6月22日
先月のメモリアルデー(5月25日)にミネアポリスで起こったジョージ・フロイドに関する一連の事件をはじめて目にした時、私はすぐにこれは大変なことが起こってしまったと感じた。8分間、無残にも無抵抗の人間が警察によって殺されていく映像は、ミネアポリスに住んでいなくても、あるいは黒人でなかったとしても、人として私の心を深く傷つけるのには十分だったし、時間を追うごとにこの不条理に対する人々の怒りが拡散され、ミネアポリスの街が最終的に"文字通り炎上"したときには、私はそれによって(世界中で暴動が激化する以前は)ある種、ジョージ・フロイドの死が浮かばれたような、多くの人がこの当たり前の怒りに立ち上がったことにまだどこか救いを見たような気がしたものだった。
というのも、この出来事が起こる前からずっと、私はアメリカ人というのは差別や偏見に対してとても注意深く、日本人と比較にならないくらいその意識やモラルが高いとも思っていた。日本でよく聞く「女性だからこうしなければいけない」あるいは「男性はこうあるべき」といった発言は、むしろこちらでは差別的だと驚かれることが多かったし、アメリカでは年齢や外見で人を判断しないように、就職活動の際に写真を添付することや生年月日を問うことを禁じていたからである。
一度「日本で缶ビールをそのまま飲もうとしたら、その場にいた男性に女の子なんだからコップを使いなさいと怒られたことがある」と話したときも、その場にいたアメリカ人が全員「なぜ?」と眉をひそめたことがあった。また「姦しい」という漢字について、その構成が「女が三人で'うるさい'」のだと説明した時も、友人のトレイスは「面白いね」と言いながらも、「もちろんその成り立ちの意味自体が必ずしも正しいとは限らないけれど」と言い添えることを忘れなかった。「女だからうるさい」というロジックは、彼にとっては「同意できるものではない」という意思表示だったのである。
「なぜ、女性好みの味(あるいは男性好みの味)というものが日本にはあるのか?それは性差別ではないのか?」あるいは「なぜ日本で生まれ育ったのに外国人だと言われる人たちがいるのか?」...。
日本で疑問に思うことのなかった発言や言動が、ときにこちらでは差別的だと言われることがあるたびに、私はいつも自分がいかに差別や偏見というものに対して注意深く生きてこなかったかを思い知るとともに、アメリカ人の意識の高さに驚くことが多かったのである。
だから、ジョージ・フロイドの事件が起こったとき、そしてその後、燃えさかるミネアポリスの街を、あるいはマディソンのダウンタウンで起きたデモや暴動を目にしたとき、真っ先に私の頭を過ぎったのは、「これが日本だったらどうだっただろうか?」ということだった。日本だったら、同じくらい多くの人々がマイノリティーのためにここまで立ち上がることがあっただろうか?と。
メモリアルデーから三日と経たずに、ミネアポリスで、アメリカ全土で、そしてマディソンで、多くの人が怒りをあらわに抗議に立ち上がった。「コロナウィルスなんだからデモをするな」と大々的に言う人はいなかった。そんなことを気にかける発言をできるような雰囲気ではなかった。
こうした出来事があった後、一度、友人のアレックスが「アメリカでは警察は白人を守るためものだ」と教えてくれたことがあった。彼は白人だったけれど、高校生の頃、黒人の友人と夜間、警察官に呼び止められ「お前はこのニガーと友達なのか?気を付けろよ、お前もトラブルに巻き込まれるぞ」と注意を受けたことがあったのだという。
「黒人は夜は出歩けないよ」
アレックスはそう教えてくれた。「もし夜、家の周りに黒人が立っていたら、それだけで誰かが必ず通報するからね」と。
そしてそれは事実だった。あの日以降、拡散される情報の多くが、黒人差別の実態を生々しく伝えていたし、これはもう誤魔化しようのないアメリカという国のもう一つの真実のようだった。だけど一方で、同じくらい、多くの人々がジョージ・フロイドのために、正義のために立ち上がったことも疑う余地のない事実だった。
マディソンのメインストリートでも夜間暴動が起こった。多くの店やショーウィンドウが破壊され、すぐに通り中の店という店にベニヤ板がバリケードのように張られるようになった。『この店のオーナーはマイノリティです』と免罪符のように張り紙を貼って暴動を免れようとしている店もあった。しかし、そうした暴動は批判的な世論の高まりとともにすぐに終息に向かった。そしてそのかわり、バリケードとして店中に張られていた板という板にたくさんの美しいペインティングが施されるようになった。もちろん、それらは全てBLM(Black Lives Matter)に関連したアートだった。
街を歩けばそこら中で、BLM、I can't breatheの文字を、あるいはジョージ・フロイドのポートレイトを見かけるようになった。「変わらなければいけない」「Silence is violence (沈黙は暴力)」...。どこを歩いていてもこうした言葉が道に溢れ、人々の心を捕らえた。もちろん、ある意味ではそれは"落書き"に違いなかった。でも誰もそれに対して怪訝な顔などしなかった。多くの人が正義のために、アメリカに住むマイノリティのために団結し、祈っていた。だけど、日本だったらどうだっただろうか?
初夏のメインストリートに咲き乱れるBLMのアートを眺めながら、私の心はふと、遠く離れた祖国へと向かわずにはいられなかった。