10月12日
「日本はテクノロジーも経済もすごく進んでいる国なのに、どうしてセクシャリティーやマイノリティの対する差別や偏見に関してはこんなにも遅れてるの?」
アンソニーがそんな風に私に尋ねたのは、とあるバーで気心の知れた人達と飲んでいた時のことだった。日本に精通しているアンソニーは、日本語を織り交ぜながら丁寧に話してくれる優しい人だったけれど、実は彼がこの質問に至る少し前、私達の間にはちょっとした論争めいたことが起っていた。
事の発端は、一軒前の酒場でアンソニーが日本語のある差別用語を使ったことがきっかけだった。もちろん彼は冗談のつもりだった。アンソニーはそれをとてもカジュアルに笑顔でその場に居た特定の人に向かって使ったのだが、私はたちまち驚いて、制止するかのように彼の腕を掴んでしまったのである。
腕を掴まれてアンソニーもびっくりしていたが、その場に居た他の人は誰も気にしてはいなかった。アメリカの、アメリカ人ばかりの場所だったのだから、彼らは誰もそんなレアな言葉の意味など分かってはいなかった。言葉は発せられた瞬間に笑いに包まれて掻き消えて行くだけのはずだったのである...。
だけど私はそれを捨ててはおけなかった。それは、ある人々を指し示す日本の差別用語であり、飲み屋で笑いながら冗談で使える言葉ではなかった。とりわけアンソニーにはたくさんの日本人の友人が居るようだったし、彼はよく日本にも遊びに行く人だったから、私はその場で誰にも聞こえないよう声を潜め、「ノー。絶対に使ってはいけない」とアンソニーに真剣に注意したのだった。
「なんで?」
アンソニーはすぐにそんな私に明らかに不服な態度を示した。
「それはすごく悪い言葉だから」
私がそう答えると
「悪い言葉なんかじゃないよ。僕はこの言葉の人達のことを良く知っているし、この言葉で呼ばれる日本の友達も何人もいるけれど、彼らは全然悪い人なんかじゃない。この言葉を使ってはいけないと言うのなら、他にどんな言葉を使えばいいの?」
と言って食い下がった。そして結局、この問題はその後私とアンソニーの間で、二軒目の酒場まで持ち越しとなったのだった。
私が注意したかったポイントは、その言葉の差別が明らかに残っている今、大人数で集っている場所、あるいは公共の場所でカジュアルに、しかも特定の人を呼ぶ手段として使うことの暴力性と、危険性の高さだった。だけど、ことをややこしくしたのは、私が「使ってはいけない」と禁止をすることによって、アンソニーが私の中に日本人特有の「寝た子を起こすな」的な保守性を見出そうとする点だった。その上つたない英語力とあいまって、私達は話せば話すほどに、何かが食い違っていき、そしてついには、「日本人はどうして大っぴらに下ネタは話すのに、こういう大切な問題を話し合うなと言うのか?」とアンソニーは言い出したのだった。
それは恐ろしく時間のかかる議論だった。
「とにかくああいう場所で言う言葉ではない」
「あんたは日本の文化、よく知らないから...」
夜も更け、つい酔っぱらった頭と面倒くささに負け、私がそう言い放ったが最後、アンソニーは声高に「話し合わないから差別や偏見がいつまでもなくならないのだ」と厳しく私を攻撃し、「議論を避ける日本人」というレッテルを貼ろうとした。
「例えば数十年前までは、アメリカでもゲイは差別の対象だった。誰もそれについて口にしたがらなかったし、ゲイだと知られることで暴力さえ受けることが普通にあった。」
ゲイの問題まで引っ張り出すと、アンソニーは人々がその問題を避けることで偏見というものは助長されるのだと論を展開した。
「だけどアメリカ社会はこの数十年で劇的に変わった」
アンソニーはそう続けた。
アメリカも数十年前までは日本と同じように性的マイノリティへの厳しい差別や偏見がはびこっていた。ゲイと名乗ることで殺される危険さえある社会だった。だけどここ数年アメリカ社会は目覚ましく、驚くべき変化を遂げた。なぜか?人々がそれについて話し合ったからだ、と。
日本のテクノロジーは素晴らしい。経済も、世界的に目を見張るものがある。だけど一方で日本はマイノリティに対する差別や偏見が人々の意識において、あまりにも先進国の中で遅れ過ぎている。何故そういったものがなくならないのか?それは人々がその問題についてあまりにも知らないから。日本人はあまりにも話し合わない。もっとオープンに、もっと深く、カジュアルに彼らについて理解すれば、自分たちと彼らの間に何も違いはないとすぐに気付くはずだ。
「日本人は自分たちが特別だと思ってるでしょ?」
アンソニーは言った。
「日本人は皆、日本には四季があるって自慢する。津波がある。島国だ。鎖国してたって言う。だけど、僕たちは何も違わない。アメリカだって四季はある。保守的な人はいっぱいいる。誰だって変わるのは怖いし、ずっと戦い続けてきた。たくさん話し合って、気付いていけば人々は変わる。話し合わないから、いつまでたっても何も変わらないんだよ」
そして彼は「日本を愛しているけど、日本人のそういうところにはうんざりする」と締めくくるのだった。
もちろん、アンソニーが言わんとしていることは理解できたし、異論はなかった。それに、最終的にはアンソニーだって、私が公の場で誰かをその言葉を使って名指しするという行為に難色を示したのだということを深く理解し、反省すらしてくれたが、振り返って見ると結局、私達はこの夜何度も戻るべき地点を見失って、終わらない議論をこねくり回していたようにも思えた。
私達は二人とも、同じように差別や偏見はいけないことだと分かっていたし、当たり前のように無くなってほしいと願っていたけれど、話せば話すほどにいつまでも、言葉が持つ歴史性や背景、網の目のように張り巡らされたコードやステレオタイプに足を取られてぶつかり合い、やり直さなければならなかった。話し合うべきなのか?言葉を慎むべきなのか?日本人だからなのか?アメリカ人だからなのか?夜のとばりが落ちる中、私はお酒の入った鈍い頭の中で、何度もそのことを考えなければならなかったし、話はいくつにも枝分かれして広がっていき、終着点はいつまでも零れ落ちていくようだった。たくさんの矛盾と恐ろしいくらいの言葉のトリックがあった。話せば話すほどに、問題が増えていると思う瞬間があった。
だけどこの夜、私はふと、アンソニーから突きつけられたものこそ痛いくらい大切な、現実のややこしさなのではないかとも思い至っていた。無謀なほど愚直な議論の果てではあったけれど、私があの夜見たものは、差別や偏見といった概念そのものではなくて、むしろ二人の人間(とりわけ言葉や文化の違う人間)が理解し、話し合うということの「うっとうしいほどの難しさと大切さ」だったように思ったのだった。