの紹介状が必要だと何件かの病院から門前払いを食ったので、私はとりあえず精神科ではなく婦人科の主治医の予約を取ることにした。主治医の紹介状の後、予約段階に入っても精神科の予約が取れるのは数ヶ月先だろうとも言われた。

 パニック発作を起こした後に発症するという予期不安という症状も出始めていたが、それに加えて治療の予約が取れる前にまたも症状が良くなってしまうのではないかという、なんだか良くわからない不安もあった。こんなことなら過去に予約が取れた時にきちんと精神科の主治医を捕まえておけばよかったと、後悔もした。そしてそれでもなお、私は毎日運転をしなくてはいけなかった。
 予期不安が起こった際には目に見えるものを声に出して言うことが良いとどこかで読んだが、マディソンは道によっては木しかない場合もあった。だけど大雪が降ろうが、竜巻警報が起ころうが、そんなことはもろともせずにこれまでハンドルを握ってきた私である。強い気持ちで自分をそう鼓舞しながら、私は今メンタルケアの治療の扉が開かれる日を、ひたすらに、待っているのだった。