ワクチンをめぐる戦い

4月15日
 ワクチンをめぐる戦いが加速していた。
 ウィスコンシン州はついに4月5日をもって、16歳以上の誰もがワクチンを打てるようになり、屋外でのマスク着用の義務や集まりに対する人数制限の規制が取り外されるなど、4月に入ってからの変化はめまぐるしかった。友人のデニスもここにきて12月に打ったアストラゼネカのトライアルワクチンがプラシーボだったことが判明し、4月5日からのワクチン接種開始とともに慌ててマディソンでの予約を取った一人だったが、パトリシアはマディソンではなく、車で1時間ほどの郊外での予約を取った。というのも、誰もがワクチンを打てるとはいえ4月5日を待ってワクチンの予約サイトを開けてみるとマディソンでのワクチン枠はどこもいっぱいで、なかなか予約を取るのが困難な状況が続いたからだ。
 私と白井くんもまた、パトリシアや多くの人と同様に車で2時間ほどの郊外での予約を取ったが、その日を待たずしてすぐにまたマディソンでの予約枠が増えたという情報が入り、なんとかマディソンでの接種に変更するなど、私たちは刻一刻と変わるワクチン情報に翻弄されているようだった。

 何を打たれるか?ということも多くの人の関心の一つだった。4月14日まで、アメリカで打てるワクチンはモデルナ、ファイザー、ジョンソンアンドジョンソンの三種類だったので、私は密かにジョンソンアンドジョンソンは嫌だと思っていたが、ワクチン接種日の前日に全米でのジョンソンアンドジョンソンの使用が停止されたので選択肢はモデルナかファイザーの二択となった。だけど例えば、ワクチン反対派のマイケルなどは、ジョンソンアンドジョンソンなら一発だけで済むという理由からジョンソンアンドジョンソンを好んで打っていた。
 もちろん、副作用のこともよく話題に登った。ニュースなどでよく耳にするひどい副作用ではないにしても、割と多くの知人が「副作用を経験した」と個人的に報告してきたので、私はその都度恐怖を感じることがあった。とりわけデニスはワクチン接種後、時系列で2時間おきに自身が感じた副作用二日分をメールで送ってきて周囲の人々を震撼させたが、考えてみたらアストラゼネカのプラシーボを打った後も、その副作用を二日分、デニスは時系列でFacebookに投稿していたので、彼の数時間おきの「発熱」やら「だるさ」の記録には少々疑わしいものがあった...。

 だけど、手放しにワクチンを礼賛する人々のいる傍ら、時にワクチンへの恐怖から私の心は最近「反ワクチン派」の声を強くとらえることも少なくなかった。もちろん中には、ワクチンにマイクロチップが埋め込まれていて多くの人を殺す計画がビル・ゲイツ界隈で数年前から進められていたのだという過激な陰謀論もあった。あるいは「ユルい反ワクチン派」のマイケルのように、コロナウィルスは研究所で作られたもので、パンデミックそのものが計画(プラン)された「プランデミック(Plandemic)」であり「恐怖」こそが人々をコントロールしやすくする材料になるのだとして、ワクチンを打つことで人々をコントロールするべきでないと言う軽い説もあった。健康であればコロナウィルスでは死なない。ワクチンの方がリスクが高いと訴える人たちもいた。
 だけど基本的にはそうした声は「デマ」であり「大衆を間違った情報に導くもの」だとみなされ、FacebookやInstagram、YouTubeなどのメインストリームからあっけなく抹消され、アカウント停止を余儀なくされることがあった。そして面白いことには、そうやってメインストリームから抹消された投稿、あるいはドキュメンタリー映画などには、「真実を抹消しようとする陰謀と戦う正義」という謳い文句が勲章のように加わるので、逆に彼らの説に強い真実味を持たせることがあった。
 反ワクチン派で知られる元大統領の甥で弁護士のロバート・ケネディ・ジュニアのInstagramのアカウントも2月に抹消されたものの一つで、彼はヒーローのようだった。クリスピークリームは3月末に、ワクチン接種者は2021年中、毎日無料でドーナツをひとつ食べられるサービスを開始すると発表し、このワクチン接種への甘い誘惑がますます反ワクチン派の怒りに油を注いだのは言うまでもなかった。また、クリスピークリームだけではなくさまざまな企業が人々のワクチン接種を推進するためにさまざまなサービスを発表し、極め付けにニューヨークでクオモ知事が推進した「ワクチンパスポート」には多くの反ワクチン派がSNS上で激昂し、政府の圧力を糾弾していた。

 もちろん、私はビル・ゲイツによる陰謀論や、政府による人類大量虐殺論を信じているわけではなかったし、ワクチンを打つべきなのか、打たざるべきなのか?と言うのは、結局のところよくわからなかった。でも、打ちたくない人々を「あいつはトランプ派か厳格なキリスト教徒だ」と揶揄したり、クレイジーだとバカにすることには疑問が残ったし、「打たない」という選択はもう少し柔軟に尊重され、準備されてもいいのではないかと思うときもあり、これに関して白井くんと時々内輪で揉めたりもした。

 とはいえ、そんなすったもんだの2021年4月15日、私たちは結局、ファイザーの1回目のワクチンをマディソンの病院で無事打ち終えることとなった。錯綜する情報の中で、ワクチン派でも反ワクチン派でもない私たちがたどり着いた結論は他でもなく、「とりあえず打っといたら安心かもしれない」という、心の平和だったからである。