血を売りたい

11月4日
 それは二週間ほど前の出来事だった。ダウンタウンでハロウィンのイベントがあったので、そのついでに語学学校へ遊びに行った時のことである。
私はこの頃ずっと気になっていたアメリカ人の血液型に対する無頓着ぶりを引き合いに、フロントデスクで働くタイ人のプンとお喋りに興じていた。日本では血液型を知っていることは当たり前のことだったし、それによって性格診断を信じている人が多かったが、アメリカではほとんどの人が自分の血液型を知らなかったからである。だから、この日もプンが自分の血液型を「忘れた」と言い、アメリカ人のマイケル先生も「知らない」と答える度に笑い、スタッフのエミリーが、「自分はO型だったはずだ」と答えると驚いたりしていた。(ただ、エミリーは日本で働いたことがあり、その時に日本の書類に記載する必要があったために、アマゾンの血液型判定キットを10ドルで購入して自分で調べたのだという。)
だから、アメリカ人のほとんどが自身の血液型を把握していないことが興味深かったし、実際、私もマディソン生まれの息子の血液型を未だに知らずにいた。子供が生まれた時に血液型を聞くと、ドクターからは「輸血が必要なときは、その直前に血液型を調べるから心配しなくていいのよ」と言われ、「それ以外に、今この子の血液型を知りたい特別な理由があるのか?」と不思議そうに聞かれたので、そう言われるとさすがに「性格診断のため」と答える勇気がなく、私はそのままずるずると子供の血液型を知らずにこの二年近くを過ごしていたのだった。
 
そんな話で盛り上がっていた時のことである。たまたまアハメが通りかかり(アハメには本当に良く会う)、何を盛り上がっているのだ?と聞くので、私はさっそく「自分の血液型を知っているか?」とアハメにも尋ねてみた。すると、意外にもアハメは自信たっぷりに「もちろん、僕はO型だよ」と即答して周囲を驚かせた。
 「なんで知ってるの?」
 私が尋ねると、アハメは「大事だから」と当たり前のように答える。
 「もしもの時のために知っておくのはとても大切なことじゃないの?」
そう至極真っ当なことを言うと、「僕はよく献血に行くんだ。プラズマとかね」とアハメは言った。
 「プラズマ...」
私はアハメが何を言ったのか分からなかったが、エミリーは「それ、時間かかるやつでしょ?」と聞く。するとアハメは頷きながら、「だけどお金がもらえるし、人の役に立つし...」と続けたのだった。
 「お金?」
 私が叫ぶと、二人はそんな私を振り返りながら、「献血するとお金がもらえるんだよ」とさらに私を驚かせ、アハメは「でも僕はお金はもらわないよ!人の役に立ちたいだけだから」と、うそぶいたのだった。
 
 プラズマ、献血、お金...。
私はその日、家に飛んで帰ると、さっそくこの三つのキーワードをもとに、アメリカでは今も民間血液銀行(プラズマセンター)で成分献血をすることで20ドルから40ドルの現金を受け取ることが出来、しかもその成分献血は普通の献血とは違いプラズマという血漿を採取して血液を戻すため、二日ほどで再び献血をすることが可能である、という衝撃の事実を知ることになったのだった。報酬は地域によって異なるが、ウィスコンシン州は40ドルとも書かれている。一回40ドルで週二回血を抜くことが出来るとすれば、週に80ドル。ともすれば、一か月で320ドルの副収入を得ることが出来る計算になる...。
はやる気持ちを抑えながら、気が付くと、私は家から一番近いマディソンのプラズマセンターに電話をかけていた。電話口では聞き取りにくい英語を話す男の人が、「プラズマセンターでの献血には予約は必要ないこと」、「初回は検査をするので二時間ほど時間がかかること」などを手短に教えてくれたので、私はドキドキしながら、「必要なものはありますか?」と、聞いた。
すると、そんな私に対し、電話口の男の人は快活にこう答えたのだった。
「免許証を持って来ればいいよ!」

これが二週間前の出来事である。
かくして、この日から私の売血へ向けての、自動車免許取得の猛勉強が幕を開け、その二週間後の金曜日に筆記試験をパスして仮免許を取得するに至ったのだから、私のこの売血にかける思いは並々ならぬものがあったとしか言いようがない。そもそも、こんなに早くに免許の勉強をする予定ではなかった。白井君に何度せっつかれても、国際免許証の有効期限が一年間あるのを良いことに、春になってから始めようなどと呑気なことを考えていた私である。
だけど月に320ドルの副収入が夢物語ではないとなると、話は違うのである。この二週間、私は毎晩、売血が出来た暁には電車が好きな息子にブリオのオモチャを買ってあげるのだと白井君に熱く語り、何か欲しいものがあると、頭をよぎるのは「売血」の二文字だった。アハメではないけれど、「人の役に立ってお金がもらえる」のだったら、これがよく聞く"ウィンウィン"の関係ではないのか。アメリカンドリームではないだろうか...。

そんなことを考えながら久しぶりに驚異的に勉強をし、晴れて仮免許を取得した次の日のことである。
土曜日、そのピカピカの仮免許をひっさげて意気揚々と訪れたプラズマセンターで、私はそもそも自分がソーシャルセキュリティ―ナンバーを持っていないので、『そのナンバーの記載のない免許証を持参しても意味がない』という根本的な事実を知るに至った。とどのつまり、私という人間はそもそも「就労できないビザの関係上、売血もできない身分」だということを、今更ながらこのプラズマセンターで知ったというわけである。
ものの三分で門前払いを食らいながら、私は出来たばかりの仮免許を持ったまま、ショックで呆然とせずにはいられなかった。思い描いていた夢の売血業への道が閉ざされたという現実を、しばらく受け入れられずにいたのだった。