月別アーカイブ: 2016年10月

ダラルの恋

 10月14日。ずっと仲良くしていた台湾人のジエルが一年間の語学留学を終えて台湾にいよいよ帰国することになり、サウジアラビア人のダラルが、急きょ続けざまに私を誘ってディナーやお茶会を提案した。友情を重んじるダラルは授業をサボってまでジエルのために時間を作ることにし、お茶に行く前にそのことを丁寧にジム先生に断りに行った。「ジエルが最後だから授業には出られません」とダラルがきっぱり言うとジム先生はぽかんとして「今日の成績はゼロになるけどいいの?」と聞いたそうだが、ダラルは憤慨して「いいです!ジエルが最後なんだから!」と言って教室を出てきたそうだ。そしてダラルは自分の車に私とジエルを乗せると、あらかじめ決めていた台湾カフェ(ジエルは台湾に帰るのに。)へと私たちを連れ出した。

 学校で仲良しの二人とはいえ、外でゆっくりと話したことはなかったので、私は今までダラルがサウジアラビアの大学の教授だということを、こうしてしっぽりお茶をするまで知らなかった。それにダラルがPhDを取得するための難しい奨学金を得ているということも知らなかったし、それは他のサウジアラビア人のティーンの奨学金とは違った種類の奨学金で、月に2500ドルが得られるもの、一年半は語学学校で過ごせるものなのだということを初めて知った。だから、実はこの夏、サウジアラビアの政権が変わったことでこれまでサウジアラビア人のティーン達が大量に留学できていた奨学金制度がすべて打ち切りになり、のらりくらりと語学留学に来ていた彼らが夏の間にこぞって帰国してしまったのに対して、彼女は今期もマディソンに残って引き続き勉強が出来ているのだそうだ。その上彼女には月々、大学教授としての給料1500ドルが入ってくる。シングルマザーで大学教授で息子二人を育てながら勉学にいそしんでいるのだというダラルの知られざる身の上話に、私もジエルもとても興味津々に聞き入っていた。

 ダラルの話は、結婚話にも飛び火し、ダラルの子供たちの父親であり前の夫である人は、彼女の従兄弟なのだそうだ。そしてサウジアラビアでは、結婚をするとき親族全員にお伺いを立て、家族全員の了解が得られなければ結婚できないのだとダラルは教えてくれた。だけど、そこはサウジアラビア人である。たいてい結婚に反対するとき「辞めた方がいい」とは思っていても、そんな否定的なことは決して口にしない。ただ、「分からない。私には何も言えない。」と言えば、それは直ちに「結婚反対」の意思表明となり、その結婚は破談になるのだそうだ。「離婚したら女の人も再婚出来るの?」と私が聞くと、「何十回でも出来るわよ。」とダラルは言う。そして「私、再婚したいのよ。」と言って豪快に笑うと、実はアメリカに居る間に二人の男の人に告白をされたのだと打ち明けた。

 私とジエルが色めきたったのは言うまでもない。そして、ダラル自身、珍しくその浅黒いエキゾチックな頬をほんのり紅く染めながら、一人はイラン人で今乗っている車をダラルに譲った人で、もう一人は黒人のアメリカ人のムスリムなのだと言った。二人とも美人のダラルの事を好きになったそうだが、ダラルは親戚が反対するのは分かっているから、どちらとも結婚することは出来ないと伝えたと言う。サウジアラビア人以外の国の人と結婚するなら、アメリカ人の白人かヨーロッパ人の白人のムスリムでなければ必ず反対されるとダラルは言う。ジエルが試しに「黄色人種は?」と聞くと「ノー」とダラルは即座に言う。「こっちに居るサウジアラビア人の男の人はどう?」と私が聞くと、「一人、バツイチで子持ちの男の人がいるけど…」とダラルは言った。「友達よ。」そう言うと、ダラルは携帯に入っている一つの画像を私とジエルに見せてくれた。

見ると、ヒジャブを身に着けたエキゾチックで目元の涼し気な男性が写っていた。どうやらこの人がそのバツイチのサウジアラビア人のようだ。「ハンサムなんじゃない?この人」と私が言うと、「ハンサムだと思う」とダラルは言い、「ただの友達」だともう一度強調してから「彼は娘が居るからいろいろしてあげたくて、私は買い物とか手伝ってあげているだけなの。」とポツリと言った。聞いてもないのに「私は愛してないわよ。」とまでダラルが言うので、試しに「この人がダラルに告白したらどうするの?」と私が聞くと、ダラルははにかみながら「結婚する。」と迷うことなく言ったのである。

 「だけど、私は愛してない。だって、分かるでしょう?私たちの国では女の人からそんなことは言えないし、思うこともないの。もちろんこの人が結婚しようって言ったらするけど、私からは何も言わないし、思うこともないの。」私とジエルが顔を見合わせていると、「私は愛してないし、ただの友達。」とダラルがまた言った。「だってこの人は、いつも自分の娘のことばかり考えているんだもの。電話してもメールしても娘のことをいつも考えているもの…。でも、ただ私は手伝ってあげたいからイスタンブールマーケットに一緒に行ったりしてあげるの。夫婦以外の男の人と歩くのは誰が見てるかわからないから、私たちは夫婦のフリをして、手をつないでイスタンブールマーケットに行くの。ただそれだけ。」私もジエルもそれ以上、何も言わなかった。日本ではそれを『恋』と呼ぶことがあるのだけれど、ダラルはきっとそれを認めないだろう。台湾人のジエルの送別会だったのだけど、その日は思いがけずダラルの、サウジアラビアの恋愛事情を聞くお茶会となった。

初めて銃を撃った日

 10月9日。「アメリカに居るのなら、鹿狩りをするのもいいよ。この時期、僕もよく行くんだ。」と、タイ人のパニカのボーイフレンドのトニが言った。トニはアメリカ人だ。それを横で聞いていた同じくタイ人のプンの旦那さんでアメリカ人のケビンも、ビールを飲みながら「そうだ、アメリカと言えば銃だからね。なんなら一つ自分の銃を買ったらいいよ。」と冗談めかして私に言った。私が驚いていると、トニも笑いながら、「そうだ、買うといいよ。アメリカに居る間にしか出来ないんだから。簡単だよ。」と言って、ガールフレンドのパニカにウィンクしながら、「君もやりたかったらいつでも教えてあげるよ。本当に。」と甘く囁いた。なるほど。と、私は思う。日本で銃を撃つ機会なんてそうそう無いだろう。

 今まで深く考えたことはなかったけど、ここは銃社会だ。その日のそんなちょっとした会話で「銃」というものになんとなく心惹かれた私は、さっそく次の日、毎年秋に家族で鹿狩りを楽しんでいるトム先生に「どこで鹿狩りが出来ますか?」と質問をしてみた。トム先生は一瞬きょとんとしてみせ、おもむろに「まず最初に、」と言った。「君は銃を持ってるの?」私が首を横に振ると、「次に、」とトムが続ける。「鹿狩り用の特別なスーツを持ってる?」「ノー」と、私。「それから鹿狩りのライセンスが必要。あと、鹿狩りの出来る公園を所有している知り合いを持つか、そういう公園を探さないといけない。幸い僕にはその知り合いがいるから毎年行くんだ。これらの条件をクリアしたら行けるよ。」と言った。そんなに条件があるなんてトニは言ってなかったぞ、と私は思いながら、少しがっかりしていると、そんな私を見ながら「真面目な話。」とトムは言った。「鹿狩りほどつまんないものはないぜ。」というのも、鹿狩りというのは、明け方の寒い時間から出かけて何時間もただ鹿を待つだけだからだそうだ。その果てに、たった5分、獲物をしとめるたった5分のエキサイトする時間があるのだという。時に、獲物を追い込むこともあるけれど、鹿狩りというのは基本的に長時間、無言でじっとしているという男のゲームなのだ。「だから、銃を撃ちたいだけなら、シューティングセンターに行けばいいよ。」

 というわけで私は週末、秋の気配を感じる行楽日和に、マディソンの家から車で一時間少し、マディソンとミルウォーキーの間に位置する“マックミラースポーツセンター”へ朝から訪れる運びになったのである。気持ちの良い秋晴れの日である。シューティングセンターを目指す車の車窓からは、アライグマのラスカルの舞台であるウィスコンシンらしく、美しい川や湿地帯、牧場やトウモロコシ畑というのどかな風景が次から次へと流れては消えていった。併せて、道の悪いガタガタの高速道路には、数メートルおきに車につぶされたリスの死骸も転がっており、ときどき狸や鹿といった大物の死骸が倒れているのも目にした。それらの流れていく死骸を横目で見ながら私は、鹿狩りなんて簡単にやりたいとトムに言ってはみたけれど、よく考えるとトムは仕留めた鹿を家に持って帰って食べるなりなんなりするのだろうなと思い至り、私には到底できる業ではなかったのだなと、鹿狩りそのものへの諦観を強くした。

 ともあれ、野外のシューティングセンターは大盛況だった。私たちのような初心者はほとんどおらず、集う人々はおのおのの自慢の銃を持参しており、ちょっとしたゴルフの打ちっぱなしのような感覚で撃ちまくっているのである。すでにそこら中で銃声が鳴り響いている。本物の銃声を聞くのも初めての私は最初、すっかり縮み上がってしまった。だけどここまで来たのだからと受付に行くと、銃を持参していないということで、センターから銃を借りて使い方をスタッフに簡単に教わることが出来た。銃を借りるにしても簡単なサインとドライバーズライセンスを預けるだけで事足りるのだから、改めて銃を持つことに対するハードルの低さに私たちは驚いた。一番簡単な銃の使い方を10分ほどで解説してもらうと、そのまますぐに実践である。「一番大切なポイントは何か分かる?」とスタッフの人が私たちに質問をする。「的をよく見ること?」と白井君が言うと、「違う」と彼は即座に言った。「一番大切なのは、銃口を人に向けないことだ。」

 結論から言うと、シューティングは怖かったけれど、楽しかった。50発分の弾丸を買ったものの、私も白井君も二人で30発撃てばもう満足で残りの銃弾を持ってそそくさと引き上げたのだが、弾さえ購入し続ければ、何度でも撃ちっぱなしで遊ぶことが出来た。耳栓をして透明の眼鏡をして、的に向かって撃つだけのことである。すべてのブースがいかつい大人の男たちで占領されていて、それぞれがそれぞれ撃ちたい銃を撃ちたいスタイルで撃っていた。私はブースに入って初めて撃った時、頬を殴られるような衝撃が走るのを感じた。どーんという銃声とその重い衝撃、そして危険なものを持っているということへの恐怖がいっぺんに体の中に沸き起こり、アドレナリンが出るのを感じた。だけど一方で背徳感や危険なものへの密かな憧れ、あるいは闘争心のようなものも解放されたのも事実である。だから私は初めて、銃というものの魔物性を知ったような気がしたし、また撃ちに来てもいいなと言う感想さえ持ったのである。不思議な体験だった。

妊娠にまつわるエトセトラ

 9月29日。「いったいどこに赤ちゃんが居るの?七か月だなんて信じられない。ちょっと立ってみんなにお腹を見せなさい。」ベス先生が朝一の授業で、私を立たせた。「本当に妊娠してるの?鳥の子?猫の子でも入ってるんじゃないの?」みんな笑っている。まあ、確かに妊娠中期も終わりだというのに、私のお腹はあまり目立たない。これでも妊娠前に比べて五キロ太ったのだが、それでも人からは「ベビーはどこにいるの?」とよく冗談を言われる。この語学学校には、私を含めて今、妊婦が三人いるのだが、私以外の二人はどちらもすでに臨月かと思うほど大きなお腹で学校に来ている。が、私はバスに乗っても席を譲られることもなく、自分で「実はね、妊娠してるの!」と言わないと、誰からも相手にされないのが現状なのだ。だから週三日の朝一で上級のグラマーを教えてくれているベス先生はいつも何かと私のお腹にイチャモンをつけてくるのだが、それでもいつも「ベビーは元気?」と言わない日はない。そしてしまいには私のお腹をまじまじと見つめて、「胴が長いんじゃないの?」と言ってくるのだ。

 だけど、私から言わせると、アメリカ人は全員妊婦みたいだ。自分が妊娠しているせいで、街を歩く妊婦がとても気になるようになったのだが、最初の頃は、誰もかれもが妊婦に見えることがあった。70歳くらいの白人のおばあちゃんでさえ、バスケットボール一個分ほど前に突き出たお腹を揺らして歩いているので、何度も振り返って「あの人は、妊婦なのだろうか?妊婦じゃないのだろうか?」と首をひねったものだ。そんなことは妊娠する前は考えもしないことだった。語学学校のフロントデスクで働くタイ人のプンにそう言うと、「アジア人はやっぱりどうしてもそうなるのかもね。」と言って共感してくれたのだが、その後、私がカフェラテを飲んで歩いているところを目撃すると、「だからお腹が大きくならないのよ!」とすごい剣幕で怒った。(ちょっと飲んだだけなのに。)そして「もっと食べろ、食べろ」と言う。プンの提案は「毎日牛乳とチョコレートブラウニーを食べること」だった。特にプンの牛乳信仰は厚く、夫のケビンは毎日牛乳とブラウニーを食べているから、大きくなったのだそうだ。(ケビンはただの巨漢に見えなくもない。)

サウジアラビア人のダラルは、もちろんかいがいしくデーツを私のために持ってきては、「妊婦はだいたい三つは食べるのよ。」と言って机にデーツを三つ、置いて帰る。コロンビア人のフェリペはまだまだ若いティーンの男の子なので、妊娠が発覚してからというもの私に出くわすといつもモジモジして「とにかく、おめでとう…。」と照れ臭そうに言うようになった。しかし、毎回毎回妙に堅苦しくそんなことを言ってモジモジするので、私がそのことを笑ったら「周りに妊娠してる人っていないんだ。」と言い訳をした。(ティーンだから当たり前な気もする。)そして「いや、四人は今まで会ったことはあるけど…。とにかく気を付けて…。」と逃げるようにしてどっかへ行ってしまった。ジュディー先生は、私が皆に「もっと食べろ食べろ」と言われて落ち込んでいるのを見かけると、「病院の先生が大丈夫って言ったのなら、気にしなくていいのよ。」と慰めてくれた。「なんで皆がそう言うのか分かる?」ジュディー先生は言う。「それはね、ジェラス(嫉妬)なのよ!」ジュディー先生のこの慰めは思いがけなかった。先生に言わせると、誰もが細いことを実は妬ましく思っているのだそうだ。優しいジュディー先生…。でも実は彼女は歩行困難なほど太っていたので、私はとっさに返す言葉が見つからなかった。
 
 そんな中、日本人の友人からは、よく「海外で出産することは不安ではない?」と聞かれることがある。それから、「アメリカだったら無痛分娩になるのか?」ということもよく質問される。不安かどうかはさておき、私もアメリカなら無痛分娩以外選択の余地はないと思っていたのだが、アメリカ人と結婚している友人にその話をすると、彼女の旦那さんの妹が最近、カリフォルニアで自然分娩で子供を出産したのだと教えてくれた。もともと“意識が高く”、“健康志向”の強い義妹だったそうだが、今回の自然分娩に対して、彼女は“最先端の医療”だと語ったそうだ。だけどそういえば、イギリスで結婚した私の友人もまた、ここ最近、自宅に簡易プールを作ってそこで無料で水中出産をしていた。私が「何故そんなことを?」と驚いていると、十年以上もイギリスで暮らしている彼女は、「自宅出産も水中出産も割と最近は一般的よ。イギリスの出産事情はとても“進歩”しているからラッキーだったわ。」と私に語ったのである。病院の一室で自然分娩をしたり、自宅で水中出産をすることが、“進歩的”で“最先端”な出産なのだとすると、アマゾンの奥地で出産する原住民たちは、それこそもう最先端中の最先端医療を駆使した出産ということなのだろうか。そんなことを考えながら、私は三か月後の出産を控えつつも、まだまだ身軽に学校へ通う日々である。