生きるヒント

9月7日。
本格的な節約生活が始まったが、始まってみると質素な生活もなかなか悪いものではなかった。そもそも、私たちはもともとの交友関係をフル稼働し、台所用品のほとんどを無料で譲り受けて初期費用を少なくすることに成功し、ダイニングテーブルもテレビも掃除機もラックも買わないで済んだのだから、始まりは上々だった。日々、外食はしないとか、無駄なお金は使わないという当たり前のことを意識するところから始まって、私たちは毎日、これまでの生活態度を反省しては悔い改めて暮らしていたので、そうやって模索を重ねていると、早くも清貧への道が開けてきたように感じていたのである。

その証拠と言ってはなんだが、白井君はここのところ目に見えて痩せていっていた。日本では中性脂肪がやや高めという健康診断の結果を持つ健啖家だったので、白井君がこの節約生活が始まって以来10日余りで早くも五キロの減量に成功したのは、実に喜ばしいことだった。明らかに肉の落ちた体を眺めながら、白井君はちょっと興奮しつつ「節約生活ってすごいな!」と悦に入っていた。その上、彼はいつも空腹で目が覚めるらしく、そういう時の朝ごはんもとびきり美味しいのだという。無駄な間食をしていた頃には気付かなかったことである。
私はというと、白井君ほど痩せることはなかったものの、節約生活が始まって以来、白井君が大学で提供されたクッキーやブラウニー、コーヒーやピザなどをこっそりカバンにしのばせて持ち帰るのを楽しみにしており、そうしたお土産にささやかな幸せを感じるようになっていた。加えて、ウィスコンシン大学では生徒が運営しているオープンシートという制度があり、それに登録すると週に一度、物資配給のようにさまざまな生活用品や食料品を無料で受け取ることが出来たので、それらの品々にも心を躍らせていた。
配給日の初日を迎えた先週、帰宅した白井君のカバンから次から次へと取り出された戦利品を見て、私はその多さにいくらか驚きもした。トマト缶、パスタ、スープ、コーン、石鹸、シャンプー、髭剃り...すぐに使えるものばかりだった。そうでなくても、キャンパスの近くにある教会では毎週、苦学生のためのディナーやランチが提供されていたり、近所のスーパーでは12歳以下の子供には毎日無料のフルーツやクッキーが提供されるサービスがあって、そのサービスにいちいち感激するので忙しかった。しかもその全てが、前回の滞在では気付かなかった発見ばかりだったのである。

素晴らしいことは他にもあった。ウィスコンシン大学は、私たちのように子供連れの低所得世帯のため、託児所を1セメスター(9月から12月末まで)50時間まで無料で利用できるサービスを行っており、これは大いにあり難いサービスだった。子供の教育という面では、地域ごとに週に一度、"Play and Learn"と言って遊んだり、学んだりできる児童館のような場所もあったし、教会などでは子供のための簡単な歌のプログラムなどもあった。図書館の子供コーナーでは、立派なBRIOの電車のオモチャやレゴ、何台ものiPadが置かれてあり、それらを使って子供たちはいくらでも自由に遊ぶことが出来た。いくつかの無料で利用できるミュージアム、動物園、二歳以下までなら無料で使える室内遊具場、公園、コンサート、映画館...探せば探すほどに、マディソンではお金を使わずに楽しめるサービスがたくさんあり、その充実ぶりには目を見張るものがあったのである。

韓国人のセオンは、6か月になる子供のいる主婦友達だったが、「ここに暮らす人は全員お金がないんじゃないの?」と私に向かって言ったことがあった。彼女もまた私と同じような境遇で、旦那さんのわずかな大学の給料で生活をしている世帯だったのである。だけど「お金がなくて...」と暗い顔で言う私に向かって、彼女は「そんなことは当たり前」だとさらりと言った。トム先生も「学生というのは貧乏なもんだ」と言ったことがあった。みんなギリギリの中で暮らしているのだ、と。だいたいマディソンはウィスコンシン大学で栄える学術都市である。世界中から様々な事情の人材が集まってくる。そしてだからこそ、気付いてみるとここではそういう人々が生きていくための、たくさんのヒントがあちこちに隠されているように思えたのだった。