バナナ

6月23日

 5年以上マディソンに暮らしていると、結局どこに暮らすのが一番いいのか、分からなくなることがあった。こちらでの暮らしが長くなればなるほどに、身に起こることは楽しいことばかりではなかったし、英語が上達すればするほどに、日本語への郷愁は強くなり、そうすると孤独感に苛まれる時があったからだ。もちろん、あいかわらず私にとって湖に囲まれたマディソンでの長閑な暮らしは天国のようだったし、いつまでも暮らしていたいと思う気持ちは大きかった。あるいはマディソンから車で少し離れた郊外の小さな田舎街などに立ち寄ったときなどは、ほとんど機能していないような小さなメインストリートや数件の酒場、しかしながら完璧な美しい川べりとにこやかな人々で満ち足りた田園風景を前に、一体ここ以上の場所を人は知る必要があるのだろうか?と、生まれながらにこの土地に振り分けられた人々の運命を羨ましく思ったものだった。

 だけどこんな田舎は嫌で、もっと都会に行きたいという声を聞くこともあった。カリフォルニア育ちのカイルにとって、マディソンは退屈そのものだった。もうマディソンはいい。もっと違う世界を見たい。そう言ってカイルは今後、中国にESLの教師として移住することを計画していた。トランプ政権の折にアメリカそのものに嫌気が差したと言って、南米はエクアドルのクエンカへ移住していった家族もいた。クエンカは治安もよく、物価も安く、ご飯も美味しい夢のような土地で、ちかごろリタイア後などに移住を夢見る欧米人に人気の土地なのだそうだ。あるいは、韓国人のセオンはマディソンは大好きだったが、彼女はやっぱり将来は韓国に戻って暮らしたいと私にいつも言った。セオンにとって韓国は家族もいるし仕事もある、自分の帰るべき場所なのだった。

 だから、私はここのところ、頻繁に自分の祖国はどこで、どこに生涯住みたいか?という質問を友人にすることがあった。
 例えばインド生まれのインド人のラビは、より良い教育を求めて会計士である両親によって家族でアメリカに移民してきた移民二世だった。母語であるタミル語は祖母との交流だけのために使っているので、理解はできるがほとんど話せない。自分の祖国がどこかと問われると、「もちろんアメリカ」だとラビは言った。それを聞いて同じくメキシコ移民のアレックスもまた、「自分の祖国もアメリカだ」とラビに同意した。まだ不法移民の規制の緩かった時代に10人の兄弟たちと家族丸ごと移住してきたアレックスは、家族でメキシコ料理のレストランを営みながら、アメリカで教育を受け、現在はマディソンの警察でプログラマーとして働いていた。彼にとって英語は他ならぬ母語でありアメリカは祖国だった。英語を話せない祖母や両親と話すときはスペイン語で話し、時に彼らのために通訳となり、家で食べるメキシコ料理やメキシコの文化を愛しつつ、しかし「ここ(アメリカ)にはより良い教育、よりより生活がある」ときっぱりと言った。

 一方で14歳からアメリカで暮らし始めたブラジル人のママ友ルアーナは「もうずっとどこが自分の祖国なのか分からない」と私に言ったことがあった。彼女はこれまでにポルトガル語ではなく英語で本を書いて出版していた。アメリカの大学を卒業し、アメリカで本を出版し、結婚し、2人の子供を出産し、働いていた。休暇の際には家族でブラジルに戻ることもあるけれど、彼女はあまりにも人生の長い時間をアメリカで過ごしていた。もうブラジルは彼女にとって祖国ではなかった。かと言ってアメリカが祖国かと聞かれると、それも違うのである。
 ジムのサウナで仲良くなった女性も、夫に連れられてアメリカに移民してきたアフガニスタン人だった。彼女の家族の大半はドイツに移民しており、夫の家族がアメリカに移民していた。アフガニスタンや離れ離れになった家族が恋しかった。だけど今、彼女の3人の子供たちは全員ウィスコンシン大学を卒業し、立派に独り立ちしたアメリカ人だった。彼女はいつだって祖国の料理を作るし、息子たちはそれが大好きなのだそうだ。そしてメキシコ人のアレックスやインド人のラビと同じく、「ここにはより良い教育と生活がある」のだと言って笑った。

 日本にいずれ帰ると言うと「羨ましい」と言われることもよくあった。アメリカ人のジェレミーは日本が大好きで、日本に行くためだけに仕事を二つ掛け持ちし、身を粉にして働いていた。東京に行きたい、日本人なりたい、日本語を話せるようになりたい...、マディソンのような楽園でそう言われるたびに、私はつくづく人間の欲望のベクトルというのは面白いな、と思うのだった。

「だけど日本の国籍が一番でしょう?」
 フィリピン人のデニスは、国籍の話をするとき、必ず私にそう言ったものだった。日本人はどこに移住しても絶対に日本国籍を捨てない。日本国籍を持つのは本当に難しい...と。実際、日本で働き、息子を日本で出産した中国人のウェイも、息子ともども日本人にはなれなかったと不満を漏らしたことがあった。だから結局、彼女はアメリカで働いてアメリカ人になったのだそうだ。
「だから」
 と、ウェイは言った。
「私の息子は'バナナ'なのよ」
 バナナとは、外見は黄色人種のアジア人でありながら、そのアイデンティティが欧米であるという隠喩だった。

 そういえばここのところ、私の4歳になる息子も家でよく英語を話すようになり、ウェイのいうところのバナナになりつつあった。アメリカで生まれた息子は、思えばその短い人生のほとんどをアメリカで過ごしていた。もちろん日本人でもあったが、今では日本語よりも英語の理解の方がまさっていた。
 アメリカ人であること、日本人であることとは一体なんだろうか?息子が見せるその完璧なまでにアメリカナイズされたリアクションを見るたびに、私はふと、そう不思議な気持ちになるのだった。