アダプティッド・チャイルド

11月24日。
 カンバセーションパートナーになったアメリカ人のニコールには、クロエという二歳になる娘が居た。ニコールは父親の仕事の関係で幼少期を日本で過ごした経験があり、娘のクロエがいつも大事そうに持っているトトロのぬいぐるみを使って「オハヨウゴザマス」と日本語を交えた歌を歌う親日家だった。そんなニコールと私は少し前にひょんなことから知り合いになったのだが、ちょうどクロエが私の息子と同じくらいの月齢であることから、私の方からニコールにカンバセーションパートナーになってくれないか?と、持ち掛けたのが私達の関係の始まりだった。英語は使わないとすぐに話せなくなってしまう。だけどニコールなら、うちで子供同士を遊ばせながらフレキシブルにパートナーを組むことが出来る。ニコールは仕事をしているのでその合間、月に一、二回ほどで良い。出会ってすぐにもかかわらず私がそう提案すると、彼女はすぐに快く引き受けてくれ、私は新しい形でニコールとカンバセーションパートナーを組むことになったのである。
 そうしてパートナーとなったニコールは、実はキリスト教の教会で週に何度かバイブルのクラスを担当している聖職者だった。旦那さんも同じように教会で働いているという彼女は、大学時代に社会正義という分野を専攻していたため、アメリカが抱える社会問題や差別、貧困などの問題にとても詳しく精通しており、彼女と話しをするのはとても刺激的だったのだが、さらに私の興味を引いたのが、彼女の娘のクロエはどこからどう見ても黒人だということだった。ニコールが白人なので、私はずっとクロエの父親が黒人なのだろうと思っていたのだが、ある日、会話の中でニコールが「この子の産みの母親が...」と言ったことで、私はようやくクロエが養子(アダプティッド・チャイルド)であることを理解したのだった。

 日本では出会うことはなかったが、養子(しかも肌の色が違う子供)を持つ人に出会うのは語学学校のベス先生に続き、ニコールが二人目だった。ニコールの場合は、自分が子供を産むことができないと分かった時点で養子を迎え入れることを考えていたそうだが、数ある養子縁組のタイプの中でもニコールの場合は、違う州に住む白人の母親から依頼を受けて引き取ったのだと彼女は教えてくれた(ちなみに、クロエが黒人なのは父親が白人と黒人のハーフだからだそうだ)。
 ニコールは、自分とクロエの産みの母親との関係は"非常にオープン"なのだと言いながら、近年、アメリカでかなり深刻な問題になっているオピオイドという麻薬系鎮痛剤の依存症について知っているか?と私に尋ねた。もちろん私はそんな薬物依存症については知らなかったが、このオピオイドは去年トランプ大統領が非常事態宣言を行うほど、アメリカでは社会問題になっていると、ニコールは丁寧に教えてくれ、クロエの母親も同様にオピオイド依存症患者であり、子供を育てることが出来ない状態だったのだと私に言った。
 ところで、こうした薬物依存症の母親にはすぐに行政が介入することがあった。だからクロエは生まれてすぐに、行政の手によって母方の親戚に養子に出されることになったのだという。しかし、このように半ば強制的に親戚の家に養子に出されるとなると、ことは一筋縄ではいかないことがあり、クロエの母親もまたこのような形でわが子が親戚の手に渡ることを潔しとしなかった。クロエの母親は、なんらかの理由で、クロエを親戚の家に養子に出したくはなかったのである。そうなると母親が取った最後の手段は、子供を親戚に取り上げられる前に、自ら養子に出してしまうという方法であり、クロエの母親は膨大な登録リストの中からアダプト先としてニコール夫婦を選び出し、ある日、ニコールのもとにエージェントから連絡が入ったのだった。
「もちろん、そのことに関しては、私たち夫婦は何度も話し合ったわ」
 数ある養子縁組のシステムの中で、選出されて子供を引き取ることになったニコール夫婦も、もともと養子が欲しかったとはいえ考えなくてはいけないことが山ほどあったとニコールは語った。だいたいクロエはクォーターとはいえ、見るからに黒人だった。社会正義について人一倍詳しいニコールである。「クロエのことは心配していない」と言いながらも、彼女はアメリカにおける社会問題の現実をよく知っていた。悩みながら、だけどニコールは何度も夫と話し合った末、ついにクロエをアダプトすることにしたのである。

 私よりもいくらか若いニコールのこのいささかシリアスな人生の選択の話を聞きながら、私は即座に「すごいね」などと感想を述べることが出来なかった。もちろん養子を持つことのアメリカでのシステムはいろんな意味で素晴らしいことだと思いつつ、馴染がない分、自分の中ですんなり飲み下せるテーマではなかったし、自分が養子を持てる立場だったとしてそうした決断を下せるのかどうか自信がなかったのである。

 だけどそんなニコールとシリアスなカンバセーションをしながら、私はふと、ある母親の事を思い出していた。
その母親とは週に一度行くコミュニティセンターで出会ったのだが、ちょっとしたきっかけで話しをしていた時のことだった。彼女はとても屈託なくフレンドリーで、私たちは初めて話をするにも関わらず楽しく歓談していたが、実はそんな彼女にはアリスという重度の障がいを持つ娘が居た。しかも彼女の携帯電話にはひっきりなしにこのアリスに関するセラピーから電話がかかってくるので、私たちは何度も会話を中断しなくてはならないほどだった。だけどそんな切れ切れの会話を続けていた時、その母親は突然何でもないことのように、ふいに私に「養子を持ちたい」と話し出したのである。

 私が驚いたのは言うまでもなかった。三歳になるアリスはいまだに一人で歩くこともできずに私達の足元に寝そべっていたし、そうでなくてもアリスの上にはもう一人息子が居て、彼女は既に二児の母親だったのである。ただでさえ養子を貰うのには莫大な費用がかかるし、二人も子供が居て、しかも一人は障がいを抱えているというのに、なぜ三人目の養子を欲しいと思うのだろうか。私は咄嗟に「へぇ」と分かったように頷いてみせたものの、このときほどこのアリスの母親に驚き、共感出来なかったことはなかったのである。

 だけど今、こうして身近にニコールの話を聞いていると、私はもしかすると彼女たちの「子供を育てる」という概念そのものが、私が思い描いていたものとで大きく異なるのかもしれない、と思うようになっていた。
 アメリカでは子供は十八歳を過ぎると家を出るのが慣例である。もう一人前なのだから自分ことは自分でするように育てられ、子供たちは社会に解き放たれる。日本のように家や血縁関係、あるいは同居などのしがらみが少ないので、彼らは「跡継ぎ」という形で養子を望むことはほとんどなかった(むしろ彼らは「跡継ぎ」という日本の概念に驚いて見せたくらいである)。
 だから、育てられる人、育てられない人がいる多様性の中で、彼らはただ個人のエゴが一切介入しない、全く別の次元で「子供を社会の中に送り出す手伝い」という子育てに従事しているように思えたのである。

「たいてい養子をもらう家庭は裕福だから、そう言う意味でも親元を離れて養子に出されることは良いことだと思うよ」
アメリカ人のトニはそう私に言ったことがあった。
 もちろん、そうなるまでにはニコールのようにたくさん悩みながら取り組む人も居る。だけどそれは今、「社会奉仕」とか「慈善活動」とか、そういう薄っぺらい言葉に変えるにはあまりにも大きな愛の活動に私には感じられた。そしてだからこそ、ニコールやアリスの母親のように、並々ならぬ決意で生まれ落ちた命を引き受けようとする人達の居る世界と居ない世界の在り方について、強く考えさせられたのである。