新たなはじまり

8月6日
 新学期が9月から始まるアメリカでは、夏休み期間の6月から9月にかけてが引越しシーズンである。とりわけ月末には大量の引越しトラックがそこら中を走り回り、道路の脇では不要になった家具が大小様々にゴロゴロと捨て置かれるので、この時期にはそうやって捨てられたそれらの家具を今度はせっせと自分たちの家へ持ち帰ろうとする新規入居者たちの姿を見かけることもよくあった。
 かくゆう私たちも、2年前のこの引っ越しシーズンにマディソンに戻ってきた新参者たちだった。2年前、私たちが居を構えたのは、先の滞在時に暮らした時と同じ地区にある古いアパートであり、アジア人が多く住み、バスの便もよい "シェボイガンアヴェニュー"と呼ばれる地区だった。ここに立ち並ぶアパートはどれも一様に古めかしかったけれど、この辺りに住む人たちは誰もが立地の良いこのシェボイガンアヴェニューを愛しているようだったし、少なくとも私はこの長閑なシェボイガンが大好きだった。ダウンタウンからは少し離れているものの、アパートのすぐ裏には広々とした公園があり、近くにはショッピングモールがあり、そして何よりもこのアメリカ生活で1番最初に覚えた単語である"シェボイガンアヴェニュー"という言葉の響きが好きだったのである。
 だけどそんな思い入れのあるシェボイガンアヴェニューで迎える待ちに待った五度目の夏、私たちはついにこの地区を離れることに決めた。私のこれまでの人生で、いつも節目節目に呪いのようについてまわる"引越し"であった。

 数えればこれが結婚して8度目、人生では13度目となる"引っ越し"だった。ただ今回は2年前のように国を跨ぐわけではなく、引っ越し先はシェボイガンアヴェニューからたった1キロほどしか離れていない場所である。これまでの引越しの経験値と、その引っ越しのたびに少なくなっていった荷物の量を鑑みれば、アメリカでの引越しとはいえ業者の世話になどなる必要はなかった。トラック一台借りれればあとは自分たちで十分である。しかもそのトラックが引越しの前日に突然何の連絡もなく一方的にキャンセルされてしまったとしても、私たちはもはやそんなことで動じるような器でもなくなっていた。
 速やかに全ての家具をシェボイガンアベニューのアパートの駐車場に移動させ、オーナーにトラックが突然キャンセルされたことで何日か駐車場に荷物を置かせて欲しいとお願いすると、そこから粛々と自分たちの車を使って荷物を運び込むことになった。何度も車でシェボイガンアヴェニューと新しいアパートを往復し、同時に荷物を片っ端からほどき、段ボールを捨て、子供にご飯を食べさせ、ついでに突然トラックをキャンセルした上に電話もメールも無視を決め込んだ悪徳業者への低い評価をネット上で書き込むと、夕方にはほぼ全てが完了するという手際の良さである。それから「引越し祝いに」と、寿司の出前も注文し、私たちはあっという間に晴れてアイスクリームショップと小さな公共図書館に隣接した新しいアパートでの新しい2年間のスタートを切ることができたのだった。

 ところで、シェボイガンアヴェニューでのこの2年間は、かえすがえす惨めな2年間だった。もちろん楽しいこともあったけれど、やはり思い返すと極貧であるということの不安と苦しみの思いが優っていた。
 2年前、白井くんの大学のTAの給料と貯金だけでやっていこうと決めてマディソンに戻った時、この2年間を生き抜くことは離れ業のように無謀なことのように見えたが、事実、目の前にはクリアしなければならない課題がいくつもあって、そのための生活は全て、金銭的にあまりにもギリギリだった。フードパントリーに足繁く通い、教会の無料のご飯を家族で食べ、バスカードを隣に住む学生にねだり、血を売りたいと思う時もあった。無料でご飯を食べられるイベントだと思って出向いたら、マシュマロしか出てこなかった時もあった。「若い頃の苦労は買ってでも」という言葉を信じてやってみたものの、やっぱり心が荒んだような気がすることもあった。ここには書けない無茶なことをした日もいっぱいあった。

 だから結局のところ、この2年間の経験から私が身をもって学んだことといえば、「お金はないよりあった方がいいな」という身も蓋もない現実だった。先行きのわからないまま貯金を切り崩す生活はやはり、居心地の良いものとは言えなかったからである。それから自分自身のちっぽけな虚栄心、煩悩や欲望と戦い抜くことは想像以上に過酷なことでもあり、私はひたすらに、この2年が無事に過ぎゆくことだけを祈っていた。もちろん、たくさんの素晴らしい出来事もあったけれど、だけどどうしても、手放しで「お金がなくても幸せだ」という高みには至らなかったのである。たった一つ、「この二年間をやり遂げたい」という初期の強い思いだけが私たちの全てだった。

 引越しの日、不要になったダイニングテーブルと椅子を道に捨て置くと、数時間ほどでそれらはシェボイガンアヴェニューの誰かの家に引き取られたようだった。2年前に近所のパニカから譲ってもらった破れたソファもこの機会に一緒に捨てた。これからは自分達が気に入ったソファを買うくらいには余裕のある暮らしが望めるようになるのである。2年間、家族3人、貯めてきた貯金総額の半分を失った。だけどこの日をもってこの不安定な生活は終わったのである。夢を抱き、想定していた乗り越えるべき課題の全てをクリアし、荒波を乗り越え、溺れそうになりながらやっと、私達はこの日、なんとか無事に岸へとたどり着いたのだった。