地獄のプレリム

8月5日
 考えるだけで心の奥が凍りついてしまうような、その名を口にすることが憚られるほどの「世にも恐ろしい心配事」というものがあるとするならば、マディソンに住むある人々にとって、それは間違いなく「プレリム」という名前を持つのではないだろうかと私は思う。
プレリミナリー・イグザム。
 通称プレリムと呼ばれるこのテストは、アメリカの大学の博士課程で広く行われる知力査定テストのことであり、この試験の目指すところは基本的に、「生徒たちの学力レベル維持」というポジティブな姿勢に違いなかった。だけどこの進級試験に落ちた者たちはすべからく退学を余儀なくされるのだから、この「プレリム」という言葉がどれほど恐ろしく、ある人々にとってネガティブな意味を持つかは想像に難くなかった。

 ウィスコンシン大学に戻り、博士課程一年目を終えたわが夫、白井君にもまた例外なくこのプレリムの洗礼の日が迫っていた。試験のやり方は学部によって異なっていたが、白井君の所属する学部の試験では、合格するチャンスが二度設けられていた(つまり、一度このプレリムに落ちても、もう一度再試験を受けることができた)。また、仮に二度目の試験に落ちたとしても、翌年にもう一度受けるという三度目の「本当のラストチャンス」がないこともなかった。だけど、翌年まで持ち越しにするとなれば、学費免除やTA(ティーチング・アシスタント)としての給与受給が一時的に解除されることになるので、私達家族にとって(あるいは多くの貧困学生にとって)、この翌年持ち越しのラストチャンスは、ほとんど無いに等しかった。試験科目は二科目。チャンスは二回。毎年博士課程に在籍する何人かの学生たちがこの試験に落第し、学部を去った。あるいはアメリカを去った。そしてその後の消息は不明だった...。
 だからと言ってはなんだけれど、マディソンでともに生きる白井君はがむしゃらだった。もし試験に落ちれば、この一年が全て水の泡になるのである。退学し、日本に帰り、少なくなってしまった貯金通帳を眺めてため息をつくしかない人生が待っているのである。36歳、志半ば、胸に抱いたその夢がここで潰えるのかどうかが、このプレリムの合否にかかっていたのである。
 セメスターが終わり、夏休みが始まってからも、白井君はもちろん一日も休まず図書館にこもりきりだった。毎日、私にパソコンを隠すように指示を出し、外部との接触を避け、集中力を高めていた。KindleもiPhoneも隠した。土曜日も、日曜日もなかったし、私たちは時差を使ってほんの少しでもお互いの時間を確保できるように、ずいぶん前から夕食を共にすることを辞めた(そうすることで、白井君が子供とご飯を食べている三十分、私は一日のうちで唯一のリフレッシュタイムを持つことが出来たのである)。この一年間、家族で出かける日は数えるほどしかなかった。もちろん、白井君が「勉強以外で出かける」ということもほとんどなかった。

 だけど悲しいかな、そんな努力もむなしく、六月末に実施された第一回目のプレリムに白井君は落第した。試験の数週間前から彼は眠れなくなり、二科目ある試験のうち、一科目を落としてしまったのである。二十五人いる同級生のうち、十人がこの一度目のプレリムの落第者となった。白井君はどうにか採点ミスを探して教授に連絡を取るなどの粘りを見せたが、落第の判定は覆らなかった。再試験は一か月後の七月末である。
 いよいよ家庭内にも不穏な空気が立ち込み、私の心もなまりのように重い日が増えていった。近所に住むローラから「秋にはパンプキン狩りに行こう」と誘われ、パントリーで働くクリスに「冬になったら孫のおさがりの服をまたあげるわよ」と言われる度に、私は自分がまだ秋以降もマディソンに居るのか分からないのだという不安から、うまく返事をすることが出来なかった。スーパーで塩を買おうとしても、「来月に帰国することになれば、無駄になるのではないか?」と思うと悲しくなることがあった。だけどそれ以上に、誰にも「来月帰国するかもしれない」と明るく打ち明けることが出来ないことも辛いことの一つだった。そんな不安すら、口にすることで現実になってしまうかもしれないと思うと、私はただただ怖かったのである。

 だけど泣いても笑っても運命は迫っていた。白井君はまた、二度目の試験に向けがむしゃらに毎日勉強し、さらには水泳を始めるようになった。食後、自宅のプールで十五分ほど泳ぐことで、驚くほど快眠を得られることを発見したのだと、あるとき彼は嬉しそうに言った(そもそも白井君は金づちだった)。だけどこのまま水泳を続ければ、試験前日に眠れないというあの失態を二度と繰り返さないだろうというわけである。病院で睡眠薬まで処方してもらいながら、白井君は来たる日のために毎晩、勉強したあと自宅のプールでせっせと泳いだ。
 試験前日ももちろん、祈るように白井君は泳いだ。夜が更け始めると処方された睡眠薬を服用したが、それだけでは足りず、市販の液体睡眠薬まで飲んだ。神経質に歩き回って、寝る場所を変えた。私にも「早く寝ろ」と指示を出した。そして結局、白井君はまた一睡もしなかった。決戦の朝、白井君は憔悴しきった顔で「不思議と疲れていない」という謎の言葉を言い残すと、私を不安にしたまま二度目の試験へと赴いていった。驚くべきことに、プールも睡眠薬多種服用も、この恐ろしいプレリムのプレッシャーに打ち勝つことが出来なかったのである。

 だけど今、私がこうして「プレリム」について言及し、その気ちがいじみた試験前夜について語ることが出来るのは、今朝がた、見事、白井君がその合格通知を授受したからに他ならなかった。
 張り詰めていた緊張が解けるのを感じながら、私達は再び、この地に留まることが出来る喜びに沸いた。辛かった。だけど報われたのである。そしてふと、毎晩海パンで家の外に飛び出していった白井君の姿を、私はきっと一生忘れないだろうと思うのだった。