月別アーカイブ: 2015年8月

マリアと私と最終日

 8月21日。気付けば、語学学校も今日で終わりである。私の通う語学学校は二か月ごとのワンセッションになっていて、今日で7月、8月の夏のセッションが終わった。ここの語学学校はワンセッションごとで授業を受けて、最終日にファイナルテストを受けて終わりだ。その後は次のレベルへ進む子もいれば、進まないでそのまま帰国する子もいるし、それは一人ひとりの事情によって異なっている。大好きだった中二病のトリスはセッションの途中で帰国してしまったし、アラブ人のおしゃれなメシャールも帰国する。モンゴル人のサラは来月からシカゴで新しい生活を始めるし、中国人のジェニスやキャサリンは、アメリカのハイスクールへ進むために違う土地へ去って行った。私は引き続き9月から一つ上のレベルのクラスを三つ受ける予定である。
 
いずれにしても、いろんなところで別れを惜しむ声が聞こえる。私もいつの間にかそんな輪に入り、帰国してしまう彼らに「keep in touch!(連絡してね)」などと叫んで、写真を撮り合ったりしていた。コロンビア人のマリアはしょっちゅう抱き付いてきて可愛い。彼女はクラスのリーダー的存在で、女王蜂のようにクラスに君臨しているのだが、その実、一人ひとりに対してとても愛情深く接する21歳の女の子だ。

マリアとは、ちょうど何週間か前に一度同じバスに乗り合わせたことがあった。セッションも後半に入っていた時期だったので、肉体的にも精神的にも私はすこし疲れていて、隣に座った女王マリアに「ホームシックにならないのか?」とその時に質問をした。しまったと思ったときは遅く、みるといつの間にか隣に座るマリアの目からぼろぼろと涙が零れ落ちた。いつも女王のようにクラスに君臨していて、真面目で頭のいいマリアが泣き出したのである。そして、彼女は「もちろん、ホームシックでさみしい。」と私に心細そうに言った。聞くと、彼女は12月まであと2セッションを終えるまでは、コロンビアへ帰国できないとのことだったのだ。英語を勉強し、あと二つレベルの上のクラスを卒業してから帰国し、英語を使う仕事に就くのが夢なのだ。ただ問題なのは、今コロンビアにいる彼氏と何やらごたごたしており、とにかく一刻も早く帰りたい気持ちで毎日過ごしていたのだという。

バスに揺られてすすり泣くマリア。そんな彼女を慰めながら、「私もホームシックだよ。」と言うと、すかさずマリアは「あんたには旦那がいるじゃない。」とぴしゃりと言ってまた泣いた。「マリアにもビクトルがいるよ。」と同じコロンビア人の男友達の名前を出してみると、今度は嘲笑の混じった泣き方で「ビクトル?あんなの、ただの友達でしょ。」とマリアは言った。気の強いマリアは泣いていても強かった。私はなすすべもなく、とりあえず慰めたり、慰めるのをやめたりしながらバスに揺られていると、語学学校への留学生活を謳歌しているように見える彼女たちも一人ひとりいろいろな思いがあって、いろんな事情を抱えているのだなという当たり前のことに思い至ってなんだか少し切なくなった。私だって単純に毎日が楽しいばかりではなかったけれど、それでもマリアからしたら、気楽な主婦に見えていたのかもしれない。

バスが私の住むアパートに近づいてきた。「うちは近いから、さみしくなったらいつでも遊びにきていいよ」と言ってみると、やっとマリアの顔に笑顔が見えた。「もう降りるね」と立ち上がろうとすると、マリアが「それにしても、」と言った。「あんたの旦那さんっていつもシリアスそうに歩いてるよね。」それから今度はもっと悪戯っぽく笑いながらこういった。「あんたはあんたで、なんかいつもファニーだし。いったいどうやって恋に落ちたわけ?」爆笑しながら手を振るマリア。やはり、言うことは言う女だ。

思えばその日からである。マリアは放課後、私をよく探すようになった。授業後トイレに行こうとしては、「SEIKO! Where are you going?」とくる。私がこれから図書館に行くと言っては、「私も行くわ。」と言って付いてくる。来たら来たで早く帰りたがるし、なかなかのわがまま娘だったのだが。いずれにせよ、そんな彼女との下校すらも、今日でとりあえずはいったん終わりというわけである。二か月の興味深い学園生活。振り返ると、なんだかとても楽しい毎日だったように思う。

嵐の夜に

 8月19日。学校の近くの人気のピザ屋でピザをほおばっている。昨日、マディソンは嵐のような雨に見舞われた。洪水のように道路に水があふれ、落雷の音が鳴り響いた夜だったが、一夜明けて今朝はすっかり空気が冷たく、秋のような寒気が町中を駆け抜けている。アラブ人のメシャールは半そでのTシャツにマフラーを巻いているし、私もすっかり秋服を来て登校している。恐ろしい雨から一夜あけて、変わったのは季節だけではない。私の体調もピザを食べられるほどまで回復したのである。
 
 昨晩、どしゃぶりの雨の中、私はついに喉の痛みに耐えかねて病院へ向かった。家からバスで15分ほどの総合病院である。ずっと病院へ行くことを敬遠していたけれど、ここ一週間で再び扁桃腺が腫れてしまい、毎日ろくにご飯も食べられず水を飲むのもままならない状態が続いており、もう限界だったのである。

 ホテルのチェックインカウンターのようなところで、保険証を見せて登録を行い、症状を伝える。なぜか足の折れた女性が快く受け付けてくれた。30分ほど待合室で待っていると、「Mrs.Shirai!」と呼ばれて、診察室に通される。青色の医療服を着た腰の低い白人の女性が入ってきてパソコンのある机に座った。彼女はうかがうように「通訳はいるか?」と聞いてくれた。私が通訳をお願いすると、隣にある電話でどこかに電話をし、すぐに日本人の少し年のいった甘ったるい声のする女性が電話口に出てきた。症状を聞かれ、それを通訳が日本語に訳し、私が答え、それをまた通訳が答えてくれる。症状は喉の扁桃腺の腫れでそれ以外には何もない。「その症状はいつからですか?」と白人の女性が英語で尋ねる。通訳が日本語で「一週間ですよね?」と私に聞く。熱を測ると、「熱はござぁません。」といちいち訳してくれる。「イエス」と答えればいいだけのところをなんとなく私が「はい、そうです。」と丁寧に答えると、医療服を着た女性はわざわざ通訳の人の「That’s right」が聞こえるまでぴくりとも動かなかった。

 熱も脈も血圧も異常なしというのが判明したところで、今度は喉のバクテリアを検出すると言って綿棒が取り出される。私が一瞬ひるむと、医療服を着た女性は「大丈夫よ。これはとてもソフトだから。あ、彼女、すごく恐ろしそうな顔してるから、いま私が慰めてあげてるの。」と電話越しに逆に通訳へ説明をした。通訳は通訳で「大丈夫でござぁますよ。あのお、綿棒はとても柔らかいものなので。」とデビ夫人のようなしゃべり方で勝手な意訳をして伝えてくる。すぐさま喉に綿棒が押し入れられ、私が痛さと気持ち悪さに一瞬餌付いたが、その瞬間、さらに綿棒が押し付けられて、「I got it! She did a good job!(やったわ!あんたよくやったわ!)」と医療着の女が興奮気味に叫んだが、なぜかこのときは通訳は電話の向こうで黙ったままだった。

綿棒を抜かれてから痛くて涙目になりながら喉をさすっていると、申し訳なさそうに医療着の女が何事かを言う。すると通訳が、「えー、これから、先生が来ますので、しばらく待っていて頂けますかぁ。ほかに何か聞きたいことはござぁませんかぁ?」と言った。目の前にいるこの医療服を着た人が医者ではなかったことが、衝撃だった。しかも、この医者ではない女性は、去り際になぜか「私たちの国では、日本の評価は高いわよ。」と言って去って行った。
ともあれ10分ほどたつと、今度は男みたいな迫力のある白人の女医さんが入ってきて、バクテリアの検査結果は「ネガティブ」だったことを伝えてくれた。私がとにかく抗生物質を欲しいとねだったので、医師はしぶしぶ5日分の抗生物質を出すと言ってくれた。

チェックアウト(ホテルみたいだ。)を済ませ、病院を出ると恐ろしいほどダイナミックで迫力満点の土砂降りの雨。鳴り響く落雷。家の近くの薬局で薬を受け取り、雨に打たれて震えながらやっとの思いで家路に着く。家に着くと、ここ何日かの緊張と不安に加え寒さと疲労感が押し寄せてきたが、とにもかくにも、やっと喉から手が出るほど欲しかった抗生物質を手に入れることができたのである。もうこれで大丈夫だと一安心して、言われた通り二粒の抗生物質を飲んで就寝することになった。

恐ろしい夜だった。なぜならその夜、私はひどい腹痛に襲われたからである。どう考えてもあの抗生物質だろうと思いながら、トイレに駆け込んだ。さらに、朝起きたら顔がパンパンにむくんでいた。このむくみもどう考えてもあの抗生物質だろう、と朝一番に鏡をみて思ったが、それでもお昼までにはあのひどい喉の痛みが和らいで、ピザをゆっくりだが飲みくだせるほどまで回復したのは、感動的だった。気付けばマディソンの町中に秋の空気が垂れ込めている。なんだかもう、何もかもが嘘みたいな悪夢のような嵐の夜だった。

これがお菓子外交

 8月3日。語学学校の午後一の授業でアラブ人がすごい勢いでポテトチップスを食べている。一つの授業には10分の中休みがあるのだが、7月中旬にラマダーンがあけてから彼らは授業の休憩時間の10分が経ってもなかなか戻ってこないことがよくある。業を煮やして先生が授業を始めると、ようやく戻ってきた彼らの手にはおのおのコーラやスターバックスの戦利品がしっかり握られていたりする。あと50分少しで授業が終わるというのに我慢できなかったみたいだ。こういう姿を見ると、「ラマダーンは小さい頃からしていることだから慣れてるよ。」と得意気に笑って答える彼らのセリフが疑わしいものに思えてくる。

 いずれにしても、アラブ人に限らず、成長期のティーンたちはよく授業中にバリバリとお菓子を食べている。ひどいときなど、軽いテスト中にも食べる音が聞こえてくる。しかし、最近の私はというと彼らのそうした習性を利用して時々「お菓子配り」という名の「プレゼント外交」にいそしむことを日課としている。先週、初めてコロンビア人のビクトルにチョコレートをあげたとき、彼は予想していた以上に目を輝かせて、「お菓子を受け取ったとき」、「授業の途中」、「食べる直前」、「二日後」、という計四回もお礼を言ってくれた。二回目は自習室でビクトルが勉強しているところに差し入れしたのだが、彼は私が自習室を出ていくまでずっと親指を一本ぴんと立てた「GOOD!」の状態で微動だにせず、私の姿が消えるまで微笑みながらこちらを見ていてくれた。それだけではない。同じくコロンビア人のマリアは二回お礼を言ってくれたし、中国人のゾーイは「放課後、遊びに行くけど一緒に来るか?」と遊びに誘ってもくれた。大人しい中国人のジェニーは、次の授業で自分のお菓子を私にお返ししてくれた。

 そんなこんなで今日、ライティングの授業で四人のグループに分かれて作業をしていた時のことである。みんなで一生懸命ワークシートに向かっていると、ふいに私の向いの席から小さな袋をパーティ開きする音が聞こえてきた。顔を上げると、7月末から私よりも後に転入してきた韓国人のミンである。ミンは来たばかりで私以上に大人しい若い女の子だ。彼女の英語はとてもゆっくりで、ほとんど話をしない。話しかけても英語に慣れてない上にシャイだからか、一言返すくらいしかしてくれない。そんな彼女が、作業の始まりとともに、持ってきていたお菓子をパーティ開きし、そこから一かけらを食べてみせ、おずおずとその袋をテーブルの中心に置いたのである。そしてまたうかがうようにして、私やモンゴル人のサラ、中国人のパトリシアに「食べろ」と目で合図をしたのだった。

 作業の途中だったので少しめんくらっていた私を尻目に、血も涙もないモンゴル人のサラは瞬時に「ン、ン。」と首を横に振り、中国人のパトリシアもそれに続いた。彼女たちは、新参者のこの勇気ある行動を一瞬にして拒絶したのである。気持ちいいほど大ざっぱな性格の持ち主たちである。残念そうなミン。そして、出遅れた私はというと、実は一昨日から扁桃炎を患っており、固形物を食べると口の中に激痛が走るという不幸なコンディションで、朝は涙が出そうになりながらトーストをジュースで何とか半分流し込み、昼はスープとヨーグルトで刺激を受けないようにお腹を満たしていたところだった。だけど、どうしてこのミンの誘いを断れるだろうか。ミンはまだ来たばかりで、私以上に大人しくて、つまらなそうに休み時間は携帯を触っている子だ。だいたい、この瞬間に私まで「ン、ン。」と断ったら、イジメに該当する気がする。いや、それ以上に私にはミンの気持ちがとてもよく分かった。こんなけなげな申し出を断れるはずがなかったのである。 

 かくして彼女が差し出したお菓子は、とてもさくさくしたパイ生地にチョコレートがコーティングされている甘い固形物だった。サラやパトリシアには理解できないものかもしれないが、ある境遇に瀕した人間にとっては、物々交換は生きるための手段になり、大きな意味を持つことがあると私は思うのである。少なくともマディソンに来て、友達もできずに慣れない英語を勉強する私にとっては、自分のためじゃなくて人のためにスーパーでお菓子を選ぶ時間はとても重要な意味のある時間だった。

 ちなみにTylenolという薬が、日本での「痛み止め」に該当するものらしく、4ドルほどで購入できるということを今日初めて知った。帰りに買って帰ったのは言うまでもない。