エピックの夏の思い出

8月9日
 
 マディソンからおよそ20キロ、ヴェローナという町にエピックと呼ばれる電子医療記録のソフトウェアを扱う企業が存在する。日本ではあまり知られてないが、1979年に女性のCEOによって誕生したこのエピック社は、現在は9000人の従業員を持ち、年間27億ドルの収益を出すというウィスコンシンが世界に誇る大規模な優良企業である。また、その企業成績もさることながら、会社がヴェローナに保有する広大なキャンパスは、もはやヴェローナの町全体を覆い尽くす存在感で異彩を放っており、その建物群は、かのディズニーランドと同じデザイナーによってデザインされた巨大なテーマ―パークのような様相を呈しているのである。
 だから、タイ人のパニカはよく自己紹介をするときに「夫はエピックで働いています」と言うことを忘れなかった。もちろん彼女はその言葉がどのような効果をもたらすか知っていたし、実際「エピックに勤めている」と聞けば、私だって今では身を乗り出して「あのエピック?」と聞き返すだろうと思うのである。そしてもちろん、エピックは誰もが羨む素晴らしい会社だった。パニカの夫のトニはいつも、会えばエピックの福利厚生の充実ぶりを語ってくれたし、彼の案内で初めてヴェローナにある会社見学に訪れた時は、これが会社なのか?と目を疑うほど、様々な仕掛けのある遊び心満載の建物に時間を忘れてカメラのシャッターを切ったものだった。広すぎて一日では周りきれないエピックの建物には、不思議の国のアリスやハリーポッター、インディージョーンズにオズの魔法使いをコンセプトとして作られたものがあり、アリスの落ちたラビットホールや逆さまに置かれたテーブル、ドラゴンの居る会議室など、数えきれないほどのエンターテイメントに溢れていた。メリーゴーランドや天国の滑り台のあるオフィスで働くなんて、なんて楽しい毎日なんだろう。私がそう言うと、トニは「いろいろ煮詰まったら気分転換になるよね」と言って笑った。

 そんな超有名なエピック社だが、実はもう一つ面白いことに、現在ある一人の日本人画家に会社のスタジオを提供していたのである。それは、日本でもその名を聞けば繊細で緻密かつスケールの大きなその画風を目に浮かべる人も少なくない有名画家、池田学さんだった。彼は2011年に文化庁芸術家在外研修員としてバンクーバーに滞在していたが、その後巡り巡ってウィスコンシン大学マディソン校にあるチェーゼン美術館でスタジオを借りて創作活動を続けていた。だけど昨年、そのチェーゼン美術館での契約期間満了ののちに、このエピック社に声をかけられ、引き続き彼はウィスコンシン州で絵を描き続けていたのである。彼のそのミクロからマクロへ、そしてまたミクロへと豊かに表情を変える独特の画法は世界的にも高く評価されており、医療記録ソフトウェアという一見堅そうに思える会社でありながら、エピックはエンターテイメントや芸術へのサポートの一環としてこの日本人画家、池田学さんと新規の契約を結んでいたのである。

 そんな池田さんに、私が初めて会う機会を得たのは、先月、7月中旬のことだった。内田樹先生の門下生である囲碁棋士・中野康宏九段がウィスコンシン大学を訪れるので、どこか観光にお連れしようと思った際、ウィスコンシンにせっかく来たのだからエピックを楽しんでもらうのが面白いのではないかと思ったことがきっかけだった。私はこれまで直接的に画家・池田学さんとの面識はなかったが、彼の奥さまとは会う機会があったのでさっそくスタジオ見学したい旨をお伝えした。すると忙しいさなかだったにもかかわらず、池田氏はスタジオ見学の時間外での申し出に快く応じてくれるとのこと、さらにはエピックで昼食を共にするという贅沢な提案までしてくれたのだった。

 7月17日。初めてお会いする池田学さんは、意外にも想像していたような気難しい芸術家ではなく、もっと気さくで温厚で、それでいて職人のようなどっしりとした佇まいと謙虚さに溢れるなんとも言えない好人物だった。事前に池田さんの作品を美術館に観に行き、NHKのドキュメンタリーをチェックするなどしてすっかりファンになっていた私は、その気さくさをいいことに、中野九段の付き添いという立場も忘れ、やれ「文化庁の面接の時はスーツを着て行きましたか?」だの「細いペンで描く手法を選んで後悔したことありますか?」だのと矢継ぎ早に池田氏を質問攻めにしてしまい、これまた温厚な中野九段から「池田さんがご飯食べられないじゃないですか」と軽く注意を受ける始末だった。
 だけど、池田さんはそんな私の質問のひとつひとつに信じられないほど丁寧に答えてくれた。私が「何年もかけて一つの作品に関わるとき、辞めたくなることはないですか?」と聞くと、池田氏は「いやあ、思いませんね。描くのは昔から好きですから」と真面目に、そして何でもないように答えた。
「スーツ?文化庁の面接の時、着たっけな?忘れたなあ...」
「影響を受けた画家?...居ませんねぇ...」
 そんなやりとりをしながら、私は自分がインタビュアーには向いていないことを自覚せずにはいられなかった。結局ここぞとばかりに池田氏の作風の特徴である気の遠くなるような緻密な作業のこと、あるいは画家としての人生論のようなものを暴こうと次から次へと質問をしたが、そんなことよりもなによりも、池田氏は中野九段と男親としての子育ての話や、マディソンで食べるべき美味しいものといったありふれた話題に一番嬉々として語っていたからである。

 だけどそんなこともありながら、この訪問は本当に素晴らしいひと時となった。この日、昼食を終えると、中野九段が日本から持参した津軽三味線を披露することになり、私は再び、贅沢な時間を迎えたからである。
 その午後、囲碁プレーヤー中野九段の手さばきによって、津軽三味線の音がなんとも言えない躍動感を持って、エピック傘下の町ヴェローナで響き渡った。ウィスコンシン州では珍しく湿気の多い、ねっとりとした暑い午後だった。だけど池田氏も奥さまも、興味深そうにじっと、食い入るように演奏に耳を傾けていた。考えてみたら、私達は不思議な因果で時を同じくしてウィスコンシン州に集まった日本人達だった。そしてそんな私達の血肉に、あるいはDNAに、この日、中野九段の演奏する津軽三味線の音色は熱く、私たちの心を奥の奥まで震えさせたような気がしたのである。